第12話 シャクヤクの花
「……私の質問に、きちんと答えてくださいますわよね?」
疑念を隠すことなく、私は静かに念を押した。
「それは別に構わないけど。たぶん、イデアが本当に聞きたいことは――もう、ほとんど話してると思うよ?」
そんなはずはない。
マヤ=キリングという存在は、私にとって“未解決”どころか、“謎しか存在しない”相手だ。
学者が夜空を見上げ、答えの出ない宇宙の理に頭を抱えるように、私はこの少女一人に思考を振り回されている。
「……では、改めてお尋ねしますわ」
私は一拍、間を置いた。
「なぜ、これが“聖女の指輪”だと知っていましたの?」
その問いは、軽くない。
アレン殿下ですら把握していなかった、初代聖女の遺物。
王家の文書庫にすら断片的な記録しか残っていないその指輪を――マヤは、ひと目見ただけで言い当てた。
それを、偶然だとか勘だとかで済ませるほど、私は能天気でも間抜けでもない。
そっと、左手を差し出す。
マヤの視線が、自然とその指先へと落ちた。
宝石は、相変わらず角度によって淡く色を変えながら、静かに光を宿している。
「これは……初代聖女の指輪でしょ?」
「……ええ。正解ですわ。……ですから、それを“どこで知ったのか”と聞いていますの」
「ゲーム……って言っても、分からないよね」
「その“ゲーム”とは、何のことですの?」
「だよね。この世界には、テレビゲームないもんね」
――テレビ、ゲーム。
耳慣れない単語が並び、思わず眉根を寄せる。
意味が分からない、というより、概念そのものがこの世界に存在しない。
マヤは少し考える素振りを見せ、やがて軽い調子で続けた。
「じゃあさ。あたしが――この世界とは違う場所で生きてた記憶を持ってる、って言ったら。イデアは、信じてくれる?」
「……」
正直に言えば、信じられるはずがない。
そんな話、正気の人間が口にするものではないし、常識の範疇からも完全に逸脱している。
だが――。
ここで一蹴してしまえば、真実に辿り着く糸口そのものを失う。
私は一瞬だけ思案し、静かに答えた。
「……話だけは、聞いて差し上げますわ。真偽の判断は、その後です」
「オッケー。じゃあ、“そういう体”で話すね」
マヤは、どこか楽しそうに頷いた。
「前世のあたしが住んでた世界はね、地球って言って――」
そこから先の話は、想像以上に長く、そして――突飛だった。
【The Shining Destiny〜愛と光のメモリー】。
それが、前世のマヤが遊んでいた“ゲーム”のタイトルだという。
ゲームとは、彼女の言葉を借りれば、“物語を体験する娯楽”。
選択肢によって展開が変わり、登場人物の運命が分岐する。
小説や絵本に似てはいるが、読者ではなく“参加者”として物語に関わるものらしい。
――荒唐無稽。
そう切り捨てるのは簡単だった。
けれど。
彼女の語る内容は、あまりにも具体的で、あまりにも整合性が取れていた。
そして何より――私と、この指輪と、この世界の未来に関わることばかりだった。
胸の奥で、嫌な予感が静かに膨らんでいく。
……この話、冗談では済まされませんわね。
私は、無意識のうちに左手の指輪を握りしめていた。
一通り話を聞き終えたとき、私は本気で頭を抱えそうになっていた。
「……イデア?」
「申し訳ないけれど……少し、静かにしていただけるかしら……」
「うん」
マヤは素直に口を閉じた。
私はそっと立ち上がり、中庭の奥に咲き誇る白い花へと視線を向ける。
柔らかな陽光を受け、気品ある白を湛えるシャクヤク。
――花言葉は、“幸せな結婚”。
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
その言葉とはあまりにもかけ離れた未来が、やがて私を待っているのだと、彼女は言った。
――悪役令嬢。
それが、本来の私の役割なのだと。
マヤの語る“物語”の中で、私はこの世界でもっとも嫌われ、もっとも憎まれ、そして――もっとも忌み嫌われる存在だった。
否定したい気持ちは、確かにある。
私は残酷な人間ではない。
慈悲の心もあるつもりだ。
アールの左目を治してあげたいと思った、あのときの感情も――偽りではない。
けれど、マヤは淡々と、あまりにも冷静に告げた。
――それは、まだ私が“覚醒”していないからだと。
私はこれから、長い時間をかけて、ゆっくりと、確実に闇へと染まっていく。
本格的に堕ち始めるのは、高等部に上がってから。
九年後。
私の前に、“本物の聖女”が現れる。
私はその少女に、ありとあらゆる意味で嫉妬する。
才能、愛情、祝福、存在そのもの――すべてに。
やがて精神は摩耗し、壊れ、狂気に呑み込まれる。
――狂人。
それは、マヤ=キリングのことではない。
未来の私自身のことだった。
「……マヤ」
「なに?」
「私は……死ぬのかしら?」
「……うん」
「……そう」
不思議と、声は震えなかった。
馬鹿馬鹿しい話だ。
こんな荒唐無稽な未来予測、誰が信じるというのか。
いつもの私なら、鼻で笑って切り捨てていたはずだ。
――すべては、狂人マヤ=キリングの妄想だと。
けれど。
彼女の言葉は……おそらく、真実なのだろう。
なぜなら、彼女は聖女の指輪を言い当てただけではない。
国王陛下ですら知らない真実――
この世界に暗躍するアサシン教団の黒幕が、シュベルッツベルグ家であるということまで、正確に言い当てたのだから。
白いシャクヤクが、風に揺れた。
その花弁は、まるで私の未来を暗示するかのように、静かに、そして残酷なほど美しかった。
「……選択肢で未来が変わる。そう、言っていましたわよね?」
「うん」
「……でしたら。私が助かる未来も、存在するということなのかしら?」
選択ひとつで無数の未来が枝分かれしていくのなら。
その無数の枝の先に、私が幸せになる未来が、ひとつくらいあってもいいはずだ。
――そう、思いたかった。
「……」
マヤは俯いたまま、何も答えなかった。
沈黙が、やけに長く感じられる。
やがて、彼女がゆっくりと顔を上げる。
視線が重なった瞬間、私は息を呑んだ。
そこには、いつもの脳天気な笑顔はなかった。
代わりに浮かんでいたのは――あまりにも露骨な、同情の色。
「あたしね……イデアが、大好きなの」
唐突な告白に、胸の奥が小さく揺れた。
「友達はみんな、悪役令嬢のイデアなんて大嫌いだった。殺されて当然だって、笑ってた。……でも、あたしは違った」
言葉は途切れがちで、それでも必死に紡がれていく。
「だってイデアは、愛する人たちのために、必死で“聖女”を演じようとしていただけなんだよ。それだけなんだよ……!」
マヤの声が、震えた。
「みんな、本物の聖女が現れるまでは、イデアに頼りきりだった。怪我をするたび、病に倒れるたび、イデアのところへ来て……癒しの力で治してもらって」
私は、何も言えなかった。
「……本当は力を使うたび、イデアは苦しんでたのに。誰も気づこうとしなかった!」
胸の奥が、きしりと音を立てる。
「それなのに……全部なかったことみたいにして、偽聖女だって糾弾するんだよ」
マヤは拳を握りしめ、唇を噛んだ。
「……大好きな人を、あとから来た“本物”の聖女に奪われるんだよ? そんなの、辛いに決まってるじゃん……!」
感情が、ついに堰を切った。
「ずっと側で支えてきたのは、偽物でも……イデアなのに……!」
その声は、ほとんど叫びだった。
私は気づけば、そっとマヤの頭に手を伸ばしていた。
泣き出す寸前の子どもをあやすように、優しく。
――温かい。
胸の奥に、今まで感じたことのない熱が灯る。
私のことを、ここまで想ってくれる存在がいた。
未来の私がどれほど憎まれ、蔑まれる存在であろうと――この子だけは、違った。
この子を、狂人だと呼んでいた自分が、急にひどく恥ずかしくなる。
……本当に、どうかしていましたわね。
白いシャクヤクが、静かに風に揺れていた。
その花はもう、先ほどほど“残酷”には見えなかった。




