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悪役令嬢のまま死んでたまるか! 偽聖女を演じて断罪&破滅エンドを叩き潰します!  作者: 葉月


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第13話 今は前日譚

 私はマヤの手を引き、もう一度ベンチへと腰を下ろした。

 先ほどと違う点があるとすれば――今度は、私のほうからマヤの手を強く握りしめているということだ。


 小さく、温かい。

 この手が、未来のすべてを知っている。


「それで……もう一度、聞きますわ」


 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


「私が幸せになる未来は……ありますの?」


 マヤは、すぐには答えなかった。

 視線を伏せ、握られた私の手を、きゅっと握り返す。


「……ルートはね。本当に、無限に近い数があったんだ」


 そこで言葉が切れる。

 その沈黙が、答えそのもののように重くのしかかった。


「……あたしが、見つけられなかっただけかもしれない! ううん、きっとそうだよ!」


 無理に明るく言い切るその声が、かえって痛々しい。


 ――ええ。分かっていますわ。


 それは、マヤの観測的希望でしかない。

 私を守るための、祈りのような言葉だ。


 恐らく前世の彼女は、私をこの因果の檻から救い出すために、何度も何度も選択をやり直したのだろう。

 それでも、救えなかった。


 もしここが本当に、彼女の言う“ゲームの世界”なのだとすれば。

 私の未来に用意されている結末は――どんな選択をしたとしても“死”、それだけしかないということ。


 自らの運命を受け入れる覚悟が、胸の底で静かに固まりかけた、そのとき。


「あっ……でもね!」


 マヤが、ぱっと顔を上げた。


「一つだけ……ゲームクリア後にも、イデアが生きていた世界はあったよ!」

「……え?」


 思わず、声が漏れた。


「そんな……そんな世界線が、本当にありますの?」


 “死なない未来”。

 私が、最後まで生きている可能性。


 諦めかけた心の奥に、ほんの小さな灯がともる。

 それがどれほど弱く、頼りない光であったとしても――闇の中では、あまりにも眩しかった。


「それで……それは、どのような未来ですの?」


 気づけば私は、身を乗り出していた。


 マヤは少しだけ、言いにくそうに視線を逸らし、それから――満面の笑みを浮かべる。


「聖女と勇者が魔王を倒したあとの世界でね」


 嫌な予感が、背筋をなぞる。


「裏ボスとして登場するのが――真の闇の女王イデアなんだよ!」

「…………へ?」


 裏……ボス?

 闇の、女王……?


 ――この、私が?


「これがね、魔王なんか比べものにならないくらい強くてさ! 裏ボスのイデア倒すの無理って言って、途中でやめちゃう人が続出したんだよ!」


 誇らしげに語るマヤとは対照的に、私の思考は完全に停止していた。


 ……生きては、いる。

 確かに、生きてはいるけれど。


 それは――果たして“幸せ”、と呼べる未来なのかしら。


 ちらりとマヤを見ると、心底嬉しそうに笑っている。


 ……きっと、良いことなのですわよね?

 ……そう、思うことにしておきましょう。


「でも、結局――裏ボスを倒しちゃったら、イデアは死んじゃうんだよね」


 その一言は、淡々としていながらも、胸の奥を正確に抉ってきた。


「……」


 魔王を討伐するその瞬間まで、命の猶予が与えられているだけ。 言い換えれば、死刑執行日が延期されただけに過ぎない。


 それでは、何ひとつ解決していない。

 運命の帳簿に書き込まれた結末は、依然として修正されぬままだ。


「でもね」


 沈黙を切り裂くように、マヤが続けた。

 その声には、諦観ではなく、確信に近い熱があった。


「あたし、ここ最近――色々と試してみて、分かったことがあるの」

「分かったこと……ですの?」


 思わず問い返す。

 マヤは大きく、はっきりと頷いた。


「ゲームの中ではね、自由度――つまり選択肢が限られてたんだよね。決められたルートを外れたら、即バッドエンド。みたいな。――でもね」


 彼女は指先で空をなぞるように、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「ここはゲームじゃない。だから――あたしたち次第で、何だってできちゃう」

「……それは、どういう意味ですの?」

「シナリオそのものを、あたしたちが書き換えられるってこと。好き勝手に、ね」


 胸の奥で、何かがかすかに軋んだ。恐れと、期待と、そのどちらでもある感情。


「あ、そうそう」


 マヤは思い出したように付け加える。


「ゲーム本編が始まるのは九年後。高等部に上がってからなんだ。つまり今は――前日譚」


 前日譚。


 その言葉を、私は静かに反芻した。

 高等部へ進学するまでの、長く、しかし有限な時間。

 本編が始まるその日までに、不安の芽を一つずつ摘み取り、聖女が現れる瞬間には、万全の布陣を敷いておく。


 ――それが可能だとしたら。


 それは、運命に抗う者からすれば、あまりにも大きなアドバンテージだ。

 こちらには、幾通りの未来を知るマヤがいるのだから。


「ちなみにね」


 マヤは軽い調子で笑った。


「前日譚は小説扱いだったから、そもそも選択肢すら存在しなかったんだよね」


 ――だからこそ。


 誰も想定していないこの時間こそが、最も自由で、運命に抗うには最高の舞台となる。


 私も、ようやく理解し始めていた。


 前日譚――だからこそ、マヤはこの時点で私に声を掛けてきた。


 運命の歯車が本格的に噛み合う、その直前。

 まだ誰の血も流れていない、静かな時間に。


「ひとつ……お聞きしても、よろしくて?」


 慎重に言葉を選びながら、私は口を開いた。


「うん。あたしが答えられることなら、何でも聞いて」

「この指輪を――取りたいのだけど……」


 そう告げて、私は再び左手を差し出す。

 白い指に嵌められた指輪は、まるで最初からそこに在るべきもののように、静かに光を湛えていた。


 マヤは視線を落とし、指輪を見つめ――そして、すぐに私の顔を見る。


「……取れないの?」


 小首を傾げ、不思議そうに問い返される。

 私はわずかに唇を噛み、「……ええ」と頷いた。


「……うーん」


 返答を受け、マヤはそっと腕を組み、低く唸る。

 思考の海に潜るときの、彼女特有の癖のようだ。


「そういえばさ。前日譚扱いになってる小説の中で、イデアが指輪を外そうとしてた場面、あったと思う」


 ――それですわ。


 胸の奥で、小さく火花が散った。


「それで……取れましたの?」

「出刃包丁で中指ごと切り落とそうとしたんだけど、寸前で太っちょメイド長たちに止められてたんだよね」

「…………」


 言葉が、喉の奥で凍りついた。


 ――まるっきり、今朝の私ではありませんか。


 本当に“私の物語”が、どこかに存在していたという事実に、背筋が粟立つ。

 だが今は、それに驚いている場合ではない。


 マヤのように、この指輪の正体を知る者と、今後出会わない保証はない。

 だからこそ、これを嵌めたまま外を歩くなど、絶対に避けねばならなかった。


「小説の中では、イデアが指輪を外している場面は無かったと思う。……あ、そっか!」

「何か……思い出しましたの?」

「聖女の指輪って、主人公――本物の聖女にとってのキーアイテムなんだよね」

「キーアイテム……?」

「聖女が一段階パワーアップするには、この指輪が必要なの。だから――」


 マヤは一拍置き、淡々と続ける。


「アレン殿下たちは、イデアを倒した後で、キーアイテムである聖女の指輪を手に入れるんだ」


 ――倒す。


 その言葉が、胸を深く抉った。


 あのお優しいアレン殿下が、剣を取り、この私に刃を向ける。

 想像しただけで、胸が張り裂けそうになる。


 本当は今すぐ、両手で顔を覆い、声を殺して泣き崩れたかった。


 けれど――それは許されない。


 私はイデア=シュベルッツベルグ。

 高貴なる血を引く、公爵令嬢。


 たとえ相手がマヤであっても、弱さを晒すわけにはいかないのですわ。


「ひょっとしたらね」


 マヤは、悪びれもせず言った。


「“イデアを倒して聖女の指輪を入手する”っていうイベントを成立させるために、最初から指輪は取れなくなってるのかも」

「……そんな、無茶苦茶ですわよ!」

「うん、無茶苦茶だと思う」


 けれど、と彼女は静かに言葉を重ねる。


「でも、これが因果律――シナリオの強制力なんだと思う」


 抗おうとする者を、逃がさぬための、見えない鎖。


 私は左手の指輪を見つめながら、

 この世界が思っていた以上に、冷酷で、用意周到であることを――否応なく理解させられていた。

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