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悪役令嬢のまま死んでたまるか! 偽聖女ですが、何か問題でも?  作者: 葉月


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第25話 睨み合う二人

「……」


 馬車に乗り込んでから、どうにも居心地が悪い。


 アールにマヤを紹介した。

 形式としては何の問題もなかったはずなのに、彼女の反応は、あまりにも硬かった。


 理由は、分かっている。


 私の隣に腰掛けたマヤが、やたらと距離を詰めてくるのだ。

 まるで縄張りを主張する猫のように、肩を寄せ、頬を近づけ、時には私の髪に顔を埋めてくる。


 そのたびに。


 ギリッ――。


 アールの口内から、聞き慣れない音が響いた。

 歯を噛み締める、微かな――けれど確かな音。


 私は気づかないふりをした。

 気づいてはいけない、と思ってしまった。


 それが、忠誠なのか。

 それとも――もっと危うい感情なのか。


 確かめてしまえば、きっともう、元には戻れない気がして。


「それでお嬢様。この馬車は、どちらへ向かわれているのでしょうか」


 静かな声だった。

 だが、いつもの柔らかさは影を潜め、言葉の端々に、冷たい刃のようなものが滲んでいる。


「正確な目的地が定まっているのであれば、お知らせください。御者へ伝えます」


 やはり、アールの機嫌は芳しくない。

 その声音だけで、はっきりと分かってしまう。


「……マヤ」


 私は隣に座るマヤへと視線を向けた。

 実のところ、私自身も目的地を正確には把握していない。


 マヤから告げられていたのは、ただ一言。


 ――街の北西へ。


 それだけだった。


 つまり、私たちの乗る馬車は、明確な行き先を持たぬまま、王都北西へと走っている。


「向かってほしいのはね」


 マヤは、驚くほどあっさりと言った。


「北西にあるスラムの入口。その近くまで、かな」

「――――!」


 スラム。


 その単語が車内に落ちた瞬間、アールの眼差しが鋭く研ぎ澄まされる。

 車内の温度が、わずかに下がったようにすら感じた。


「失礼ながら」


 低く、抑えられた声。


「シュベルッツベルグ家の令嬢であるイデアお嬢様を、まさか地下の掃溜めへお連れするおつもりではありませんよね?」

「そのつもりだけど?」


 刹那――。


「――ホリバン! 馬車を止めなさい! 今すぐです!」


 雷鳴のような怒声が車内を貫いた。


 直後、


 ヒヒィン――!


 耳を裂くような馬の嘶きが響き、


 ガタンッ。


 車体が大きく跳ねる。

 衝撃が収まった時、馬車は完全に静止していた。


「たとえお嬢様のご学友であろうとも!」


 アールの声は震えていた。

 怒りと、焦燥と、恐怖が混じった震えだ。


「あのような場所へ、お嬢様をお連れするなど――断じて、許されることではありません!」


 これほど激昂するアールを見るのは、初めてだった。

 それだけ、スラムという場所は恐ろしいのだろう。

 行ったことがないので、私には分からなかった。


「……本当に、イデアのことが大事なんだね」


 マヤが、どこか感心したように呟く。


「当然です!」


 即答だった。


「イデアお嬢様のためであれば、私は悪魔にだって魂を売る覚悟です!」

「うん。それを聞いて、ちょっと安心したかも」


 マヤは、くすりと小さく笑った。

 その笑みには、警戒を一つ下ろした安堵の色があった。


 本当は――。

 アールが“敵になる可能性”を、彼女なりに測っていたのだろう。


「でもね、ジェーンドゥ――」

「誰ですか、それは!」

「あ、ごめん。間違えた」


 てへ、と舌を出すマヤ。


 ……この緊迫した場面で、その軽さは反則ですわ。

 私は思わず額に手を当てたくなった。


「アールは、もう気づいてるんだよね?」

「……何を、ですか」


 一瞬、アールの言葉が詰まる。


「イデアの左腕が、まともに動いてないこと」

「……っ!」

「さっきもさ。馬車に乗る時、気づかれないように、自然に支えてたでしょ?」


 ……え?


 私は思わず、自分の左腕を見下ろした。


 そう言われて、ようやく思い出す。

 乗車の際、わずかに体勢を崩した私を、アールが何気なく――あまりにも自然に支えていたことを。


 まるで、それが当然であるかのように。


 私は、何ひとつ気づいていなかった。


 けれど。


 彼女は、ずっと見ていたのだ。

 私の不調を。

 私の弱さを。


 ――そして、それを誰にも悟らせぬよう、彼女は守ろうとしていた。


 胸の奥で、静かに、しかし確かな温もりが広がっていく。それは安堵とも、焦燥ともつかぬ感覚で、名を与えぬまま、ただ脈打っていた。


「……お嬢様の、左腕が動かなくなった責任は、すべて私にあります」


 アールの声は低く、かすれていた。自分に言い聞かせるように、あるいは罰を乞うように。


「あなたには、何の関係もありません」

「……そうだね」


 マヤはあっさりと頷いた。あまりに淡々としていて、残酷ですらある。


「イデアの腕がこうなった原因は、アールにある。それは間違いないと思うよ」


 その言葉に、アールの肩がわずかに跳ねた。否定も反論もなく、ただ受け止めるしかないと知っている者の反応だった。


「だったら尚更さ。治してあげたくないの?」

「……治す?」


 縋るように問い返した声は、あまりにも脆い。


「このままだと、いずれイデアのお父さんにも知られるよね。ひょっとしたら――」


 マヤは肩をすくめる。


「――あの執事長とメイド長のことだから、もう気づいてるかもしれないけど。正式に報告される前に何とかしないと、困るのはイデアじゃない?」

「……なぜ」


 アールの瞳が揺れた。


「……なぜ、執事長やメイド長のことを、あなたが知っているのです」

「色々と知ってるよ」


 微笑みながら、マヤはさらりと言ってのける。


「あの二人が、アサシン教団から送られてきたアサシンだってことも含めてね」

「――っ!?」


 アールは息を呑んだ。その表情は驚愕よりも、むしろ恐怖に近い。己の世界の根幹を、いとも容易く踏み荒らされた者の顔だった。


「……あなたは」


 声が震える。


「あなたは、一体……何者です」

「イデア=シュベルッツベルグのファンにして親友」


 マヤは指を立てて、楽しげに言う。


「――彼女を幸せにするためにやって来た、愛の使者。マヤ=キリング。とだけ、名乗っておこうかな」


 ……親友?


 聞いていませんわよ。


 それに、愛の使者って……。

 いったい、何ですの……それは。


「あな……も……」


 アールの唇が、かすかに動いた。


「……アサシン教団?」


 ほとんど吐息のような呟きだった。それでも、その一言を、私もアールも聞き逃さなかった。


「(イデアから“ジェーンドゥ”の話を聞いた時から、そうだろうとは思ってたけど……やっぱりね)」


 マヤが見定めるような目でアールを見ていた。


「(逆算すると、彼女はいま十四歳。そんな年で教団から側仕えに抜擢されるなんて、どれだけの“選別”を潜り抜けてきたんだか。……そりゃ、強いわけだ)」


 ゴクリ、と生唾を飲み込む音がした。


 アールだった。


 彼女は無意識のうちに袖口へと指を忍ばせ、そこに隠した暗器に触れていた。ほんのわずかな動き。それでも、彼女の内に渦巻く警戒と恐怖が、如実に表れている。


「アール、おやめなさい」


 私が静かに制した。


「……で、でも」


 額から大粒の汗を流しながら、アールは私とマヤを交互に見つめる。その視線は、まるで拠り所を失った子どものようだった。


「わからないかな」


 マヤの声が、少しだけ柔らぐ。


「あたしは、君と同じだよ」

「……同じ?」

「そ。数少ない、イデアの仲間」


 その言葉に、アールは目を閉じた。

 何度も何度も、胸の内で反芻するように、考え込む。


 ――信じていいのか。

 ――疑うべきか。

 ――それでも。


 やがて、ゆっくりと瞼が開かれる。


「……お嬢様の左腕」


 震えを必死に抑えた声だった。


「治せると……言ったのは、本当ですか?」

「絶対、とは言えない」


 マヤは正直に答える。


「でも、高い確率で治せるとは思ってる」

「……」


 沈黙。


 その短い間に、アールはすべてを賭けた。己の誇りも、疑念も、恐怖も――何より、イデア以外の世界を。


 そして、小さく頷く。


「……わかりました」


 声は、もう逃げ場を探していなかった。


「ただし、条件があります」

「なに?」

「スラムには、私も同行します」

「いいよ」


 即答だった。


「でも、着替えてね」

「……着替え?」


 そう言うや否や、マヤは私の外套に手を伸ばし――


 バッ、と勢いよく、その前を開けた。


「――――――」


 シュベルッツベルグ家の令嬢として、あるまじき服装。


 それが白日の下に晒された瞬間、馬車の中に、断末魔めいた叫びが轟いた。


「いやぁああああああああああああ!?」


 どうやら、私の服装は、アールの精神に致命的な一撃を与えたらしい。

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