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悪役令嬢のまま死んでたまるか! 偽聖女を演じて断罪&破滅エンドを叩き潰します!  作者: 葉月


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第6話 私が聖女ですわ

「イデアは――聖女としての力を、どれくらい使えるのかな?」


 小さく微笑みながら、アレン殿下は私を見据えた。

 その表情はあくまで柔らかい。だが、その奥にあるものを、私は見逃さなかった。


 ドクン、ドクン。


 胸の奥で暴れ出した鼓動を悟られぬよう、私は口元に微笑みを貼り付ける。

 微笑みには微笑みを――それが、貴族令嬢として身につけた処世術だ。


「それで、どれくらい使えるの?」

「……」

「当然、聖女に選ばれたということは、力に目覚めたばかりでも……かすり傷くらいなら治せるんだよね?」


 その問いは、あまりにも自然で、あまりにも無邪気だった。

 だからこそ、背筋が冷える。


 ……まずいですわ。


 これはただの雑談ではない。

 探りだ。

 それも、子どものふりをした刃物のように鋭い。


「……微笑んでばかりでは、分からないよ。イデア」


 声は穏やかなまま。

 けれど、逃げ道を塞ぐように、言葉が一歩近づいてくる。


 私は喉を鳴らし、ゆっくりと言葉を選んだ。


「そうですわね……かすり傷程度でしたら、癒やせないこともありませんわ」


 ――言ってしまった。


 その瞬間、空気が変わった。


 アレン殿下の表情から、花のような微笑みがすっと消える。

 代わりに現れたのは、感情を削ぎ落としたかのような、静かな無表情だった。


 その視線が、じっと私を射抜く。


「……つまり、それは“かすり傷程度なら癒せる”という意味でいいのかな?」


 淡々とした声。

 年相応の柔らかさは、そこにはなかった。


 思わず、私は半歩、後ずさる。

 恐ろしい――そう感じてしまった自分を、慌てて心の奥へ押し込める。


「……イデア。僕は、別に君を疑っているわけじゃない」


 続く言葉は、むしろ優しかった。


「も、もちろん……それは、分かっておりますわ」

「僕はね、真実が知りたいだけなんだ」


 殿下はそう言って、黒薔薇の向こうへ一度だけ視線を投げる。

 その横顔は、勇者と呼ばれるにはあまりに幼く――それでも、確かな覚悟を宿していた。


「君が本当に聖女なら、僕はそれでいい。君と手を取り合って、この世界を救いたいと思っている」


 胸が、きゅっと締めつけられる。


「……ただ」


 殿下は、再び私を見た。


「僕に勇者だと告げた女神様の使徒がね――“聖女は、まだ目覚めていない”と言い張っているんだ」


 ――それは……厄介ですわね。


 お父様らしくない。

 あまりにも、詰めが甘い。


「女神様の使徒だって、神託を完璧に聞き取れるわけじゃない。それは分かっているよ」


 だからこそ、と殿下は言葉を継ぐ。


「だからこそ、僕は知りたいんだ」


 澄んだ碧眼が、真っ直ぐに私を捉えた。


「君が――イデア=シュベルッツベルグが、本当に“聖女たる存在”なのかを」


 黒薔薇が、ざわりと揺れた。

 まるで、私の胸の内を映すかのように。


 ……逃げ場は、もうありませんわね。


 ここで曖昧に笑えば、疑念は深まる。

 真実を語れば、すべてが終わる。


 私は、聖女ではない。

 けれど――


 それでも、もう引き返すことなどできない。


「アレン王太子殿下――私は、聖女ですわ!」


 ――言った。

 ついに、言い切ってしまった。


 胸の奥で、何かが静かに音を立てて崩れる。

 これでもう、後戻りはできない。

 たとえそれが崖の縁だと分かっていても、足を引く自由は、今この瞬間に失われたのだ。


「……そっか」


 殿下は一瞬だけ目を伏せ、すぐに柔らかな微笑みを浮かべた。


「それをイデア本人の口から聞けて安心したよ。実を言うとね、王宮の中では、イデアが偽りの聖女ではないかって疑う声も少なくないんだ。――タイミングが、あまりにも出来すぎているから」


 勇者が目覚めたという報せが一部貴族の間を駆け巡った、その一月後。

 同じ国に、今度は聖女が現れたとなれば、疑念が生まれるのは当然だ。


 ましてや――

 その父親が、悪名高きシュベルッツベルグ家の当主。

 権謀と陰謀の名とともに語られる一族である。

 反発が起きないほうが、むしろ不自然だった。


「さて……じゃあ、最後の確認をさせてもらおうかな」

「……確認、ですか?」


 殿下はそう言って、懐に手を差し入れた。

 次の瞬間、きらりと鈍い光を放つ短剣が姿を現す。


 嫌な予感が、背筋を這い上がった。


「今から、僕はこの短剣で自分を傷つける」

「…………は?」


 思考が、完全に停止した。


 ――この方は、何をおっしゃっているの?


 アストラル王国第一王子。

 勇者として選ばれた、国の――果ては世界の希望。

 その御身を、自ら刃で傷つけると?


 理解が、まったく追いつかない。


「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。ほんの少し、斬るだけだから」


 斬る、という言葉が軽すぎる。


 ――ダメに決まっている!

 少しでも、絶対にダメですわよ!


 私は即座に殿下の背後に控えるバデラッドへ顔を向けた。


「バデラッド! 殿下を止めなさい! 今すぐですわ!」


 だというのに――


「イデア嬢。何をそこまで狼狽える必要があるのですか。聖女様がいらっしゃるのであれば、何の問題もないでしょう」

「そういう問題ではありませんわ!」


 思わず声が裏返る。


「あなたは、それでも騎士ですか! たとえ小さな傷であっても、主君が自ら傷つくのを黙って見ているなど――バデラッド! あなたは騎士として失格ですわ!」


 私は半ば叫ぶように、短剣を取り上げろと訴えた。

 しかし、バデラッドは岩のように動かない。


「そんなふうに言わないでやってくれないかい」


 殿下は短剣を握りしめたまま、困ったように微笑んだ。


「これは、僕がお願いしたことなんだ」


 ――もし、癒せなかったら。

 もし、私が“指輪の力”を使えなかったら。


 その先の未来を思い浮かべ、背筋がひやりと凍る。


「僕もね、痛いのは嫌なんだ。だから――イデア、できるだけ早く治してくれると嬉しいかな」

「ま、待って――」


 制止の言葉は、間に合わなかった。


 殿下は自らの人差し指に、剣先をそっと当て――


 ぷすっ。


 ……え?


「…………」


 私は、目を瞬いた。


 想像していた惨状は、どこにもない。

 指先が、ほんの少し切れただけ。

 赤い点が、ちょこんと浮かんでいるだけだった。


 ――しょぼ……。


 胸中に浮かんだ感想は、それ以外になかった。


「イデア……」


 涙目でこちらを見る殿下には申し訳ないが、その程度の傷なら、唾でもつけておけば十分だ。


「……はぁ」


 深いため息が、勝手に漏れる。


 ――心配して、損をしましたわ。


「イデア! 何をしているんだ!」

「ああ、はいはい……」


 この程度なら、気絶することも、命を落とすこともない。


 私は聖女の指輪に意識を集中させ、その力を解き放った。

 淡い光が指先を包み、瞬く間に傷は消える。


「すごい……もう治ってる!」

「おおっ……!」


 殿下は無邪気に目を輝かせ、バデラッドは素直に感嘆の声を漏らした。


 ……さて。


 これで本当に、私に向けられていた“偽聖女”の疑いは、晴れたのだろうか。

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