騎士の墓標2
「失礼。少しいいだろうか、ルクト君」
昼食を食べ終わったルクトとルーシェのもとに現れたのは、武術科五年のヴィレッタ・レガロだった。スレンダーな体つきで背も高く、切れ目が印象的な美人である。なんでも男子よりも女子から告白されることが多いそうなのだが、それも納得できてしまう出で立ちである。男装でもしたらさぞかし映えることだろう。
ヴィレッタは少し嫌そうな顔をしているルクトに了承を取ってから椅子を引いてそこに座り、「さて」と前置きしてから話し始めた。
「ギルド入りの件だが、考えてくれただろうか」
「その話でしたら断ったはずです。先輩」
取り付く島もないルクトの返事にヴィレッタは苦笑をもらした。ただ、その表情からは諦めるつもりのないことがありありと窺える。
「そう邪険にしないでくれ。ギルドに入れば、君にもメリットがあると思うが………」
一般に〈ギルド〉というのは、ハンターたちが迷宮攻略のために作り上げた組織だ。同じギルドに所属しているハンター同士がパーティーの枠を超えて協力したり、あるいは情報を蓄積して共有したりしている。また都市や大きな商会が相手の場合、パーティー単位ではどうしてもハンター達の立場が弱くなってしまうが、ギルドという単位であれば足元を見られることもない。
そして武術科にも〈学内ギルド〉と呼ばれるものが存在する。やはりこれもギルド内で協力し合い情報を蓄積し共有することで、迷宮攻略を成功させようというのがその目的だ。現在、武術科には三つの学内ギルドがあり、ヴィレッタはその一つ〈叡智の女神〉の幹部を務めている。
こういうギルドに所属する最大のメリットは、上級生から直接手ほどきを受けられることだ。特に上級生とパーティーを組むことで、早いうちから攻略や遠征を手堅く行えるのは大きいだろう。その他にもギルド内でならパーティーメンバーを見つけることも比較的簡単だし、蓄積された情報やノウハウを身につけることもできる。
その一方で、やはりデメリットも存在する。上級生から手ほどきを受けられるということは、上級生になったら今度は自分が下級生の手ほどきをしなければいけないということでもあるのだ。実力がついてきた時期に、自分の攻略のための時間を減らさなければいけないのは痛いだろう。
ちなみにギルドに入らずにパーティーを組んだ場合のメリットとデメリットは、ギルドに入った場合のそれをひっくり返した形となる。下級生の頃は何もかもを手探りでやらなければいけないが、上級生になれば自分の迷宮攻略に集中することができる。どちらを選択するかは、それぞれの学生次第だ。
「パーティーを組めないオレが入っても仕方がないでしょう」
ルクトは呆れ気味にそういった。たとえギルドに所属していようとも、迷宮攻略の単位はパーティーだ。学園側からパーティーを組むことを禁止されているルクトがギルドに入っても、ソロでやる以上のメリットがあるとは思えない。
「我々が持っている情報は君にも有用だと思うが………」
「自分で集めます」
にべもなくルクトはそう言った。迷宮やそこで出現するモンスターの情報であれば自分で集めることもできる。そしてもう二、三年もすれば彼のほうがより深い階層の情報を持つようになるだろう。そもそも〈プライベート・ルーム〉という反則的な個人能力を持つルクトにとって、普通の学内ギルドが持っている情報というのは自分でも集められるか、あるいはあまり価値のないものが多いのだ。
「………ギルドに入っておけば就職にも有利だぞ?」
「本気で言ってます?それ」
ルクトが呆れたようにそういうと、ヴィレッタのほうも苦笑いを浮かべた。ノートルベル学園武術科の卒業生は常に引く手数多である。ギルドに入っていようがいまいが、卒業さえできれば就職先に困ることはない。
ましてルクトはソロでも迷宮攻略を行うことができる。卒業後、仮にどこのギルドにも入らなかったとしても、自分一人でハンターとして活動していけるのだ。
結局のところ、自分をいいように使いたいだけなのだろう、とルクトは思っている。パーティーが組めなくとも使い道は色々とある。下級生の世話を押し付けられるだけでも御の字。恐らくだが、そんなことを考えているのだろう。
「………仕方がない。また今度口説かせてもらおう」
手ごたえが悪いのを感じ取ったのか、ヴィレッタは存外簡単に引いた。ただ、まだ諦めてはいないときっちり釘を刺してくれている。
「………勘弁してください。〈赤薔薇の騎士〉にそんなこと言われたら、後ろから刺されそうです」
げんなりしながらルクトはそう言った。彼の言う〈赤薔薇の騎士〉とはヴィレッタの二つ名である。二つ名を持っているというのは実力と人気を兼ね備えているということで、特にヴィレッタの場合は女子のファンが多い。ファンクラブも存在し、そのなかには熱狂的な者も少なからずいて、彼女が口にした「口説く」の意味が曲解されれば本当に後ろから刺されかねない。
「君が〈叡智の女神〉に入ってくれれば、万事解決するのだがな」
なんならこの先の昼食代、ギルド持ちでもかまわないぞ、とヴィレッタは冗談めかして続けた。ルクトが割りと本気で悩んでいたら、正面に座っていたルーシェが彼の脛を蹴とばして妙に迫力のある笑顔を向けてくる。
「………昼食代の代わりに友達を失いそうなので止めておきます」
そのやり取りを見ていたヴィレッタは「それは残念」と苦笑気味に言って立ち上がった。それから「私が卒業するまでにギルド入りを決意してもらえると助かる」とだけ言い残して彼女は去っていった。話した後に不快感が残らないのは、彼女の人徳かもしれない。
「………昼食代で買収されそうになるとは思わなかったわ」
「いや、この先ずっとだと結構大きい………」
真面目な顔でそう抗弁するルクト。しかしルーシェに一睨みされると、慌てて明後日の方向に視線を外した。そんなルクトを見たルーシェは呆れたように「あなたねぇ……」と言ってから説教しようとしたのだが、その前に新たな客人が現れた。
「ああ、ここにいたのか、ルクト君。少し話があるんだけどいいかな」
そういってルクトに話しかけてきたのは、丸眼鏡をかけた温厚そうな男だった。彼の名前はトレイズ・レーシー。武術科の実技教官である。
彼はもともとハンターとして活躍していたのだが、結婚したのを機に引退して今はこうして後進を育てている。収入は半分、いやともすれば三分の一以下になったはずだが、そこそこの貯金を積み上げ五体満足で引退し、その上美人のお嫁さんまでもらったのだ、“勝ち組”と言っていいであろう。
「はい。時間は大丈夫ですけど……」
「よければ僕の部屋に来ないかい?お茶とお菓子をご馳走するよ」
それを聞いたルクトがチラリとルーシェのほうを見ると、彼女は「私もこの後予定があるから」とって席から立ち上がった。どうやら気を利かせてくれたらしい。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
そういってルクトも立ち上がり、トレイズの後ろにくっついてその場を後にするのだった。
▽▲▽▲▽▲▽
トレイズ・レーシーの教授室は武術科棟の隣にある第二棟の五階にあった。部屋の中のあちらこちらには書類などが無造作に置かれていたが、散らかっているという印象は受けない。定期的に片付けてはいるのだろう。
「適当に座って。今、お茶を淹れるから」
部屋の奥に用意されたティーセットに手を伸ばしながらトレイズはルクトにそう言った。ルクトも促されるままに適当な椅子に座る。それから部屋の中を見渡していると、一枚の絵が目に留まった。
描かれているのは、トレイズと思しき丸眼鏡をかけた男性だ。恐らくは子供が描いたもので、お世辞にも“上手な絵”とはいえない。だが描かれたトレイズは満面の笑みを浮かべており、幸せそうな雰囲気がにじみ出てくる絵だ。
「娘が描いてくれた絵なんだ。今年で五歳になる」
ルクトの視線に気づいたのか、紅茶を淹れながらトレイズがそう言った。頬を緩めて照れくさそうに笑うその表情は完全に父親のものだ。
(父親、か………)
その言葉の響きは、どこか遠いところのもののようにルクトには感じられる。多額の借金をこしらえ、その挙句に自分を捨てて夜逃げした父親に、彼はもちろんいい感情を抱いてはいない。
ただその一方で、激しく恨んでいるのかと言われればそうでもない。メリアージュに拾われてからの生活は、父親を恨んでいる暇もないほど濃密で充実したものだったのだ。そんな生活の中で父親の存在は徐々に記憶の彼方に薄れてしまい、もう自分とは関係のない、どうでもいい存在になってしまっている。
忘れたわけではない。許したわけでもない。ただ、気にする必要がないだけ。ルクトにとって父親とはそういう存在だった。
「紅茶には何を入れる?」
トレイズのその言葉で、ルクトはそれ以上考える事をやめた。どのみち、まだ生きているかも定かではない相手だ。
「ミルクだけお願いします」
ルクトがそう答えるとトレイズは「わかった」といってミルクをティーカップに垂らしそこに紅茶を注いだ。
「私はブランデーを少し」
誰にともなくそう言ってから、トレイズはティースプーンに一杯ほどのブランデーを紅茶に入れる。途端、芳醇な香りがルクトの鼻腔にも届き、ふと懐かしさが沸き起こった。
(メリアージュもよく紅茶にブランデーを入れてたな………)
もっとも、彼女の場合は紅茶四割のブランデー六割というありえない割合だったが。ブランデーを紅茶で割っていると言ったほうが正しいシロモノで、それでも「香り付け」と強弁するのだからもはや詐欺である。
「はい、どうぞ」
トレイズが淹れたての紅茶をルクトに差し出す。「ありがとうございます」と言ってからそれを受け取り一口啜ると、エグ味の無いおいしい紅茶だった。
「………それで、レーシー先生。お話というのは」
一緒に出されたクッキーを遠慮なくつまみながら、ルクトは本題に入るようにトレイズを促した。机の縁に寄りかかるようにして座りながら紅茶を飲んでいたトレイズは、「ああ。そうだった、そうだった」と言ってティーカップを机の上に置き、穏やかな視線をルクトのほうに向けた。
「実は、実技の講義を手伝ってもらえないかと思ってね」
武術科のカリキュラムは、基本的に午前が座学、午後から実技となっている。なぜ逆にしなかったのかといえば、そうすると座学の時間に熟睡する学生が続出することが明らかだったからだ。
まあそれはそれでいいとして。実技の講義は全学年が参加可能な講義である。つまり武術科の学生であれば誰が出席しても良い。ただし、この講義には単位がつかない。なぜなら武術科の実技の卒業要件は「十階層以下で取れる魔石を一人につき五個以上集めること」、これだけだからである。これさえ満たせれば、実技の講義に出席する必要はないのだ。ちなみにルクトも二年になった以降は実技の講義に出た事はない。
そもそも実技の講義は、一年生を主な対象としている講義なのだ。
武術科の目的は〈武芸者〉を育成することであり、そして〈武芸者〉の本分は戦うことである。しかし武術科に入学する学生全てが、道場に通うなどして武術の心得を持っているわけではない。むしろ新入生の半分以上が基本的な闘術の心得もない状態で入学してくるのだ。
そのような学生達をそのまま迷宮攻略に赴かせることは、武術科の創立理念に著しく反する。そこで最初の一年は迷宮に潜ることを禁止し、その間に最低限の戦う術を教え込むのである。
しかし、ここで一つの問題が発生する。それは教える側の人間が絶対的に足りない、ということだ。
最低限とはいえ、一年で素人をそこそこ戦えるように鍛え上げなければいけないのだ。そのためにはどうしても密度の濃い指導が必要になる。その上、学生達が選ぶ得物は一種類ではない。実技教官は何人いても足りないだろう。
いや、それだけならばトレイズのように引退した武芸者を実技教官として雇ったり、外部から講師を招いたりすれば数を確保することは可能だろう。なにしろ教えるのは基本中の基本だけである。それ以上の事は、各自が選んだ得物に応じた道場に通い研鑽を積むしかない。
ではなぜ、教える側の人間が足りなくなるのか。それは一年生を迷宮に連れて行く引率者が多数必要になるからだ。
確かに武術科では一年生に迷宮に潜ることを禁止している。しかしだからといって二年生になって初めて迷宮に、しかも一人で潜るのは非常に危険だ。
迷宮という異質な環境に戸惑ったり、遭遇するモンスターに萎縮して本来の実力が発揮できなかったりする、ということは十分に考えられる。また戦闘を問題なくこなせたとしても、勝手が分らずに深いところに潜ってしまうかもしれない。
そのような事態を避けるためには、経験豊富な付添い人が引率を行うのが一番良い。ちょうどメリアージュがルクトにそうしてくれたように。それに闘術の修行というのは、濃密な〈マナ〉が漂う迷宮内で行ったほうが、効率が良いのも確かだ。
そこで武術科では実技教官の引率のもと、一年生を対象に迷宮の攻略実習を行っている。ただしこの実習に参加するためには、入試の実技試験で規定以上の成績を残すか、あるいは実技講義の中で実力を身につけ教官から許可を得ることが必要になる。
攻略実習の目的は幾つかある。迷宮の雰囲気に慣れること。日帰りが可能な範囲を知識ではなく感覚で覚えること。モンスターとの戦闘を経験すること。可能ならばパーティー戦でのコンビネーションを学ぶこと。そして一年の終わりには、可能な限り全員に遠征を経験させることが最終的な目標である。ちなみにこの遠征は一泊二日の予定で、四階層のベースキャンプに行って帰ってくる、というのが中身だ。
この目的を達成するには、あまり大人数で迷宮をウロウロしても意味がない。それどころか人数が多すぎると危険ですらある。そこで攻略実習の時には一グループ5~6人程度でパーティーを組み、そしてパーティーごとに引率者がついて攻略が行われる。
さて、問題となるのはこのパーティーの数である。武術科の毎年の入学人数はおよそ100~120名。つまり一年生全体で20組程度のパーティーが出来上がることになる。
もちろんこの全てが一度に攻略実習を行うわけではない。多くても半分程度だ。しかしそれでも10組程度のパーティーが迷宮に潜るわけで、引率者もそれに応じた人数が必要になる。しかしそれだけの人数を割くとなると、学園の実技教官、そして外部から招いた講師だけでは人手が足りないのだ。
そこで学園側が導入した制度が、〈アシスタント制度〉である。これは簡単に言ってしまえば、実技教官の監督のもと上級生が下級生を教える制度だ。なにも攻略実習の引率者をやらせようというわけではない。学園の訓練場で講義を受ける一年生に、簡単な指導やアドバイスを行えればそれでいいのである。なにしろそれ以上の事は、各自で道場に通ってもらうしかないのだから。
「………ルクト君が乗り気でないのは承知しています」
ルクトがいい顔をしなかったのを見て、トレイズは苦笑気味にそういった。もともとアシスタント制度は人気のあるものではない。下級生に、ではない。上級生に、だ。
「他人を鍛えるよりは自分を鍛えたい」
そう考えるのは、武芸者としてむしろ当然のことだ。そしてその傾向は迷宮のより深い階層で攻略を行う者ほど強くなる。それは武術科の学生も例外ではない。
それに加え、時間的な理由も存在する。アシスタントとして毎週の講義に参加するとなると、当然のことながらその時間に迷宮攻略は行えないし、遠征の計画も制限されてしまう。パーティーに迷惑がかかるとして躊躇する学生が多いのだ。
また金銭的な問題もある。アシスタントになると一回ごとに多少のお金が支給されるのだが、ぶっちゃけ迷宮攻略をしたほうが稼げるのだ。特にルクトの場合は日帰りで潜れる範囲が広いから、それにともない一日とはいえ稼げる額も大きくなる。アシスタントになることに魅力を感じないのは当然だろう。
「新学期が始まってもう一ヶ月経ちました。そろそろ攻略実習も始まります。その前になんとかアシスタントの数を確保しておきたいんです」
アシスタントの数が確保できなければ、攻略実習の規模を小さくするか、あるいは延期するしかなくなる。実技講義の主眼はあくまでも迷宮に潜る前に、最低限の実力を身に着けさせることだからだ。しかし迷宮に潜って実際に攻略を行えれば、そのほうが得るものが多いのも事実。だから一年という限られた時間の中でより多くのことを教えたい実技教官にとって、迷宮の外を任せられるアシスタントの確保は非常に重要なのだ。
「………なんでオレに声をかけたのか、教えてもらえますか」
「それは君がソロで、しかも〈カストレイア流〉、だったかな、その流派の免許皆伝を習得しているからです」
トレイズが説明した理由は、ルクトが自分で考えていたものとほぼ同じだった。ソロの彼にはアシスタントになることで迷惑を被るメンバーはいない。他の学生よりは誘いやすいし、また受けてもらえる可能性も高いと思ったのだろう。
そして何より、十八という年齢で一つの流派の免許皆伝を持っているというのは魅力的であろう。それは実力と経験の保証になるからだ。また若くして一つの流派を修めたということは、ルクト自身に天賦の才能があることも示している。
もっとも、“天才”と呼ばれる人々は総じて教えることが下手であり、その点はマイナス要素かもしれない。まあ、なにもカーラルヒスでカストレイア流の道場を開くわけではない。自分が教えてもらったことをそのまま教えられればそれでいいのである。
「実は一年生のときから目をつけてはいたんです」
トレイズは少し申し訳なさそうに言った。それを聞いてルクトは「なるほど」と納得する。確かに一年の実技講義のとき、ルクトはむしろ教える側だった。意図した結果ではなかったが、そこで新たに教わることはなかったし、コツを聞かれて答えているうちに自然とそういう役回りになったのだ。
「特別なことをする必要はないんです。一年生のときにしていた、あの程度のことでいい。引き受けてもらえませんか?」
トレイズの真剣さは十分ルクトに伝わっていた。だが彼には彼の事情がある。ルクトにとって一番重要なのは借金の返済であり、アシスタントになることはどう考えてもその妨げにしかならない。
「………君にこんなことを言うのは卑怯かもしれない」
ルクトが断ろうとしたその矢先、トレイズはしぼり出すようにしてそう言った。彼の両手はきつく組まれている。それが彼の感じているやるせなさを如実に表しているようにルクトには思われた。
「……だけど言わせてください。実技の講義に出てきて、なおかつこの時期に攻略実習に参加できない学生というのは、ほとんどが訓練生上がりで、つまり道場に通うだけの余裕がない子達なんです」
彼らにとっては実技の講義だけが闘術を学べる機会なんです、とトレイズは真剣というよりは悲痛な声で訴えた。無論、学園側も色々と手段を講じてはいる。しかし十分とは言いがたいのが現状だ。その辺りのことを含め、多分トレイズにはもっと言いたいことがあったのだろう。しかし彼はそれを少し冷めてしまった紅茶と共に飲み下し、それ以上はなにも言わなかった。
(道場に通う余裕がない、か………)
それはつまり金がない、という意味だ。金銭的な理由で身動きが取れなくなることの苦しさとやるせなさを、ルクトは良く知っている。
「………分りました。アシスタントの件、お引き受けします」
その訓練生上がりの一年生たちも同じような気持ちを感じているのだろうか。そう考えたら、言葉は自然と出てきた。
「………ありがとう。本当に助かるよ」
そういってトレイズは頭を下げた。
決して同情したわけではない、とルクトは思う。ただ恩返しが、しかもその真似事がしたかっただけなのだ。
ふと、ルクトは考えた。メリアージュがこのことを知れば、なんと言うだろうか。
『そうかえ、そうかえ』
全てを見透かしたようにカラカラと笑う彼女の姿が脳裏に浮かぶ。苦笑を堪えることのできないルクトであった。