第7話 公女メイリーン(8歳)、動く
街道には、まだ夜の名残が漂っている。
大切な側近たちを亡くし、いまは一人も残っていない。
「私が、行かないと……」
フードを深くかぶり直し、セシリアは歩みを進める。
腰の皮袋が目に入ってしまう。
「どうしよう……悲しい……」
足元が、滲む。
一歩、また一歩。
記憶が、浮かんでは消える。
彼らの笑顔と、最期の決意。
「なんで、耐えられていたの……?」
泣かずにいられた理由を、ようやく理解した。
ふと、脳裏をよぎる。
ヤマトの大きな背。
リオルの不器用な優しさ。
静かな家の、あの温かい空気。
ちゃんと、別れられた。
そう思ったはずなのに。
ぽたり、と涙が落ちる。
フードの縁に当たって、もう一粒、こぼれた。
「やだ……」
小さな声が、白む空へ吸い込まれる。
泣くつもりなんてなかった。
泣いたところで、戻っていいわけじゃないのに。
「リオル……」
名前を呼んだ瞬間、胸がいっそう痛くなった。
足を止めると、風がフードを揺らした。
まるで「行け」と背を押されるように。
セシリアは震える指で涙をぬぐい、そっと顔を上げる。
東の空が、ほんのりと金の色を帯び始めていた。
足を止めたら、あの家に戻りたくなる。
だから、泣き顔のままでも進むしかなかった。
――行かなきゃ。
小さく息を整え、再び歩き出す。
涙の跡はまだ乾かない。
それでも、前だけは見ていた。
───
一方、そのころ。
帝国の隣国、王国の都。
「ベアトリス、急いで!」
その中心をココアベージュの髪をふわふわ揺らしながら、八歳の少女が勢いよく歩いていく。
大通りは、昼下がりの陽光に照らされて宝石の粒のように輝いている。
「今日はセシリア菓子を買うんだよ!」
「お嬢様、あまり走ると危険です!」
白い騎士服を纏った四十代の女性――“白騎士”ベアトリスは、止めても無駄と判断し、長い脚で少女を追う。
彼女は心の中で嘆息する。
(まただ……まるで嵐です、お嬢様は)
公爵令嬢メイリーン、八歳。
限定菓子めがけて、朝一番で飛び出してきた。
「ほら見てベアトリス! もう着いた!」
ドゥルセ商会王都支店の扉を、メイリーンは勢いよく押し開けた。
ふわりと甘い香りが店いっぱいに広がる。
顔なじみの最上級客ということで、すぐに奥のVIP室に案内される。
「数量限定、セシリア皇女の焼き菓子が入荷したてでございます」
店員の言葉に、メイリーンの耳がぴくりと動く。
「それ! それよそれ!! 一箱ちょうだい!」
「お嬢様、落ち着いてください……!」
すでに遅い。
花形の焼き菓子をつまんだ少女は、そのまま口へぱくり。
「~~~っっ!! なっ、なんなの、これ……っ! 祝福のお菓子なの!?」
全身でおいしさを受け止めるように、その場でぴょんぴょん跳ねる。
「レディが床を踏み鳴らしてはいけません!」
「だっておいしいの! ベアトリスも食べて!!」
「任務中ですので……っ」
「じゃあ、わたくしが全部買うわ!」
「全部は買えません! 予算というものが!」
「あっ!そうだ! 他のお客さんの分も残しとかないとね!」
そんな賑やかなやりとりは、商会ではもはや名物になりつつあった。
そこへ、女性支配人がうやうやしく声をかける。
「商会長バルドが、お嬢様がいらっしゃったら連絡をと」
「バルドおじいさま!? うん、話す!」
通信魔導石が光り、響き渡る重厚な声。
『メイリーン嬢、ひさしぶりじゃな。バルドだ』
「メイよ! お菓子いつもありがとう!」
『こちらこそ、公爵家御用達にしてもらってありがたい』
「用事ってなあに?」
『ワシの孫、セシリア皇女が、魔王の森付近で行方をくらませた。保護の手を、極秘に頼みたい』
室内の空気が、凍りつくほどに張り詰めた。
一瞬、誰も息をしなかった。
「セシリア皇女が?」
『セシリアは、帝国で最も危険な目に遭っとる。娘に続いて、彼女までも……ワシは耐えられんのじゃ』
バルドの呻きに、メイリーンの瞳がゆっくりと見開く。そして、星のように輝いた。
「うん、任せて! こちらの諜報班を動かすわ! わたくしも今すぐ行くから!」
『おお、我らも安心よ。最強公女が自ら来てくれるとは。……む? おい待ちなさい、まだ依頼料の話が……!』
「じゃあ出るから切るね!」
返事を待たず通話を切る。
ベアトリスは慌てて声を荒げた。
「お嬢様、落ち着いて! これは遊びではありません!」
「遊びじゃないわよ! だって、セシリア菓子のお礼もしなくちゃ!」
深いため息をつきつつも、ベアトリスは決意する。
「条件があります。絶対に私から離れないこと。これは命に関わる任務です」
「油断なんてしないわ! 兵は神速を貴ぶって言うでしょ? まず兵糧補給!」
胸を張り、堂々と宣言。
「セシリア菓子、五箱ちょうだい!」
「お嬢様!? 食べ過ぎかと……!」
「いいの! 皇女様に会ったら、一緒に食べるの!」
止めるのはもはや不可能。ベアトリスは悟った。
「準備します。指示はございますか?」
「ええ! わたくしとベアトリスは旅行者に扮して街道を先行。それから、諜報班に連絡をつけて皇女周辺の情報を、取れるだけ全部!」
秒で決断すると、小さく呟く。
「大丈夫かな? セシリア皇女、怖い思いしてないよね……」
切り替えるようにメイリーンは胸いっぱい、息を吸い込んだ。
「よし、行くわよベアトリス!!
わたくしたちが絶対に助けるわ!」
宣言した瞬間、八歳の少女の瞳から“遊び”の色が完全に消える。
小さな背中が、陽光の大通りへ駆け出していった。




