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暗殺されかけた皇女、魔王と生き抜く  作者: 水戸直樹


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第6話 別れの朝

 今日、ここを出る。


 拠点のベッドでは、リオルが静かに眠っている。角の生えた黒鉄の兜だけが、薄明かりの中で鈍く光っていた。


 昼の彼は、ほとんどの時間、死んだように動かない。それを知るセシリアは、そっと足音を潜めてキッチンへ向かった。


 棚には見慣れない器具、瓶詰めの果実、そして乾いた香辛料の匂いが残っている。

 彼女は手際よく材料を集め、小さな果実の焼き菓子を作りはじめた。


(せめて、これくらいはお礼に)


 いつだって、お菓子は気持ちを込めて作っている。

 だけど、それ以上を……。


 ううん、込めすぎてもだめよね。

 生地が、固くなっちゃう。


 こねるより、なじませる。

 混ぜるより、切っていく。

 ふんわりと整えて、あとは。


 甘い香りが立ちのぼり、炉の中で生地がふくらむ。

 果実の甘酸っぱさが焦げ目に溶け、台所の冷たい空気がゆるく温められていく。


 焼き上がった菓子を、自分の名前が刺繍されたハンカチに包むと、指先が少し震えた。

 ほんの数日なのに、ここに自分の居場所がある気がした。


 帝都に戻れば、また陰謀と争いの世界。

 この静かな日々が、夢の一幕のように遠のいていく。


 もう会えないかもしれないのに。


 そう思うと、胸の奥にじんとした痛みが走った。


───


 リオルの実家、ローレイド伯爵家。


 宰相府の紋章を掲げた使者が、冷ややかな声で命を告げた。


「魔王の森周辺を捜索せよ。セシリア第三皇女発見の際には即、帝都へ送還されたし」


 使者が去ると同時に、当主アルデンが酒の杯を置き、低く笑った。


「宰相に恩を売れるな」


「父上、兵の指揮は私がとりましょう」

 次男フェリクスが進み出ると、母キリナが声を弾ませる。


「第三皇女は帝都随一の才色兼備。ご縁を得る、またとない機会ね」


 フェリクスは薄く笑う。

「たしかに……。発見して、会う機会さえ得られれば、私に気持ちを向かせることもできるでしょう」


 そう言って踵を返す瞳には、隠せない欲望の色が宿っていた。


───


 魔王の森の外れ、木々が途切れる場所。

 ここから先は街道――人の目に触れる世界だ。


 リオルはヤマトの背から軽く飛び降り、首をぽんと叩いた。


「お前はここまでだ。これ以上は見られる」


 ヤマトは大きな体を小さく丸め、上目遣いにリオルを見上げる。


 それから、ゆっくりと背から降りたセシリアの手に鼻先を寄せる。

 耳を伏せ、甘えるように彼女の手をつつく。


「ヤマト、送ってくれてありがとう。また、会えるといいね」


 くぅん……


 ヤマトは尾を落とし、名残惜しそうに彼女の匂いを確かめた。

 まるで「気をつけて」と言っているかのよう。


 その姿に胸が締めつけられる。


 リオルが苦笑する。


「ほら、褒美。……行くんだ、情が移る前に」


 もらったキノコを咥えたヤマトは離れがたそうに二人を見つめ――

 次の瞬間、風のように森の奥へと駆け戻っていった。


「……いい子ね」

 

 セシリアは呟き、霧の向こうへ消えていく影に手を振る。


 撫で損ねた手が残った。


 あの大きな背が、もう二度と見えなくなる気がして――目頭が熱くなる。


 ヤマトと別れてから、しばらくは無言。


 夜明け前の街道を二人は歩き続ける。


 時折の短い会話は、不思議と心地よかった。


「ねえ?なにか、しゃべってよ」


「なにか」


「……ふざけてるの?」


「……」


 主にはセシリアが話しかけるだけだったが。

 リオルに対しては、なぜか、“皇女らしさ”を出さなくてよかった。


 やがて、空が白み、鳥の声が遠くで鳴き始める。


「……俺も、ここまでだ」


 リオルが足を止めた。

 朝になれば、彼はまともに動けない。

 素顔が黒い兜の影に沈む。


「ありがとう」

 セシリアの声が、湿った朝霧に吸い込まれていく。


 風が通り過ぎた。


「……あの」

 セシリアがそっと上目に彼を見る。

「もし……私が行くところを失ったら……また、あの家に住ませてくれる?」


 冗談だろう?――とリオルは思った。

 けれど、彼女の瞳はまっすぐ。


「お前はうるさくないし、いるのは……べつに構わない」


「『お前』はやめて。名前で呼んで」


 ふくれたような頬に、リオルの瞳がかすかに揺れる。


「……わかった。セシリア、旅の無事を祈る」


 彼女は微笑み、懐からハンカチ包みを差し出した。


「これ、あとで食べて。あなたが寝ている間に焼いたの。……お礼に」


 リオルの手が、わずかに固まる。


「俺に、か」


「うん。だから……また行ってもいいって、忘れないでね」


 包みを大切そうに持ち直したリオルが短く答える。


「ああ。覚えておく」


 言った瞬間、黒鉄の兜の一つ目が、わずかに瞬いた気がした。


 セシリアはフードを深くかぶり、金の髪を隠す。


 霧の向こうへと、二人は別々の道へ踏み出した。


 夜明けの風が、森を抜ける。


挿絵(By みてみん)

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