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 花屋に行こう。

 そう言い出したのは、将斗まさとだった。

 今晩出るんだろ。

 だったらお勧めがあるから、花屋に行くぞ。


 坂道を登りきったところに花屋はあった。

 小さな店だが、近づけば近づくほど花の甘いにおいがはっきりしてくる。

 けれど男二人で買い物なんて、すげぇ惨めだよな。

 そう言ったら将斗にツッコまれた。

「ガーベラとマーガレットを間違えるような奴に、一人で花が買えるんですか?」

 ご尤もな意見に、これ以上の口出しができなくなる。

 大人しく将斗の後につくと、二人は花屋へと入っていった。

 店内に一度入れば、色とりどりの花が所狭しと並べられている。

 普段は花屋なんて入ることもないから、見るものすべてが物珍しい。

 まるで絵本の中にでも飛び込んだみたいだ。

 そんな思いに浸りながら、佑夜ゆうやはきょろきょろと辺りを見渡していた。

 それにしても本当、花ばっかり。

「あ、……これ」

 すると不意に視線が定まった。

 見つめた先一点にあるその花は、やめに見覚えがある気がしたのだ。

 けれど一体、どこでこんな花を目にしたんだろう。

 ひたと立ち止まると、佑夜はまじまじとその花を見始めた。

 花は少し厚みのありそうな黄色の花弁を幾枚も散りばめている。中心には紅花のような雄しべ雌しべがあって、どこか神秘的な美しさをしてした。

 何かに、似ている。

 もう喉の奥まで出かかっている単語にじれったさを感じた。

 だからといって、すぐにそれが出てくるはずもない。

 頭を捻らせながら、佑夜は小さく言葉を吐いた。

「……これ、ちっさいひまわり?」

「馬鹿も休み休み言え。どう見たってガーベラだろ」

 しかしすぐに飛んできたのは、将斗の嘲笑と訂正の言葉だった。

 振り返れば確かに、嘲笑った風の将斗が『バーカ』と唇だけで呟いて立っている。

 激しく視線で罵倒されてから、佑夜はもう一度ガーベラの花を見た。

 嘘だ。前に見た時、ガーベラは白だったはずだ。

 黄色のガーベラって何? 突然変異か? それとも食紅をぶっかけて……

 数学と花にはとことん弱い頭を働かせて、佑夜は尽きない疑問に突っ込んでいった。

 だがすぐにそれも限界が訪れ、佑夜はくわっと振り返る。

「ガーベラって白だったじゃん!」

「白だけなわけねーだろ、このタコ! ちっとは学べ!」

 さすがに呆れた将斗は、佑夜の背中を軽く蹴飛ばした。

 今だ頭の整理がつかない佑夜はガーベラを前にして、そういえばバケツの中には黄色以外にもサーモンピンクやオレンジなどの色があることに気付いた。

 そこには苦々しい思い出を持つ、あの白いガーベラもある。

 平然と咲き誇っている白のガーベラに、佑夜は鼻で笑われたような気がした。

「ちっくしょう、コイツ。前にもマーガレットみたいな面していやがって……ッ」

「勝手に間違えたんだろう、お前が」

 どこまでも冷静な将斗は、もう一度佑夜の背中を蹴飛ばすと早く来いと促す。

 正論なだけに反抗もできなくて、佑夜は渋々将斗の後をついていった。

 そして向かった先には、濃いオレンジ色の……

「これがお勧めなんですか、お兄さん」

「そうさ、我が弟。これがお勧めの花ですよ」

 そう言うと将斗はその花を五本手に持った。

 茎が細く、その上部、左右交互に蕾がついている。花は下から順に咲いていて、今は三分咲きと言ったところか。

 そんな奇妙な花とカスミソウ、それからスイートピーを幾本選ぶと、そのまま有無も聞かずに将斗はレジへと直行していった。

 一人で花に囲まれているのもなんだか嫌で、佑夜は外へと足を向ける。

 足元にはガーベラが並んでいた。


 店の外で待っていると、すぐに将斗は戻ってきた。

 手には先ほど選んだ花々が咲き誇っている。

 突っ立ってないで帰るぞと言う将斗に、佑夜は早速疑問を投げつけた。

「で、兄貴。そのオレンジの花、何?」

「モントブレチア」

「モント……リオール?」

「いっぺん死ね」

 あまりの即答と引き攣った笑顔に、佑夜は思わず頭を下げた。

「それで、そのモント何とかって何なわけ?」

「だからモントブレチアっつってんだろ」

 頭大丈夫ですか? と佑夜の頭を一度引っ叩く。

 痛いと叫ぶ佑夜を他所に、将斗は一つ長い息を吐き出すと、落ち着いた表情へと戻っていった。

「モントブレチア。南アフリカ原産だけど、日本でも野生化しつつある球根植物。で、その花言葉は……『すてきな思い出』」

 静かな住宅街。

 一筋風が駆け抜けていく中、二人の歩みは止まっていた。

 ゆっくりと佑夜は隣を見る。

 そこには普段は見せない真剣な顔をした将斗が立っていた。

「兄貴……」

「家族との思い出、あるんだろ」

 無言で頷く。

 そんな佑夜を見た将斗は、嬉しそうに顔をほころばせた。

「だったらそれ持っていけ。思い出は人生の必需品だからな」

 すると将斗は佑夜に買ってきたばかりの花束を押し付けた。

 僅かながらではあるが、花の香りがふわりと鼻腔をくすぐっていく。

 どこか優しい香りだ。

 すると「さあ、帰ろう。突っ立っていないで帰ろう」と言う将斗の声が聞こえてくる。

 視線を前にやれば、将斗は先にずんずん歩き出してしまっていた。

 すてきな、思い出か……。

 嬉しさを胸に抱きながら、佑夜は将斗の背を追いかけていった。

 あの立派な、兄の背を。

 ――だが、突然目の前から将斗の姿が消える。

「え……」

 視線を下ろすとそこには、蹲った将斗の姿が痛々しく転がっていた。

 時は確かに、動きを止めた。



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