第一章:Case No.055「友情と愛情の狭間」 パート3:時と場所が交差する瞬間、過去をなぞる捜索線の始点 。
「……カフェには、落とし物などは無かったそうだ。」
背中越しにそう呟きながら、譲おじさんは紙コップをわずかに傾けた。
もうほとんど空のはずなのに、最後の一滴まで逃すまいとするみたいに、やけに丁寧な動きだった。
背筋だけはやけに綺麗に伸びている。
なのに、その背中を覆うスーツは相変わらずで、縫い目は歪み、ところどころ糸が浮いている。
サイズの合わない古着を、無理やり直した努力の跡だけは、妙に分かりやすい。
「そうかい、ご苦労。」
大矢さんは、私たちが昨日歩いたルートや立ち寄った店を一通り書いたメモをしまいながら、譲おじさんの方を見てやれやれといったように首を振る。
譲おじさんは振り向かない。
ただ、コップの底を覗き込むようにして、残りを飲み干そうとしている。
「おい、譲。仕事ならしっかりやれよ。……凛ちゃん、結衣ちゃん。譲が馬鹿な真似をしたら、蹴っ飛ばしていいからな」
「当然です。」
凛さんが、一拍もおかずに、いつも通りの事務的なトーンで即答する。
「……譲じゃあないさ、ジョウと呼んでくれと言ってるだろう。おやっさん。」
忠告と返事を無視して、都合の良いところだけを拾って答える。
このやり取りも、たぶん何度も繰り返されてきたものなんだろう。
自分の叔父が自分で自分のあだ名を押し付ける姿を見る方の気持ちになって欲しい。
「なら、お前も俺のことは大矢さんと呼ぶんだな。」
ため息混じりに大矢さんが返す。
本当に昔からの付き合いなんだろうなと、こういうやり取りを見るたびに思うと同時に、おじさんは昔からこうなのか…と不安の気持ち。
私はなんとなく気まずくなって、一歩後ろに下がった。
すると、ほんのわずかに体勢を変えて、凛さんが自然に私の前に立つ。
別に庇われるようなことはしていないのに、そうされると少しだけ落ち着く。
「……すまない。大矢巡査部長。」
低い声が、凛さんの背中越しに聞こえた。
ほんの少しだけ、反省しているようにも聞こえる。
「わかりゃいいんだよ。じゃあな。譲。」
「譲だ!」
わざとらしく名前を間違える大矢さんの声に、被せるように譲おじさんが言い返す。
そのやり取りに小さく笑いながら、大矢さんは交番の方へ戻っていった。
ふと千波の様子に目をやった。
大矢さんと叔父さんの会話をしている方向を見ながらも、ほんの少しだけ眉が寄っていて、落ち着かないみたいに視線が揺れている。
不安だと思う。
自分の事をジョウだと言って聞かないオジサンに頼るだなんて。
私に見られている事に気づいた千波が、何か言いかけてやめたように唇を閉じる。
不安そう、というより。
何かを飲み込んでいる顔だった。
「……あの、結衣。」
「ごめん。千波。でも一応ほら探偵……らしいから」
千波がゆっくり紡ぐ言葉を遮るように、そのまま飲み込ませる。
いくらルートがわかっていても小さなキーホルダーを失くした翌日に探すのだから、人手は欲しい。
ここで依頼キャンセルになってしまえば、更に見つかる可能性が低くなる。
仕事自体は真面目にやる人だってことは分かってる。
……だから、細かいことは気にしないことにする。
「大切な物、ですからね。頑張って探しましょう。」
凛さんも千波の様子に気づいたらしく、わずかに視線を落としたあと、指先を一瞬だけ胸元へ寄せ、それから何事もなかったように千波の肩へ手を置ながら言葉を選ぶようにほんの一拍だけ間を置き、 声をかけた。
「あ……はい……そうですね。ありがとうございます。」
千波は一度だけ小さく息を吸ってから、形だけ整えたみたいな笑顔を作る。
「さて、と」
譲おじさんがようやくこちらを振り向く。
「場所は一通り潰れた。残るは“流れ”だな」
「流れ?」
私が聞き返すと、譲おじさんは肩をすくめる。
「物はな、場所だけじゃなくて“動き”で消える。どこで落としたかじゃない。いつ、だ」
……言ってることはそれっぽいけど、正直よく分からない。
「……昨日の行動を、もう一度なぞりましょう。と言ってるんです。多分。」
凛さんが、ため息をつきながらも淡々と話を戻す。
「……あぁ、え?はぁ……?そう……ですね。」
凛さんの普段の苦労を感じながら、おじさんの意味不明な言葉と、既にそれをしにここに来ているのではという疑問を飲み込み返事をする。
千波の手を引きながら、凛さんと譲おじさんの後ろを歩き出す。
最後の一滴まで飲み干した譲おじさんが、空になったコップを近くのゴミ箱に放り込む軽い音。
隣で、千波の指先がほんの一瞬だけ強くなった。
「見つかるよ。きっと。」
そう言って千波の手を更に強く引く。
ふと前を見ると、凛さんが一瞬だけ足を緩めこっちを見ていた。




