表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔道具オタクの自称・魔王が帝国の花を娶るまで  作者: 水戸直樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/3

第1話 帝国の花

 朝霧の立つ帝都の通りに、鐘の音が響いた。

 露をまとった屋根瓦が光り、石畳の上をパン屋の香ばしい匂いが流れていく。


「今日も、第三皇女さまがお菓子を配ってくださったんだって」

「ええ、孤児院の子たちが嬉しそうにしてたわ」

「本当にお優しい方だね。あの方こそ、帝国の誇りだよ」


 誰かが声を潜めた。


「……そういえば、西の森の噂、聞いた?」

「魔王の森? また兵が引き返したって話?」

「なんでも、霧の中で雷が落ち続けたとかでさ。近づいた騎士が半分戻ってこなかったって」


 露店の主人が苦笑しながら肩をすくめる。


「まあ、あんな不吉な場所に用がある人なんて、そうそういないさ」


 そんな噂が行き交う朝。

 市場の誰もが、自然とその名を口にしていた。

 金の髪と碧の瞳をもつ少女――セシリア・ドゥルセ・アルステイン。

 皇帝の第三皇女であり、側室の娘として生まれた彼女は、皇城にいながら民に寄り添う稀有な存在だった。


◇◇◇


 皇城の一角。高窓から朝の光が差し込む厨房に、ひときわ明るい笑い声が響く。


「殿下、また厨房にお入りですか? 手を火傷されますよ」

「大丈夫。ほら、今日はちゃんと手袋をしてるもの」


 セシリアは袖を少し上げ、焼きたての菓子を天板ごと取り出した。

 小ぶりな花の形をした焼き菓子――帝都では“セシリア菓子”として人気の品だ。

 香ばしい香りが漂うと、使用人たちの顔に笑みが浮かぶ。


 焼き上がった菓子を並べた瞬間――


「……あ」


 ひとつだけ、花びらの形が崩れていた。

 焦げも少し強い。


 セシリアはしばらく眺めてから、小さく息をつく。


「……これは、私が食べる用ね」


「セシリア様のお菓子を食べると、風邪が治るって子どもたちが言ってましたよ」

「うふふ、そう言ってもらえるのがいちばん嬉しいわ。……ねえ、カインもどう?」


 扉の近くに控えていた護衛騎士が、苦笑しながら一歩前へ出る。

 規律正しく刈り上げた髪の青年――カイン。

 真面目すぎるとよく言われる彼は、手を差し出すのにも少し戸惑っていた。


「お務めの最中に頂くのは……」

「いいの。朝ごはん代わりにして。あなた、また食べてないでしょ?」


 やわらかな笑み。

 菓子を受け取ったカインは、礼儀正しく一礼しただけで、ほとんど表情を変えなかった。


(……固い人。いつも通りね)


 セシリアは思わず笑ってしまう。

 その笑みは、厨房の空気をほんの少しだけ柔らかくした。


 ――こうしている時間が、いつまでも続けばいいのに。


 そんな思いが胸の奥に小さく浮かんだ。


◇◇◇


 だが、その日の夕刻。

 晩餐会の席で、空気は一変した。


 重々しいシャンデリアの下、老宰相メルヴィク・ハーランドと、その派閥の貴族たちが列をなし、

 長い卓の中央には皇帝の椅子――そしてその隣に、第三皇女の席が用意されていた。


「おや、これはこれは。殿下もようやくご出席を賜るとは」

「厨房ではお忙しいと伺っておりましたぞ」

「まこと、“帝国一の花”というのは香りを振りまくのもお仕事で?」


 笑い交じりの皮肉が、葡萄水の甘い香りに紛れる。

 セシリアは穏やかに微笑み、薄紫の液体が揺れるグラスをそっと口元へ運んだ。

 その指先が、かすかに震えていた。


「殿下のお母上も菓子作りに夢中でいらしたとか。お優しい血筋というわけですな」

「ええ、慈悲深くて――脇も、いささか甘かったようで」


「……!」


 隣席の若い貴族が思わず声を上げたが、宰相メルヴィクは意に介さない。

 ただ、グラスを傾けながら笑った。


 セシリアは深く息を吸い、顔を上げた。

 碧の瞳が、凪のように静まる。


「皆さま。母のことを覚えていてくださって、光栄です。

母が愛した帝国を、私はこれからも支えていきたいと思いますわ」


 微笑のまま、完璧な答礼。

 拳の中で、爪が掌に食い込むのを誰も見ていなかった。


◇◇◇


 その夜。晩餐が終わり、客が引いた後。

 宰相メルヴィクは皇后の居室を訪れていた。

 静かな灯が揺れる中、銀のティーセットが二人の間に置かれている。


「――お約束の件、進めております」

 宰相が恭しく頭を下げる。

 皇后はグラスを持ち上げ、淡い笑みを浮かべた。


「例の娘ね。母親そっくりに人の心を掴む。平和だの協調だの唱え出す前に芽を摘んでおかなくてはね」

「ゆえに、陛下のお耳に入る前に手を打たねば。辺境視察の名目で連れ出します」

「証拠は残さないで。あの女の娘に慈悲など必要ないわ」


 宰相はゆっくりと頭を垂れた。

 蝋燭の炎が、彼の顔を一瞬だけ赤く照らす。

 その影は、地図の上で帝都の西方――辺境をなぞっていた。


◇◇◇


 翌日。

 皇帝主催の会議の席で、宰相メルヴィクが立ち上がる。


「ところでセシリア第三皇女殿下。来月の辺境視察にはぜひご同行を願いたい。

民にお優しい皇女殿下には、民の暮らしをその目で見ていただきたいものですな」


 周囲がざわめく。

 辺境とは、最近盗賊団が頻発している西方の村々のことだ。

 カインがすぐに口を開いた。


「宰相閣下、それは――危険すぎます。殿下を軽々しく外に出すなど――」


「構いません」


 セシリアの声が静かに響いた。

 すべての視線が彼女に集まる。


「民のための帝国であるなら、私たちが民を恐れてはなりません。

……私も、この国を見ておきたいのです」


 その言葉に、誰も続けられなかった。

 宰相は薄く笑い、ゆっくりと席に戻った。


◇◇◇


 夜。

 皇城のバルコニーに一人立つセシリアは、胸元のロザリオをそっと握りしめていた。

 母の形見――銀の十字に、月光が冷たく光る。


 眼下には、灯火が星のように瞬く帝都。

 その明かりのひとつひとつが、彼女の守りたい人々の暮らしだった。


(お母様……私はちゃんと見届けます。帝国を。あなたが愛した人々を)


 風が金の髪をなでる。

 遠く、夜の地平の彼方――“魔王の森”と呼ばれるその地が、静かに息づいていた。

 その森の奥で――

 噂の裏側にいる“少年”が、静かに目を開けようとしていた。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ