表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢のまま死んでたまるか! 偽聖女を演じて断罪&破滅エンドを叩き潰します!  作者: 葉月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/18

第10話 あ、聖女の指輪だ!

 マヤ=キリング。

 それが、この狂人女の名だ。


「……」


 突然やって来て隣に座ったかと思えば、それ以降、彼女は一言も発さなかった。

 視線だけを、静かに、執拗にこちらへ向けたまま。


 ――やはり、この狂人……理解不能ですわ。


 何を考えているのか分からない存在ほど、恐ろしいものはない。

 かつて父が、酒の席で零していた言葉を思い出す。


「厄介なのは、思考の読めぬ人間だ」


 なるほど。

 今なら、その意味が骨身に染みて分かる。


 そして――恐ろしいだけなら、まだ我慢できた。


 問題は、鬱陶しさだ。


 授業と授業の間、ほんの数分の休憩時間。

 気分転換のつもりで教室を出た私の背後に、気配がぴたりと貼り付いた。


 振り返らずとも分かる。

 マヤ=キリング。


 昼食の時間になっても、それは変わらなかった。

 食堂では、さも当然という顔で私の隣に腰を下ろす。


 それだけではない。

 お花を摘みに行く――つまり、お手洗いに向かうその瞬間でさえ、彼女は離れようとしなかった。


 ……ここまで来ると、もはや背後霊ですわ。


 こうなれば、こちらも手段を選んではいられない。


 お手洗いを出た私は、わざとらしく声を上げた。


「あ!」


 明後日の方向を指差す。

 釣られたようにマヤがそちらへ視線を向けた、その刹那――


 私は、全速力で逆方向へ駆け出した。


 誇り高きシュベルッツベルグ家の令嬢として、あるまじき行為であることは百も承知だ。

 だが、悪霊と化しつつある女から逃げるためなら、背に腹は代えられない。


「シュベルッツベルグ家の女を、なめるんじゃありませんわ!」


 廊下を疾走し、階段へ。

 私は躊躇なく身を投げるように駆け下りた。


 ――すたっ。


 幼い頃より、暗殺一家シュベルッツベルグ家の長子として、最低限の訓練は受けてきた。

 大人相手ならともかく、同年代の六歳児に後れを取るはずがない。


 ……そう、思っていたのだが。


「はぁ……はぁ……」


 十分に距離を取ったと判断し、足を止めて振り返る。


 そして――凍りついた。


「……な、なんで……」


 そこにいた。

 涼しい顔をしたまま、マヤ=キリングが。


 息一つ乱していない。

 まるで、散歩の延長ですとでも言いたげな佇まいで、じっと私を見つめている。


「どうなっていますの!?」


 私の問いに答える代わりに、彼女は一歩近づき――


「イデア、かわいい♡」


 そう言って、躊躇いもなく私の頭に手を置いた。


「――不敬ですわ!!」


 さすがの私も、堪忍袋の緒が切れた。


 男爵家の娘が、公爵家の令嬢の頭を撫でる。

 それは礼儀の問題ではない。越えてはならない一線だ。


 私はその手を叩くように振り払い、鋭く睨みつけた。


 しかし――


 当の本人は、まるで通じていない。

 だらしなく、楽しげな笑みを浮かべたまま。


 ――間違いありませんわ。


 この女、やはり……狂人ですわ。


「マヤ=キリング! あなたは一体、何者なんですの! どうしてわたくしに付きまといますの! わたくしに何か恨みでもあるのなら――今、この場でおっしゃいなさい!」


 堪え切れず、私は嵐のように言葉を叩きつけた。

 問いというより、もはや糾弾だ。


 だというのに。


 マヤ=キリングは、ただ、にこにこと笑っている。

 それも――先程より、どこか楽しげに。


「わぁー。本物だ!」

「……?」


 意味が分からない。

 この学園に、私の偽物でもいるとでも言うのだろうか。


 相変わらず、彼女の言葉は文脈というものを持たない。


「でも、まだ悪役令嬢として覚醒はしてないみたいだね」

「悪役……っ。あなた、失礼にも程がありますわよ!」

「本編のイデアはもっとすごいよ。闇が深くて、冷酷で、まさに悪役令嬢って感じ」

「意味が分かりませんわ! あなたの発言は、最初から最後まで意味不明ですの!」


 私の怒声にも、マヤは怯むどころか、こてりと小首を傾げた。

 まるでこちらが不可解な存在であるかのように。


「前に言わなかったっけ。この世界はゲームだって」

「……あなた、本気でそんな妄言を?」

「うん。本当だよ」


 ああ、やはり無理ですわ。

 会話が成立しない。


 これは気の迷いではない。

 明確な精神疾患です。

 重度です。


 ――距離を取らなければ。


 そう判断した瞬間。


「あっ! 聖女の指輪だ!」

「……え?」


 一瞬、脳が理解を拒んだ。


「わー、綺麗。本当に角度で光の色が変わるんだ」

「……」

「ってことは、もうアレン殿下とは婚約した感じ?」

「……………………!」


 言葉が、遅れて、刃のように胸に突き刺さった。


「――――――――!?」


 その瞬間、私は理解した。


 この女、知っている。


 知ってはならないことを。

 見てはならないものを。


 ひゃぁああああああああああああ!?


 声にならない悲鳴を胸の内で上げながら、私は反射的に後退した。

 一歩、二歩――気づけば、全力で。


 どんっ。


 背中が壁にぶつかり、鈍い音が響く。

 もう、逃げ場はない。


 マヤは変わらず、楽しげに微笑んでいる。


「やっぱり、幼少期のイデアって可愛い♡ あっ、安心して。高等部に上がっても、イデアはずっと可愛いから」


 ……だめですわ。


 この女。


 狂人などという生易しい言葉では、到底足りませんわ。


「……っ」


 喉の奥で、言葉にならない息が潰れた。

 判断は一瞬――いや、もはや思考ですらなかったのかもしれない。


 い、いますぐにでもこの女を始末しなければ……シュベルッツベルグ家は終わる。


 胸の内に浮かんだその確信は、理屈ではなく血の声だった。

 代々、暗殺を生業としてきたシュベルッツベルグ家。その血は、危機に際して迷いを許さない。私の中で眠っていたそれが、冷たく目を覚ましたのをはっきりと感じた。


「――――」


 言葉は不要。


 すぱっ、と乾いた音を立て、両手でスカートを払うようにまくり上げる。

 同時に、内腿に忍ばせていたナイフを二本、ほとんど反射のように投擲した。狙いはマヤの急所――否、正確には、その両脇をすり抜ける軌道。


 ナイフの柄頭はリング状になっており、そこには特殊加工された鋼糸が結びつけられている。

 私はその糸を手に取り、勢いよく引き戻した。


 二本のナイフが空中で交差し、鋭い軌跡を描きながらマヤへと舞い戻る。

 その動きに合わせ、私は手首を巧みに操り、鋼糸を彼女の身体へと絡め取った。


 ぎり、と音を立て、鋼糸が締まる。


 このまま力を込めれば、骨ごと引き裂くこともできる。

 それだけの威力を持つ代物だ。


 だが――相手は狂人とはいえ、同じ学び舎に通う同級生。

 痛みと苦痛は、最小限に抑えて殺す。それが、私なりの最後の慈悲だった。


 ならば、狙うべきは一つ。


 喉。


 袖口に隠していた三本目のナイフを滑り出させ、身動きの取れないマヤへと距離を詰める。


 刹那――


 ぱんっ!


「――――!?」


 乾いた破裂音と同時に、私の視界の先で鋼糸がはち切れた。


 一度絡め取られれば、大人でさえ振りほどくことなどできない鋼糸を、マヤは――顔色一つ変えず、いとも容易く断ち切っていたのだ。


「あ、ありえないですわ……!?」


 喉が引き攣り、声が裏返る。


 ブラックスパイダーの糸を芯に使った、特別製の鋼糸。

 刃でも斬るのが困難なそれを、六歳児の力で引き千切るなど――論外。


「ば、化物めっ……!」


 恐怖に竦みかける脚へ、無理やり力を叩き込む。

 私は後方へと跳び、一気に距離を取った。


 一呼吸。

 肺に冷たい空気を押し込み、思考を強引に立て直す。


 次の瞬間、私は高速移動に入った。


 床から壁へ、壁から天井へ。

 縦横無尽に跳躍し、視界の端にしか映らぬ速度で空間を駆ける。


 ――さすがの化物も、この速さには追いつけないはずですわ!


 事実、マヤ=キリングは反応できず、その場に立ち尽くしていた。


「――もらいましたわ!」


 死角から飛び出し、マヤの喉元へナイフを突き出す。

 刃はそのまま、柔らかな肌を貫――


 ……通さない?


「う、うそ……?」


 ナイフは、マヤの喉元の手前で、ぴたりと静止していた。


「……そ、そんな……あ、ありえないですわ……」


 私の必殺の一突き。

 高速移動から繰り出した、完璧なはずの攻撃を――マヤは、人差し指と親指だけで、まるで小枝でも摘むかのように挟み取っていたのだ。


 指先から伝わる感触は、肉ではない。

 硬質で、冷たく、そして――底知れない。


 背筋を、氷水が這い下りた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ