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悪役令嬢のまま死んでたまるか! 偽聖女ですが、何か問題でも?  作者: 葉月


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第24話 隠しキャラ

「……本当に、これを着る必要がありますの?」


 現在――私が身に纏っているものは、かつて舞踏会で袖を通した絹やレースとは、あまりにも隔絶した衣服だった。


 くすんだ茶色の長衣は、何度も繕い直された跡がそのまま残り、布は疲れ切ったように身体から無骨に垂れ下がっている。腰には汚れの染みついた生成り色の前掛けが結ばれ、洗っても落としきれなかった生活の痕跡が、恥じることもなく刻み込まれていた。


 頭には粗い布を巻き、丹念に手入れしてきた髪は一筋残らず覆い隠されている。

 指先には擦り切れた手袋。

 足元には、革が硬くなり、足に馴染むより先に屈してしまった古靴。


 ――それらは「貧しさを装う」ための衣装ではなかった。

 そこに生きる者が、そうであるほかなく纏い続けてきた、現実そのものだった。


「うん。イデア、すっごく似合ってる」

「似合っていませんわよ! というか、似合いたくもありませんわよ!」


 本当に、屈辱以外の言葉が見つからない。

 もしこの姿をお父様に見られたら――そう考えただけで、背筋を冷たいものが駆け下りる。


「姿勢と歩き方も、それっぽくしてね。あの人たち、そういうところにすごく敏感だから」

「……っ」


 背筋を伸ばせば、即座に「育ち」が露見するという。

 私は意識的に肩を落とし、歩幅を狭め、視線を伏せた。身体に染みついた矜持を、無理やり押し殺す。


 ――これで、私はただの下町の女。


 そう、自分に言い聞かせ――


「じゃあ、行こっか」

「ちょ、ちょっと待ってくださいまし!」

「……なに?」


 私と同じような装いのまま部屋を出ようとしたマヤを、慌てて呼び止める。

 振り返った彼女は、きょとんとした表情で首を傾げた。


「その格好で……寮の中を歩くおつもりですの?」


 ――無理ですわ。

 断じて無理。

 この姿で寮内を歩き回るくらいなら、そこの窓から飛び降りた方が、まだマシというものだ。


「そだね。この格好で寮内を歩くのは、さすがに目立つよね」


 そう言って、さっと外套を羽織るマヤ。

 その仕草を見て、私は心底から安堵の息を吐いた。


 ――良かった……。

 彼女にも、最低限の常識はあったようだ。


 私も持参していた外套をしっかりと身に纏い、中の衣服が一切見えていないかを姿見で何度も確認する。

 そうして頭の布を取ったところで、ようやく覚悟を決めて部屋の扉へと向かった。



 ◆

  


「き、緊張しましたわ……」

「あははは――寮の中を歩いただけじゃん。イデアは大袈裟だよー」


 ――私がおかしいんですの?

 いいえ、断じて違います。

 おかしいのは、この子の感覚の方ですわ。


 寮生とすれ違うたび、誰もが私の外套の下に隠された秘密を見透かしているのではないか、そんな被害妄想にも似た不安が胸を締めつける。

 そのたびに、喉の奥がきゅっと縮み、背中に冷や汗が滲んだ。


 ほんの数分――されど数分。

 寮館の扉を抜けるまで、生きた心地がしなかった。


「早く……馬車に乗り込みたいですわ」


 自然と足取りは速くなる。

 やがて中庭の先に、見慣れた馬車が姿を現した。


 そして――


 その傍らには、私の帰りを待っていたアールがいた。

 まだ距離があるというのに、彼女は私の姿を認めるや否や、深々と頭を下げる。その律儀な所作に、胸の奥が少しだけ温む。


「――ええぇぇっ!?」


 次の瞬間。


 隣を歩いていたマヤが、怪鳥の悲鳴のような声を上げた。


 驚いて視線を向けると、彼女は目を見開いたまま、その場に縫い留められたように固まっている。


「……な、なんでぇ!? どうしてぇ!? 隻眼のジェーンドゥが、あんな所にいるの!?」

「……?」


 隻眼の……ジェーンドゥ?


 聞き覚えのない名に、思わず眉をひそめる。


 ――誰ですの、それは。


 マヤの視線を追って顔を上げると――そこにいたのは、眼帯をつけたメイド、アールだった。


「……」


 マヤは息をすることすら忘れたように、ただただ彼女を凝視している。


「ちょ、ちょっとイデア、来て!」

「――え? な、何ですの!?」


 有無を言わさず手を引かれ、私はアールに背を向ける形で引き寄せられた。

 そのままマヤは、信じられないものを見たかのような表情で、早口に問いかけてくる。


「なんで隻眼のジェーンドゥが、イデアの馬車の前にいるの!?」

「……隻眼のジェーンドゥ? 誰のことをおっしゃっているのですの……?」

「誰って……あの人だよ! あの人!」


 マヤの指差す先を見ても、やはりそこにいるのはアールだけだった。


「彼女は、地下牢で実験台にされていたメイドですわよ?」

「ええ!? うそ!? 隻眼のジェーンドゥって、元々シュベルッツベルグ家のメイドだったの!? そんなの、設定資料集にも載ってなかったんだけど!」


 ひどく狼狽え、言葉を早口にまくし立てるマヤ。

 私は一度、落ち着くようにと手振りで制し、深呼吸を促した。


「……順を追って、分かるように説明してくださいまし」


 少し間を置いてから、マヤは言った。


「彼女は本来、聖女側の仲間として登場する隠しキャラの一人――隻眼のジェーンドゥなんだ」


 ――聖女側の、仲間。


 その言葉が、胸の奥に冷たい波紋を落とす。

 私は思わず、息を呑んでいた。


 なぜなら、いまアールは――

 間違いなく、私の傍にいるのだから。


「あの子が……私を裏切ると……そうおっしゃいますの!」


 思わず声が荒ぶった。

 胸の奥から湧き上がった感情を抑えきれず、私は叱りつけるようにマヤを睨みつけていた。


 そんなこと、あるはずがない。

 あの子が――アールが。


「裏切るかどうかは、あたしにも分からないよ」


 けれどマヤは、感情に任せた私の視線を正面から受け止めたまま、静かに言葉を継ぐ。


「でもね。本来、隻眼のジェーンドゥは“特殊発生するサブクエスト”でしか仲間にできない、完全な隠しキャラなんだ」


 淡々と語られるその声は、まるで既に決まっている運命を読み上げているかのようだった。


 マヤの語る“別世界”のアール――隻眼のジェーンドゥは、過去に凄惨な拷問を受け、その代償として、ほとんどの記憶を失っていたという。


 名前も、出自も、帰る場所も。

 残っていたのは、身体に刻まれた無数の傷と、隻眼であるという事実だけ。


 行く宛を失った彼女は、冒険者となった。

 記憶はなくとも、彼女には異様と言えるほどの戦闘センスがあり、剣を握れば迷いなく敵を斬った。


 記憶を失う以前、彼女が何者だったのかは分からない。

 だが、身体中に残された生傷と、隻眼という特徴が、どれほど苛烈な修羅場を生き抜いてきたかを雄弁に物語っていた。


 実際、冒険者としての彼女の等級は――黒等級。数多の冒険者の中でも、ほんの一握りしか辿り着けない頂点だった。


 記憶を失ってなお、彼女はいつも誰かを探していたという。

 その“誰か”が何者なのか、自分でも分からぬまま。


 そして時折、左目の眼帯にそっと触れ、まるでそこに何か大切なものが残っているかのように、愛おしそうに撫でていた。


 そんな彼女と聖女は、とある地下牢(サブクエスト)で出会う。


 瀕死の重傷を負い、動けなくなっていたジェーンドゥを、聖女が癒しの力で救ったその瞬間――閉ざされていた記憶の扉が、ほんのわずかに開いた。


『……おじょう……さま……』


 か細く、震える声。

 それが彼女の口からこぼれ落ちた、心の声だった。


 聖女の力を目にした瞬間、彼女は確信してしまったのだという。

 自分がずっと探していた存在は――聖女なのだと。


 それ以来、隻眼のジェーンドゥは半ば強引に、聖女パーティに同行するようになる。


「……では」


 喉が、ひどく乾いていた。


「本来の世界線でも……アールは、死んでいなかったということですの?」

「うん。そうなるね」


 地下牢で命を落としたと思われ、執事長か、あるいはメイド長によって“処理”されたはずのアール。

 けれど彼女は生き延び、その後――冒険者になっていた。


 そして。


 本物の聖女と、私を取り違える。


 その結果、私とアールは――知らぬ間に、避けがたく敵対する運命へと転がり落ちていく。


「……一体……どんな悲劇ですの……」


 思わず、そう呟いていた。


 胸の奥で、何かが軋む音がした。

 それは怒りでも恐怖でもなく――抗えない運命に対する、静かな絶望だった。


「そんなに落ち込むことはないと思うよ」


 肩を落としたままの私に、マヤが柔らかな声音で声をかけてくる。

 つい先刻まで取り乱していたのが嘘のように、彼女はもういつもの軽やかな調子に戻っていた。


「少なくとも、今は仲間なんだよね?」

「ええ……それは、間違いありませんわ」

「それにさ。記憶も失っていないんでしょ? だったら、本物の聖女とイデアを取り違えることもない。……意外と、問題ない未来なのかもよ」


 そうであれば、どれほど救われるだろう。


 だというのに、胸の奥に残った重石は、簡単には消えてくれなかった。


 一度も会ったことのない“本物の聖女”。

 彼女の存在を、私はもう――理由もなく、嫌悪しかけている自分に気づいてしまったからだ。


「……それよりさ」


 ふいに、マヤが声の調子を落とす。


「ちょっと気になることがあるかも」

「どうか、なさいましたの?」


 彼女は先程から、何度も視線を背後へ投げていた。

 その先には、馬車の傍らに控えたまま、微動だにせずこちらを見つめるアールの姿がある。


「……気のせいかな? あの人、さっきからずっとあたしのこと睨んでない?」

「睨んで……?」

「なんかね、こう……ビンビンに敵意を感じるんですけど!」


 半ば冗談めかした言い方だったが、マヤの声音にはわずかな戸惑いが混じっていた。


「気のせいですわ」


 私はそう言い切り、話を打ち切るように踵を返す。

 余計なことを考えさせる必要はない――そう、自分に言い聞かせながら、再び馬車へと歩みを進めた。

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