第20話 学園寮
「学園というより……長閑な田舎、という感じですね」
馬車の揺れに身を預けながら、アールがぽつりと呟いた。
私にとっては見慣れた、いつもの景色だが、彼女にとっては物珍しいのだろう。
先程からずっと、子どものように目を輝かせて窓の外を眺めている。
「確かに、そうですわね」
王立ヒステリック学園の寮は、学園の敷地に面して建てられている。
――もっとも、“敷地”という言葉で片づけるには、あまりにも広すぎる。
学園の領域は森や丘陵をも含み、小さな街であれば丸ごと呑み込んでしまうほどの広さを誇る。
建物の数も多く、初めて訪れた者ならば、ここが学園だとは思わないかもしれない。
「馬車がない生徒さんは、毎朝通うの大変じゃないですか?」
素朴な疑問、といった口調でアールが首を傾げる。
「そんな生徒、いませんわよ?」
「……そうなんですか?」
王立ヒステリック学園は、れっきとした貴族学校である。
王国貴族はもちろん、毎年のように他国からも名門の子弟が留学してくる。
理由は単純だった。
ここアストラル王国は、古くから“勇者の国”と呼ばれている。
歴代勇者の多くが、この国の出身者だったからだ。
対して、歴代の聖女はというと――その多くが、レイヴァス教会の総本山を擁する聖レイス法王国の出身者である。
そして、初代勇者と聖女が出会ったとされる場所こそ、この王立ヒステリック学園。
その逸話ゆえに、この学園は“出会いと平和の聖地”として、世界中の貴族から特別視されている。
「寮生の方は、どうしているんですか?」
「学園側が御者と馬車を大量に用意していますわ。学生は基本的に、それを利用します。個人で御者や馬車を持ち込む方のほうが、よほど珍しいですわね」
そもそも、王都に別邸を構えられる貴族など稀だ。
我がシュベルッツベルグ家のような大貴族でもなければ、学園に通う生徒は自然と寮生活になる。
学園内の屋敷を借りるという選択肢もあるが、それすら許されるのは高位の者だけ。
――特別であることは、当たり前ではない。
事実、ヒステリック学園の生徒の九割以上が寮生だ。
アールは「へえ……」と小さく感嘆の声を漏らし、再び窓の外へと視線を戻した。
「では……やはり、私のような平民は通えないのですね」
アールは窓の外から視線を離さないまま、ぽつりとそう呟いた。
「そんなこと、ありませんわよ」
思わず、私は即座に言葉を返していた。
「……え? でも、貴族学校なのでは?」
驚いたようにこちらを見るアールに、私は小さく頷く。
「ええ、確かに貴族学校ですわ。けれど――何事にも、例外はありますの」
言葉を選びながら、私は続ける。
「身分に関係なく、優秀だと判断された者は迎え入れられますわ。もっとも……その分、門はとても狭いですけれど」
それは平民にとって希望であると同時に、残酷な現実でもある。
才能がなければ、努力だけでは届かない世界。
だが、ゼロではない。それだけで、人は前を向ける。
会話をしているうちに、やがて初等部の第三寮が見えてきた。
白壁に蔦が絡み、落ち着いた佇まいをした建物だ。子どもたちの生活の場とは思えぬほど、静謐な空気をまとっている。
「ここで待っていてくださるかしら」
「畏まりました」
馬車を降り、私は一人で初等部の第三寮へと足を向ける。
本当なら、アールを同行させても問題はなかった。
けれど――。
マヤとの会話は、できるだけ聞かれない方がいいですわね。
マヤの存在と知識は、あまりにも異質だ。
ましてや、アールは感情の機微に敏すぎる。
余計な不安や、誤った解釈を与えたくはなかった。
背後に残した気配を、振り返らずに感じながら、私は寮の門へと向かう。
――ほんの少しだけ、彼女の視線が背に突き刺さっている気がした。
第三寮の敷地を歩いていると、庭園の奥から、刃物を打ち合わせるような声が聞こえてきた。
「あなた、一体――何様ですの?」
「平民出の下級貴族の分際で……ご自分の立場というものを、もう少し弁えるべきですわ」
「あなたのように品性に欠ける人間が側にいるだけで、イデア様が周囲からどう見られるか……考えたことはありますの?」
――……え?
胸の奥で、ひくりと何かが引きつった。
今、確かに――わたくしの名が呼ばれましたわよね?
気づけば私は、音のする方へと足を向けていた。
クレマチスとローズマリーが咲き乱れる、手入れの行き届いた庭園の一角。そこに、見覚えのある三人組の姿があった。
教室で、やけに熱心な視線をこちらへ送ってくる少女たち。
ワルドナルク家のアメリア。ドリスマン家のミゼル。そしてパソネス家のフェンダ。
――伯爵、子爵、男爵。
順序立てて思い出せるあたり、自分でも嫌になるほど、この学園の序列に慣れてしまっている。
「ミゼルの仰る通りですわ。あなたはもう少し……ご自分の立場を理解なさるべきです」
そして、その視線と悪意の中心に立たされているのは――
マヤ=キリング。
私が今日、ここへ足を運んだ理由そのもの。
呪われた運命を打ち砕くための、重要人物。
――予言者マヤ。
……しかし。
「……あれは、一体……どういう状況ですの……」
本来であれば。
格上の貴族に囲まれ、責め立てられるこの構図は、萎縮と沈黙で終わるはずだ。
貴族社会では、あまりにもありふれた“教育”の光景。
だというのに。
マヤは――笑っていた。
それも、貼りつけたような愛想笑いではない。
心の底から愉快そうに、彼女たちの言葉を浴びている。
さすがは、私を本気で恐れさせた元狂人ですわね。
思わず、苦笑が漏れる。
「さっきから……何を、ヘラヘラしているんですの!」
「私たちをバカにするのも、大概になさい!」
「言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいでしょう!」
彼女たちの声は次第に荒れ、苛立ちが隠せなくなっていく。
――当然だ。
怒りを向けている相手が、恐れも屈服も示さないのだから。
困惑と苛立ちを滲ませる三人の顔を眺めながら、私は思う。
マヤと初めて相対した人間は、きっと誰しも、同じ反応をするのだろう。
つい一週間ほど前。
あの、常識も理屈も通じない邂逅を思い出し、喉の奥で、乾いた笑いが転がった。
「……そろそろ、止めに入った方がよろしいですわね」
小さく息を吐きながら、私は歩みを進めた。
このまま放置すれば、問題が生じるのはマヤではない。――彼女たちの方だ。
正確に言えば、精神の均衡を崩しかねない。自覚のないまま、取り返しのつかない一線を踏み越える危うさが、すでに漂っていた。
「あなた達、そこで一体何をしていますの!」




