第8話 分岐点
セシリアは街道を踏みしめる。
慣れない徒歩移動。
履き慣れない靴――のはずだった。
だが、足取りは妙に軽い。
靴擦れの気配もない。
――まずは靴からだ。
無愛想な声が、ふっと蘇る。
あの夜。
何も言わず膝をつき、リオルは彼女の足に触れた。
冷たい指先。
けれど、触れ方だけは妙に丁寧で。
「……彼なりに、紳士なのかしら……」
小さくこぼして、セシリアは歩みを速めた。
でも。
洗濯のためとはいえ、
嫁入り前の皇女の服を脱がせて。
素足まで、あんなふうに触っておいて。
――そのくせ、素っ気ない。
あの男らしいと言えばいいのか、投げやりと言えばいいのか。
「……本当に、もう……」
言葉の続きは、息に溶けた。
街道の先で、鳥が一斉に飛び立つ。
セシリアは、わずかに歩調を上げた。
───
ローレイド伯爵家先遣隊。
森の南縁。
フェリクスは、街道の先を静かに見据えた。
「皇女の生死は、まだ定かでないな」
「は。確定しておりません」
副官の即答に、フェリクスは小さく息を吐く。
――だが、やることは変わらない。
宰相からの捜索依頼。
生存の見込みが、高いのだろう。
そして、この一帯なら――
使う道は限られる。
視線を上げる。
ここまで街道を駆け上がり、残すは帝都へ続く一本道。
自分たちは騎馬。
皇女が生きているなら、馬車か、徒歩。
距離さえ詰めれば、捕捉は時間の問題。
「仮に誘拐の場合、戦闘もあり得る。固まって動く」
即断だった。
副官がわずかに目を見開く。
「追撃を優先なさいますか」
「ああ、そもそも街道にいなければ、もう死んでいる可能性が高い。脇道は、捨てる」
短い判断。
「全騎、前進」
号令が落ちた。
騎馬が一斉に石を蹴る。
土煙が低く広がった。
───
四頭立ての公爵家馬車が、街道を疾走していた。
車輪が石畳を激しく打つ。
だが速度は落ちない。
「次の宿場まで、あとどれくらい?」
車内で、お菓子をつまみながらメイリーンが地図を睨んだ。
「順調なら半刻ほどです」
向かいに座るベアトリスが即答する。
メイリーンは小さく頷いた。
「予定通りね。馬の交換も遅れてない」
この馬車は、すでに二度、馬を替えている。
宿場ごとに待機させた予備馬へ。
速度を落とさないための、強行軍だった。
指先で、地図の一点を叩く。
「ここ。魔王の森南縁。このあたりから足取りが消えてる」
「……魔王の森に入った可能性は?」
「わたくしは、それだと思う」
「……では、皇女殿下は……」
「生存の可能性が高いわ」
「なぜです?生きて帰れない場所だと聞きます」
「あそこの魔王は……悪い者じゃないのよ」
呟くと、お菓子を一口。
空っぽになった菓子箱。
「……お嬢様、食べ過ぎです」
メイリーンの瞳が、わずかに細まる。
「大丈夫――セシリア皇女に作ってもらうから」
短い宣言。
「ベアトリス」
「は」
「次の宿場で、諜報班に早馬。森南縁の動きを洗って」
「承知」
間髪入れない返答。
ベアトリスは直ちに命令書をしたため始める。
メイリーンは、そっと新たな菓子箱を取り出した。
◇◇◇
街道。
風向きが、変わった。
セシリアは、わずかに足を止める。
前方。
街道は、そのまま帝都へ続いている。
――見晴らしが、よすぎる。
ほんの一瞬。
あの夜の低い声が、脳裏をかすめた。
――その靴なら、川沿いも山道も歩ける。
指先が、わずかに強張る。
「……もう」
小さく息を吐いた。
観念したように、街道脇へ視線を滑らせる。
踏み固められていない、細い脇道。
森の縁へ沿う、目立たない迂回路。
普通なら、選ばない。
だが。
セシリアは、迷わなかった。
外套の裾を押さえ、静かに進路を外す。
石畳を離れ、土の感触が靴裏に移った。
それでも――
足取りは、軽いままだった。
(……この靴のおかげだわ……)
フードの奥で、小さく呟く。
(……ここまで……私に合わせてくれたんだ)
誰に向けた言葉でもなく。
セシリアは、そのまま細道へと消えていった。




