第31話 お茶会
「本日のお飲み物は、アールグレイでございます」
人当たりの良さを意識して整えられた声で、メイド長が本日の紅茶を告げた。
その口調は柔らかく、しかし一切の隙がない。場の空気を壊さず、かといって埋没もしない――さすがは長年シュベルッツベルグ家の屋敷を切り盛りしてきたベテランである。
庭園からほど近い場所に設えられたお茶会会場へと足を運んだ私たちを迎えたのは、シュベルッツベルグ家の使用人たちだった。
庭先に整然と並び立つその姿は、まるで儀仗兵の列のようで、見慣れているはずの私でさえ思わず背筋が伸びる。
視線の高さ、立ち位置、間隔――すべてが計算され尽くしている。
ここでの一挙一動が、すなわちシュベルッツベルグ家そのものを示すのだ。
「社交界で話題のチョコレートもありますのね」
「まあ……あれは、手に入らないと有名ですのに」
「さすがシュベルッツベルグ家ですこと」
令嬢たちのひそやかな感嘆が、波紋のように広がる。
テーブルの上には、軽食や菓子が所狭しと並べられていた。
焼き色の美しいスコーン、砂糖を抑えた果実のタルト、香ばしいナッツを散らした焼き菓子――そして。
視線の端に、見慣れた“それ”を捉える。
禁止品目として名高いチョコレート。
さらに、同じく規制対象だったアーモンドを贅沢に使ったクッキーまで添えられている。
――やりましたわ。
表情には一切出さず、内心でそっと拳を握る。
お茶会自体は決して乗り気ではなかったのだけれど、こうして“禁止されていたはずのチョコレート”が口にできるのなら、話は別だ。
そう思える程度には、私自身もこの時間を楽しんでいた。
彼女たちが遠慮がちに菓子へ手を伸ばす様子を眺めながら、私は静かに頷く。
形式も、体裁も、そして中身も――
本日のお茶会は、上々の滑り出しだったと言っていい。
「フェンダの実家って、北のミソエル地方なの?」
お茶会は滞りなく進み、話題は自然とそれぞれの故郷へと移っていた。
学園での出来事、流行の噂――そうした無難な話題が一巡し、やがて男爵家の令嬢、フェンダ=パソネスの出身地の話に差しかかった、その時である。
それまで菓子皿と真剣勝負を繰り広げていたマヤが、突如として身を乗り出した。
「ミソエル地方って言ったら、鉱山で有名だよね。昔はミスリルもよく採れてたって聞くよ」
唐突に放たれたその一言に、場の空気がわずかに揺れる。
「……ええ、まあ……」
フェンダは短く答えたが、その声には張りがなかった。
まるで、触れられたくない傷口を撫でられたかのように、彼女の表情ははっきりと曇っていく。
その変化を見逃さず、マヤはさらに言葉を重ねた。
「イデアは知ってる?」
「……?」
「国が最近、鉱山に対して新しく“所有税”を設けたらしいんだ。これに反発してる貴族も多いってさ」
「そう……ですの?」
私は思わず問い返した。
「これまでも、採掘した資源には税がかかってたんだけどさ。今回の所有税は資源だけじゃなくて――鉱山そのものに税がかかる」
マヤは紅茶を一口も飲まずに、淡々と続ける。
「鉱山を所有しているだけで、規模に応じた額を毎月国に納めなきゃいけない。要するに、持ってるだけで金が減る仕組み」
その説明は簡潔で、しかも要点を外していなかった。
魔王復活への備えとして、国が財源を確保しようとしている――それ自体は、理解できなくもない。
問題となっているのは、採掘量や利益ではなく、規模だけを基準に課税される点だ。
大きな鉱山を持っているからといって、必ずしも豊富な資源が眠っているとは限らない。
すでに枯れかけた鉱脈を抱えたまま、高額な税だけを課される家もある。
――それは、特に地方の小貴族にとって、致命的だ。
普段のマヤからは想像もつかないほど、彼女の言葉は現実を正確に捉えていた。
その意外な一面に、アメリアとミゼルは思わず感嘆の息を漏らす。
「まあ……」
「そんな事情が……」
ただ一人。
フェンダだけが、黙したままだった。
マヤが所有税の仕組みを説明している間、彼女はカップを両手で包み込み、視線を落としたまま動かない。
紅茶はすでに冷めているはずなのに、まるでそれを確かめる勇気すらないかのように。
――その沈黙こそが、何より雄弁だった。
ミソエル地方の鉱山が、彼女の家にとってどれほど重い意味を持つのか。
それを、誰もが言葉にせずとも察していた。
「最近はどこも不景気と聞きますから」
沈黙がテーブルに落ちかけた、その隙間を縫うように、アメリアが柔らかく呟いた。
あからさまな慰めではない。ただ、凍りかけた場の空気をそっと温めるような声音だった。
――優しい子ですわね。
胸の奥で、微かな温もりが灯る。
「ところでフェンダの実家は、王蟲網から採取した糸で、上質な絹糸も作ってるんだよね」
不意に、マヤが話題を切り替えた。
あまりにも自然で、けれど計算された一言だった。
「よく知ってるわね」
「イデアがね、質のいい絹糸をシュベルッツベルグ家でたくさん仕入れるって話をしてたから、力になりたくて調べてたんだ」
――え?
思わず瞬きをする。
私はそんな話、一言たりともしていない。
慌ててマヤを見るが、彼女は私の無言の抗議など最初から存在しないかのように、涼しい顔で続けていた。
「そのとき、ちょうどフェンダの実家が絹糸を作ってるって聞いたんだ」
「そうだったの! パソネス家の絹糸は、質ならどこにも負けませんわ!」
フェンダの表情が、ぱっと明るくなる。
まるで曇天を突き破るように、声に熱が宿った。
彼女は身を乗り出し、両手を使って語り始める。
繭の選別、糸の撚り、光沢の違い。
それはもはや令嬢の会話ではなく、家を背負った者の切実な弁舌だった。
――これはまずいですわね。
場の流れをどう修正するべきか思案していると、不意に――頭の奥に、ぞわりとした感触が走った。
『(あーあー、テステス。聞こえますかぁー)』
最初は、時折聞こえてくる“あの不快な声”かと思った。
だがすぐに、それがマヤの声だと気づく。
「――――」
表情を変えぬまま、視線だけをそっと彼女へ向ける。
マヤは、悪戯が成功した子どものように、口角をわずかに上げていた。
『(ストップ、ストップ。今イデアの脳内に直接話しかけてるから、フェンダの話を聞きながら、自然に聞いて)』
『(脳内に……直接? どういう仕組ですの!?)』
内心の悲鳴を押し殺しながら問い返す。
『(この前のお婆さんの店で、疎通の腕輪を買ったんだ)』
マヤはさりげなく右手を掲げ、細工の施されたバングルを示した。
――いつの間に、あんな物を。
『(十五メートル以内の相手と、意思疎通ができるアイテム。便利でしょ?)』
『(便利以前の問題ですわ……。それで、なぜ今これを?)』
気を抜けば、左目が戻ってしまいそうだった。
『(フェンダの実家の絹糸を、シュベルッツベルグ家で仕入れてほしいの)』
『(……それは、必要なことですの?)』
短く問い返すと、マヤの声音が少しだけ低くなる。
『(この時期のパソネス家は、かなり追い込まれているんだ。鉱山税の影響でね。その穴埋めのために、領民から税を搾り取るしかなくなってる)』
胸の奥が、ひやりと冷える。
『(結果だけ見れば、パソネス家はそれで立て直す。でも――その代償を払う村がある)』
『(……村?)』
『(うん。その村と秘密裏に取引してる人たちの中に、将来、聖女の仲間になる人物がいる)』
一瞬の間。
『(しかも――イデアにとってはかなりの強敵だよ)』
紅茶の香りが、やけに遠く感じられた。
甘い菓子と穏やかな笑顔に包まれたこのお茶会の裏で、すでに運命は、静かに歯車を回し始めている。
私は微笑みを崩さぬまま、カップに口をつけた。
その紅茶は、先ほどよりも、わずかに苦く感じられた。




