表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢のまま死んでたまるか! 偽聖女ですが、何か問題でも?  作者: 葉月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/45

第29話 悪魔契約

「……私の目と、繋ぐ……?」


 言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。

 困惑する私を愉しむように、老婆――悪魔は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「あんたが、聖女と殺し合う瞬間を――あたしゃ、この目で見たいんだよ」


 低く、ねっとりとした声。


「……だが、残念なことにね。あたしゃこの地下から出られない身でね」

「……」

「そこでだ。あんたとあたしゃの“目”を、悪魔契約で繋ぎ合わせるってわけさ」


 悪魔契約。


 その響きだけで、再び背筋に冷たいものが走る。

 無意識のうちに、全身に力が入っていた。


「あんたの左右どちらか一方の目と、あたしゃの目を繋ぐ。そうすりゃあ――」

「……私の視界を、あなたと共有できる、ということですのね」


 言葉を継いだのは、私自身だった。


 悪魔は満足そうに口角を吊り上げる。


「話が早いね。そういうことさ」


 ――つまり。


 私がこの目で見た光景を、この悪魔もまた、同時に見ることができる。

 喜びも、恐怖も、絶望も。


「……私に、何か実害はありますの?」


 念のため、尋ねる。


 悪魔は一瞬だけ考える素振りを見せ、すぐに厭らしい笑みを浮かべた。


「そうさねぇ……あんたの色々な瞬間を、あたしに覗かれるってのが、最大のリスクかねぇ」

「……」


 下卑た視線を向けられ、わずかな嫌悪が胸をよぎる。

 だが――その程度だ。


 私はちらりとマヤを見る。

 彼女は肩をすくめるだけで、特に問題はないと言いたげだった。


「……承知しましたわ」


 そうして私は、はっきりと告げた。


「その条件、お受けいたします」

「お、お嬢様!?」


 アールが目を見開く。

 だが、私はもう立ち止まらない。


 正気を疑われるのも無理はない。

 けれど――この呪われた運命を変えるには、悪魔と手を組むくらいが丁度いい。


 どうせ、運命(シナリオ)を変えられなければ、私に待つのは破滅の未来。


 ――今さら、悪魔が一匹取り憑いたところで、どうということはありませんわ。


 それどころか。


 この悪魔を“利用できる”機会を得たと考えれば――

 これは、案外、幸運なのかもしれない。


 ……そう、思うことにした。


「――契約は成立、ということでいいのかね?」


 湿った空気を掻き分けるように、老婆――否、悪魔は嗄れた声で念を押した。


「構いませんわ」


 私が迷いなく頷くと、老婆は喉の奥でくぐもった笑いを漏らし、もう一度、細い肩を揺らした。


「!」


 次の瞬間だった。

 老婆が前方――本来、何も存在しないはずの虚空へと手を伸ばす。


 ぐにゃり、と。


 まるで濡れた布を握り潰すかのように、空間そのものが歪んだ。

 老婆の腕は抵抗もなくその歪みに呑み込まれ、引き抜かれたときには、指先に中指ほどの小瓶が握られていた。


 透明な硝子瓶の内側で、どす黒い液体が、粘つくように蠢いている。


「これが【闇のしずく】さ。……飲めば状態異常――あんたの左腕を蝕んでいる“光壊”は解除される」


 その言葉に、私は思わず小瓶を見つめたまま息を止める。


「お婆さんの言ってることは事実だよ」


 横から、マヤが淡々と補足する。

 感情の起伏を感じさせない声が、逆にこの状況の異常さを際立たせた。


「……わかりましたわ」


 躊躇がなかったと言えば、嘘になる。

 だが、ここまで来ておいて、引き返す道など最初から存在していなかった。


 運命(シナリオ)を変えられなければ、待っているのは破滅。

 ならば、毒でも呪いでも、飲み干すだけのこと。


 私は小瓶の蓋を開け、中の液体を覗き込む。


 ――……本当に、これを?


 粘性のある黒が、光を吸い込むように揺らめいている。

 本日、何度目になるかも分からない生唾を、私は喉の奥へと押し込んだ。


「……お嬢様。本当に、そのような怪しげなものをお飲みになるのですか?」


 不安を隠しきれない声で、アールが問いかけてくる。


「マヤも問題ないと言っていますし……大丈夫ですわ」


 ――……大丈夫、ですわよね?


 念のため、もう一度マヤへ視線を向ける。

 彼女はにっこりと微笑み、軽い調子で親指を突き立てた。


 ――信じますわよ、マヤ。


「……ゔぅっ……」


 私は意を決し、小瓶の中身を一息に飲み干した。


 喉を通ったのは、潰れたゼリーのような、形容しがたい感触。

 ぬめりが食道を這い、胃へと落ちていく。


 正直、気持ちが悪い。

 だが、味も匂いもほとんどない。ただ、“汚らしいものを体内に迎え入れた”という、精神的な不快感だけが残った。


「……どう?」


 マヤの問いかけに、私は恐る恐る左腕を動かす。


「――痛く、ありませんわ」


 わずかに動かしただけで激痛が走っていたはずの左腕が、嘘のように静まり返っている。

 試しに、ゆっくりと肩から回してみる。


 ……痛みは、ない。


 そこに残っていたのは、失われていた感覚が戻ってきたという確かな実感。

 そして――取り返しのつかない一歩を踏み出したのだという、静かな予感だけだった。


「それじゃあ……次は、あたしゃとの契約の儀を執り行うとするかね」


 湿った声とともに、老婆――否、悪魔がこちらへ歩み寄ってくる。

 思わず私は一歩身を引き、自然と肩に力が入った。隣を見れば、なぜかアールまでもが私を庇うように半歩前へ出て、同じように身構えている。


「そう警戒することもないさ。命を削るような痛みがあるわけでもないからね」


 老婆は肩をすくめると、左手の人差し指――黒く異様に伸びた悪魔の爪で、自らの右手の人差し指を軽く引き裂いた。


「――っ」


 次いで、私の左の人差し指にも、その爪が触れる。

 ほんの一瞬、針で刺されたような刺激が走り、指先からぷくりと血が滲み出た。


 私と老婆は、血の付いた互いの指を、ためらいなく重ね合わせる。


 ――刹那。


 足元の床板が、音もなく闇に染まった。

 漆黒の幾何学模様が広がり、絡み合い、私と老婆の足下に魔法陣を形作る。


 まるで、物語の中の一場面。

 息をすることさえ忘れ、私はただその光景に見入っていた。


 相手が悪魔でなければ。

 この場に立つ自分を、神に選ばれし存在だと錯覚してしまいそうになるほど、荘厳で――そして、背筋の凍る美しさだった。


「汝、血の盟約に従い――

 我に左目を差し出し、受け入れることを誓うか?」


 低く、重く響く声。


「……ええ。誓うわ」


 短い応答の直後、足下から風が巻き起こった。

 渦を巻く冷気が、裾や髪を揺らし、魔法陣の光が一瞬だけ強まる。


 ――それで、終わりだった。


「……?」


 老婆はにやりと口角を吊り上げ、不気味な笑みを浮かべる。


「もう終わったよ」

「……え? これで、終わりですの?」


 あまりにも呆気なく、拍子抜けした声が漏れる。

 もっと痛みがあるのか、あるいは意識を失うのかと身構えていた分、現実感が追いつかない。


 だが――次の瞬間。


「お嬢様!?」


 アールの悲痛な叫びが、空気を切り裂いた。


「どうかしましたの?」

「……その……お嬢様の、目が……」


 言われて、私は慌てて近くの窓へ視線を走らせる。


「――!」


 硝子に映った私の左目は、老婆と同じ――

 ぐるぐると渦を巻く、異様な眼に変わっていた。


「……ちょっ、なんですの、これはっ!?」


 背筋を冷たいものが走る。

 このような不気味な眼では、日常生活に支障をきたすどころの話ではない。


 これから偽聖女を演じなければならないというのに、この目では聖女役を務める前に、異端として悪魔審問にかけられかねない。


「こんなことになるなんて、聞いてませんわよ!」


 思わず詰め寄ると、さすがの老婆も予想外だったのか、慌てて両手を突き出した。


「……お、落ち着きな。目はね、慣れりゃ自分の意思で切り替えられるようになるさ。試しに、左目に意識して力を込めてみな」

「……力? こ、こうですの?」


 半信半疑で言われた通りにすると、左目の違和感がすっと引いた。


 硝子に映るのは、見慣れたアクア・ティント色の瞳。

 だが、油断するとすぐに、あの気味の悪い渦へと戻ってしまう。


 ――……慣れるまで、相当厄介ですわね。


 一難去って、また一難。

 まったく、運命とはつくづく意地が悪い。


 それでも――左腕は、確かに元に戻っている。

 これで、父に「聖女の指輪が使えない」ことを悟られる心配はない。


 そう思い、私は胸の奥でそっと息をついた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ