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幸福度99.8%なので別れます

作者: 三角
掲載日:2026/02/26

 俺の視界の右端には、いつもエマの幸福値(こうふくち)が浮かんでいた。


 『現在の幸福度:High』『相性値:99.8%』


 数値が高ければ安心し、少しでも下降すれば不安になる。いつからか俺は、エマの反応よりも数値の方を気にする様になっていた。



 その通知が来たのは、三月の終わりだった。


 空中庭園のテラス席で、エマがアイスティーのストローに口をつけたタイミング。視界の中央に赤いアラートが割り込んできた。


 『Life-Path重要通知:関係性のピーク到達を確認。推奨交際終了日まであと3日』


 エマも同じものを見ている。彼女のARコンタクトが、わずかに光を反射した。


「やっぱり」


 エマの声には、悲しみよりも、どこか安堵に似た色があった。


「最近、幸せすぎて怖いと思ってた」


 俺は何も言えなかった。こんなに楽しいのに、という言葉が喉まで出かけて、飲み込んだ。楽しいかどうかを決めるのは、もう俺たちではないのだと、どこかで知っていた。



 AIが用意した『クロージング・デートプラン』に従って、一日目と二日目を過ごした。


 過去の検索履歴から割り出された「行きたかった場所」。会話が途切れるたびに表示される「盛り上がるトピック」のサジェスト。店員ロボットの完璧な対応と、最適なタイミングで運ばれるデザート。


 すべてが滑らかで、引っかかりがなかった。


 俺はエマと話しているのか、AIの用意した台本を読んでいるのか、わからなくなっていた。



 二日目の夜。ホテルのラウンジで夜景を前にして、俺は口を開いた。


「本当にこれでいいのか」


 エマはグラスの縁を指でなぞりながら、しばらく黙っていた。


「……全然よくない」


 その声は震えていた。


「でも怖いの。このまま続けて、AIの言う通りになったら? あなたが少しずつ不幸になって、最後に私のことを憎むようになったら、耐えられない」


「未来の失敗を先取りして、今を諦めるのか」


「違う。あなたを傷つけたくないだけ」


 エマの目が潤んだ。


「昔、お父さんとお母さんがそうだった。愛し合ってたのに、最後は憎み合って別れた。でも、一番綺麗な思い出のままで私たちは終われる」


「……それって、本当に幸せなことなのか?」


 その問いに、エマは答えなかった。



 三日目。最後の日。


 自動運転タクシーが、AIの最終プラン――「最も美しく夜景が見える丘」へと向かっていた。そこで感動的な別れをして、綺麗に終わる。


 窓の外の景色は美しい。けど、本当にそれでいいのか? 終わるにしても、本当にこのままで……。


「ルート変更。目的地設定解除」


「カイト、何してるの」


「寄り道」


「寄り道って、今日は最後の――」


 車内に警告音が鳴り響く。『推奨ルートから逸脱しています』。俺はその表示をスワイプして消した。


「……どこ行くの」


「つくまでの楽しみ」


 そう言い、俺は目的地を再設定した。



 到着したのは、路地裏のラーメン屋だった。


 ARの視界には『衛生スコア:低』『推奨度:★1』の警告が並ぶ。狭い店内に豚骨の匂いが充満していて、床は少しぬるついた。


「いらっしゃい! お、こりゃまたハイカラな美男美女が来たねえ!」


 カウンターの奥から、やたらと声の大きい店主が顔を出した。六十くらいだろうか。額の汗を手ぬぐいで拭いながら、目尻の深い皺をくしゃくしゃにして笑っている。


 エマが俺の袖を引いた。


「こんな店、AIのプランにはないわよ」


「だから来たんだよ」


 ラーメンを二つ頼んだ。店主は「デートか? 兄ちゃん、こんな古い店に彼女連れてきちゃ駄目だろ」と豪快に笑った。


「まあでも、来てくれたのが嬉しいからさ。これ、オマケな」


 頼んでもいない煮卵が、ぽとり、と丼に落ちた。


 その瞬間、ARの視界が騒がしくなった。


 『摂取カロリー超過』『店主の行動:予測不能』


 エマが吹き出した。


「AI、煮卵なんかでパニックになってる」


 俺もつられて笑った。


「このラーメン、すごく美味しい」


 エマがそう言ったとき、鼻の頭が赤くなっていた。泣いているのか笑っているのか、たぶん両方だった。



 店を出ると、路地裏に夜風が吹いていた。豚骨の匂いがまだ髪に残っている。


 俺たちはあてもなく歩き、小さな公園を見つけた。住宅街の中にあるそこは、綺麗な夜景なんて見えない。だけど、ベンチに座って見るどこかの家庭の生活の明かりが、とても美しいものに見えた。


 日付が変わる。


 視界の中央に、最終通知が浮かんだ。


 『関係を終了し、次のパートナー候補を表示しますか? YES / NO』


「……来た」


「うん」


 泣いた跡のある目で、エマが俺を見ていた。


「AIは完璧だよ。でも、あの親父さんの気まぐれまでは計算できなかった。俺たちの未来も、そうなんじゃないかって。計算だけがすべてじゃない。そう思うんだ」


「……バカみたいな選択ね」


「そうかもな」


 エマの手が、俺の手に触れた。


 そうして、俺は《《NO》》をタップした。


 『予測評価:E(非推奨)』

 『この選択によるリスクは補償されません』


 スワイプして、消した。


 表示が視界から消えると、路地裏の古い街灯が思ったより明るいことに気づいた。


「行こう。まずはコンビニで胃薬でも買う?」


「……ラーメン、ちょっと重たかったもんね」


 エマが笑った。


 夜の街を、俺たちは歩き出した。どこへ行くかも決めないまま。


 99.8%の未来を捨てて、0.2%の明日に足を踏み入れた夜だった。


決めてもらうのは楽ですが、決めるということの意味は楽以上に大きいと思います。

そんな気持ちを込めました。

読んでいただいた方の心に、何かいい波を起こせたなら嬉しいです。

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