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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ぼくたちに明日はない

作者: 遊佐東吾
掲載日:2025/11/10

 宿屋の主人はどろりとした目の男だった。


「へえ。女連れかい、兄さん方」


 まとわりつくような男の視線が、カウンターの前に立つジョゼフとレオンを通り越し、後方の陰気な少女へと向けられる。


「見たところまだ大人というには早そうだが、よもや娼婦じゃあるまいね。うちは真っ当な旅人たちの宿でさ。客の皆さん方にゃ静かな夜を過ごしてほしいのよ」


 あまりにも見当違いかつ不躾な物言いに、俯き加減だった少女マリーは顔を上げることなくさらに身を縮こまらせていた。

 ごき、と隣から威圧的に首を鳴らす音がする。


「あ? もう一度頼むわ。よく聞こえなかったぜ」


 早くも激高しかかっているレオンは、大剣を背負った豪腕の剣士だ。

 幼い頃からの腐れ縁である彼をどうにか押しのけ、この三人組における交渉役を自任するジョゼフは努めて温和な口調で言った。


「するとご主人、ぼくたちは泊めていただけないってことなのかな。こいつは困ったね。今夜は冷え込みが厳しそうだから、できればご厄介になりたいのだが」


 もちろん静かな夜は約束するよ、と柔らかな笑みを浮かべる。

 屋根の下で眠れるのは十日ぶりだ。下手に出るのも当然だろう。

 宿屋の主人はひとしきりジョゼフ、レオン、マリーの三人を眺め回した後で「ま、そこまで言うなら」とため息交じりに頷いた。


「こっちも貰えるもん貰えりゃ客として扱うんでね」


 ただし先払いで頼むよ、と思いのほかあっさりと宿泊を受け入れてくれた。

 ジョゼフは素直に応じ、多少の色をつけてお代を支払う。揉め事にならずに済むなら安いものだ。

 一行が宿屋の主人から指定されたのは、階段を上がってすぐ正面の部屋だった。一階の三室と二階合わせて十組は泊まれるらしい。タバール王国の辺境と言っていい立地にあって充分な広さである。

 笑えることに他の客の気配は一切しない。最初の難癖も含めてぼったくるための交渉だったか、とジョゼフが悔やんでも後の祭りだ。

 寝台が二つ置かれている部屋へ入るなり、レオンが口を開いた。


「おいマリー」


 その呼びかけに、マリーがびくっと肩を震わせる。

 さっとジョゼフの後ろへ身を隠した彼女に構わず、レオンは畳みかけた。


「好き放題言われて黙ってんじゃねえぞ? あんなクソおやじ、いっそのことおまえの魔法で盛大に燃やしてやりゃあよかったんだ」


「うう、そんなの無理だもん」


 ジョゼフの服の袖から顔を覗かせ、マリーが精いっぱいの反論を試みる。

 彼女もつい先日に十六の歳になったそうだが、どうにも実年齢より幼く映るのは否めない。ジョゼフやレオンが五つ年長なのもあってそう感じるのだろうか。

 それとも一国の王女ともなれば、蝶よ花よと育てられてしまうからなのか。


 ほんの半年ほど前までは誰からもかしずかれる身分だったマリーだが、彼女の国であるロワッサン王国はすでにない。長年の沈黙を破って突如侵攻してきた魔族によって滅ぼされたのだ。

 わずかな供を連れて落ち延びた彼女だけが九死に一生を得て、同盟国のタバール王国へと保護を求めてきたのだった。いまや落魄の身でしかない。

 マリーの頭をぽんぽんと叩き、今度はジョゼフが言った。


「焼いてどうする、バカ」


「バカとはなんだ。寒いのが温かくなるだろうがよ」


「宿自体がなくなるんだよ、バカ」


「……おおう」


 どうやらそんな簡単な事実さえ見落としていたらしい。

 頭の中まで筋肉で出来ているような青年、それがレオンだ。

 つくづく妙な三人組だ、とジョゼフとしてはため息をつきたくもなる。

 亡国の王女への忠誠心などひと欠片もないし、筋だって違う。

 なのにジョゼフもレオンも、命のすべてをマリーへ捧げる覚悟を決めていた。


    ◇


 以降の人生を大きく左右するとっさの決断。

 その天秤の揺れをどちらか一方に決めてしまうのは、結局のところ積み重ねてきた自身の過去だけなのだとジョゼフは思い知らされた。

 たとえ気まぐれな判断のように見えたとしても、である。


 ジョゼフとレオンの運命を決めたあのとき、その場にいたのがマリーだった。

「ロワッサン王国の忘れ形見をより安全な場所へ」、そのような名目で彼女の身柄は王都近郊のひっそりとした保養地へと送られていた。

 護衛を担当していたのはタバール王国の精鋭部隊であり、ジョゼフとレオンもその一員として同行していたのだ。

 秘密裏の作戦行動とあって馬は使われていない。王女も駕籠による移動だった。


「体のいい流刑だよな」


 王都の方がよほど安全なのにね、とジョゼフは内心で訝しむも、口に出して異を唱えたりはしない。上官の命令に従って任務を遂行するのが仕事だからだ。

 一方のレオンは平然と欠伸をし、露骨にやる気のなさを見せている。そんな態度が見逃されているのは、彼の膂力が他を圧倒しているからに他ならない。

 どんな武具であっても軽々と扱い、魔術にも秀でている万能のジョゼフが、唯一自分よりも強いと認めた男である。

 まだ若手ではあっても、部隊内の先輩に後れをとることはない。相手が勇猛で知られる上官のバンクであろうと。


 そう強烈に自負しているジョゼフとレオンの二人にとって、亡国の王女の護送など取るに足らない任務のはずだった。

 到着直前に高位魔族が待ち構えているのを目にするまでは。

 深い森の周縁部を沿って延びる道、その先で優雅な魔族が一人。獰猛な魔獣なんかよりもはるかに強者であるのはすぐにわかった。

 すわ強襲か、と若い兵士二人は即座に最前線で臨戦態勢に入る。

 しかし成り行きはジョゼフが想像もしていないものだった。


「我らの要望を聞き届けていただき、ありがとうございます」


 滑らかな灰色の肌をした人型の魔族が、慇懃な口調とともに一礼する。

 護送部隊の隊長を務めるバンクも応じて言った。


「約束通り、ロワッサン王国の王女の身柄はお渡ししましたぞ。これで和平交渉を進めてもらえるんでしょうな」


「ええ、もちろん」


「重ねて申しますが、頼みましたぞルガー将軍」


「ご心配なきよう。皇帝陛下は渋られるやもしれませんが、この私が説得にあたりますのでね」


 ここまでやり取りを聞けばいやでもわかる。

 王女マリーはただの駒なのだ。タバール王国は交渉材料としてかつての同盟国の王族を差し出してまで、魔族を和平交渉のテーブルに座らせようとしている。

 王家の加護を失い、怯えた小動物さながらの少女の命は尽きたも同然だった。

 それが理解できても、ジョゼフには特に何の感慨も湧かない。


「かわいそうにな」


 せいぜいそれくらいのものだ。

 予定通りに王女の身柄が魔族へ引き渡されようとしている。

 力ずくで駕籠から引きずり出された少女は顔から地面へ落ち、土に塗れた。

 もはや待ち受けている運命は死のみ。最期まで天運に見放されていた彼女をジョゼフは何とはなしに見遣った。

 その一瞬、マリーと視線が絡み合う。

 ジョゼフの予想に反し、彼女の目は怒りに燃えていた。復讐を果たすまでは死んでなるものかという獰猛さに満ちていた。


 狂熱は伝播する。

 気づけばジョゼフは剣を鞘から抜き放ち、魔族へと躍りかかっていた。

 さすがにこの行動は相手にとっても想定外だったらしく、優雅さを皮膚に貼りつけていたような表情が崩れて歪む。

 どうにかジョゼフの初撃を致命傷を避けてかわそうとするも、同時に繰りだされていたもう一方からの斬撃はそうもいかなかった。レオンだ。

 彼の大剣をもろに受けてしまった魔族の青年は、右の脇腹をごっそりと抉られているようだ。まず助かることはあるまい。

 たった一人で乗り込んできたのを見るに、自分に手傷を負わせられる者が人族の中にいようとは夢にも思っていなかったのだろうが、レオンの一撃は別格だった。

 一騎当千を地でいく豪傑なのだから。


「おいジョゼフ、おれは王女さんにつくぜ」


 やっと人生が面白くなってきやがった、と笑みさえ浮かべている。

 どうやらレオンもマリーの熱に当てられてしまったらしい。

 ちっ、と舌打ちしてジョゼフが吐き捨てる。


「バカかおまえ。気でも触れたか」


「同じことやってるおまえにだけは言われたくねえわ」


 にやつきながら切り返され、わずかに視線を逸らす。

 虫の息となっている魔族を傲然と見下ろしながらレオンは言った。


「うんざりなんだよ、もう。平熱みたいな毎日にな。ロワッサン王国が倒れて、魔族との戦争が始まるかと思いきやこのザマだ。ひたすら暴れまくって全身を愉悦で痺れまくらせてから死にたいんだよ、おれは」


 恐ろしいほどに粗野な主張だが、ジョゼフに共感がないわけではない。

 穏和な態度を一皮剥けば、結局は彼だって同じなのだ。ただ生きていくだけの日々に意味を見出すことはできないでいた。

 万事を手際よくこなし、周りからもその高い能力を認められ、女性を口説けば誰もが恋に落ちてくれる。身を削る努力など必要とせぬままに。

 没落貴族の三男坊である以上、出世の目はない。自身の行く末もすでに見えている。小さな幸福に満足して生涯を閉じるのが最良の道だ。


 残念ながらそんなものに興味はなかった。

 盤上遊戯を眺めているような冷めた目で日々を送りながら、ジョゼフもまたレオンと同様に千載一遇の機会を待っていたのかもしれない。

 ずっと欲していたのだ。血が沸騰するほどの喜びを。生への渇望を。

 もしかしたら、彼女の復讐こそが狂おしいほどの喜びを己の人生にもたらしてくれるのではないだろうか。身勝手な期待を込めて、ジョゼフは亡国の王女マリーを見遣った。


 次の瞬間、地面で呻いていた魔族の体が火柱に包まれる。

 凄まじい勢いの炎は瞬く間に肉体を焼き尽くし、そのまま宙へ吸い込まれるようにして消えていく。

 何の道具も使わずに魔術を仕掛けたのはマリーであった。


「今後、私に許可なく触れる者あらば、どうぞ灰になるおつもりで」


 土に汚れながらも立ち上がって毅然と言い放った彼女に対し、バンク隊長以下の護送兵士たちもうかつに手を出せない。

 さすがに魔術研究の本場とされているロワッサン王国の王女、その才能と研鑽が祖国の名に恥じないものであるのはジョゼフにも一目でわかった。

 そんな緊迫した空気の中でひゅう、と場違いな口笛の音がした。

 もちろんレオンだ。

 大剣で周囲の動きを牽制しつつマリーを手招きし、彼は宣言する。


「つーわけだ、バンク隊長。おれたちは王女さんを連れて逃げるぜ。追っ手を差し向けるなり何なり好きにしろや」


 そんときゃ返り討ちにしてやるからよ、と不敵に笑いながら大剣を肩に担ぐ。

 ジョゼフも彼と並び立ち、手に馴染んだ愛剣を前方へ突き出した。


「お世話になりました。ぼくも行きます」


 妙に晴れ晴れとした気持ちで、バンク隊長をはじめとする同僚たちへと告げた。

 この場で戦闘にはならない。それはジョゼフもレオンもわかっている。

 真正面からぶつかれば、数で劣っていても十中八九は彼らが勝つからだ。そのくらいに実力の差がある。

 苦虫を百匹くらい噛み潰しているみたいなバンクの表情はあまりに印象深く、ありがたいことに後の旅で何度となく笑える話題となってくれた。


    ◇


「で、これからどこへ向かうんだっけ?」


 寒さもお構いなしに上半身裸となったレオンが、旅の汚れを乱暴に拭いながら次の行き先を訊ねる。

 最初の三日間ほどは彼の裸体を目にするたびに頬を赤らめていたマリーも、もはや気にする素振りは見られない。


「大魔導士ロゼッタのところだよ」


 王家の宝である杖を念入りに確認しながら彼女は言った。

 希代の大魔導士ロゼッタについての噂は、いくらかジョゼフも聞き及んでいる。

 いつ頃からか砂漠地帯のどこかでたった一人で暮らし、その住処は幻影に阻まれて正確な位置を見つけだすことさえ至難の業。年齢不詳、男か女なのかも判然としない。

 とにかく多くの謎に包まれた存在だが、魔族も含めたどの勢力も手出しできないほどの実力なのだという。

 単独で中立を保ち続ける大魔導士ロゼッタは、いわばこの世界における「触れてはならないもの」である。


「生ける伝説に会いに行くのかあ。ふふ、おっかないね」


 肩をすくめてジョゼフが言った。


「そいつ、ずっと砂漠に引きこもってんだろ? 人にも魔族にもつかずによ。そんなやつが手を貸してくれるかあ?」


 レオンにしては珍しく正論だ。彼にも使う頭はあるらしい。

「ぼくもそう思う」とジョゼフも全面的に同意する。


「とはいえ、決めるのはマリーだ。どうしても君の復讐に大魔導士ロゼッタの力が必要なのであれば、砂漠だろうとどこだろうと付き合うよ」


「ちょっ、おまっ、その言い方はずるいぜ」


 まるでおれだけ腰抜けみたいじゃねえかよ、と布切れを振り回しながらレオンが憤慨した。その単純さこそジョゼフのよく知るレオンだ。


「大丈夫。成算は、あるんだよ。順を追って話した方がいいね」


 顎に手を当て、少し考えこむ素振りを見せてからマリーが話しだす。


「そこには一つ一つが世界を揺るがせるほどの宝、人呼んで〈ロゼッタの魔具〉があるんだけど」


 たとえばこの杖、と彼女は続けた。


「風の杖といってね。これも私の祖母──ロワッサン王国の盲目女王ルイーゼといえば伝わるかな──が、大魔導士ロゼッタからもらい受けたものなの」


 ジョゼフたちが部隊を裏切り離脱してからの十日間は、マリーの杖を取りに戻る難しい旅に費やされた。

 そのときは彼女から「王家の宝なので」としか説明されなかったが、ここまで明かしてくれるほどには信頼を勝ち得たらしい。

 今でもジョゼフの目にはただの杖にしか見えない。が、出自が〈ロゼッタの魔具〉であるならば、国王と関係の深い者しか知らない極秘の場所で祀られていたのも納得できる。


「へえ、引きこもり野郎のくせに気前いいじゃねえか」


 レオンの揶揄にマリーは首を横に振った。


「もちろん代償はあったよ。それがおばあ様の両目の光」


「まさか、盲目女王の二つ名の由来って」


 驚いたジョゼフへ、今度は「そう」とマリーが頷く。


「大魔導士ロゼッタは魔具の貸与、あるいは贈与を単に拒絶はしないそうなの。でも大きな代償を求めてくる」


 彼女の祖母、盲目女王ルイーゼは両目の光を差し出してでも、〈ロゼッタの魔具〉である風の杖を手に入れたかったわけだ。

 マリーによると、この杖は風の結界を作りだすことで、どんな状況にあっても必ず所持者の身を守ってくれるらしい。頼もしいかぎりである。

 とはいえ、先手で動くのを身上とするジョゼフにとって、代償の条件が失明であるとすれば非常に厳しい。できれば他の条件でお願いしたいところだ。


「交換条件ってわけか……。レオン、君ならどのくらいいける?」


「そうだなあ、片腕くらいならくれてやってもいいけどな」


 腕一本残ってりゃ剣は振れるぜ、と左腕の筋肉を誇示する。


「そう言うおまえはどうなんだよ、ジョゼフ」


「まあ、痛いのは嫌だからね。寿命十年くらいで勘弁してもらいたいな」


 別に二十年でも構わないが、そこまで寿命が残っているかどうかは心許ない。払い切れないのであれば大魔導士ロゼッタだって怒ってしまうだろう。

 だが二人の会話に対し、マリーは「やめてよ!」と過剰な反応を見せる。いつも陰気な彼女らしからぬ大きな声であり、ジョゼフも少し驚いてしまう。


「どうしたの?」


 なだめるような声色で問いかけるが、先ほどまでとはうって変わった険のある目つきで彼女はにらみつけてきた。


「あなたたちにそこまで求めるつもりはない。余計なことは考えないで。助けてくれたことには感謝しているけれど、大魔導士ロゼッタによる代償は私が引き受けるべきものなのだから」


 一息に言い切って、マリーは肩を上下させている。

 ジョゼフはレオンと顔を見合わせた。


「別にぼくたちは無傷で旅を終えられるだなんてこれっぽっちも考えちゃいないんだし、君だけが気負う必要なんてないんだけどな」


「そうそう。第一、その代償とやらでおまえが復讐を遂行できないようになっちまったらどうすんだよ。本末転倒だろうが」


 マリーの覚悟は立派だし、それでこそ亡国の王女のあるべき姿だ。

 ただジョゼフが思うに、この三人がすでに彼女を中心とする運命共同体なのは、もはや動かしようのない事実だった。

 それでも納得いかないらしいマリーは再度口を開きかけたが、機先を制したレオンが「待った」と手を広げる。

 わずかな間、室内に静寂が訪れた。

 しかし常に神経を研ぎ澄ませているジョゼフとレオンには、はっきりと足音や気配を察知することができた。相手は複数、おそらく六人か七人。


「おいジョゼフ、今の聞こえたな」


「うん、とうとう来たね。追っ手だ」


 ジョゼフの返答に頷いたレオンはさっと上着を羽織り、大剣を担ぐ。

 さらにその格好のままでちらりとマリーを見遣って言う。


「と、いうわけだ。おまえどうする」


 足りなさすぎる彼の言葉を、すぐにジョゼフが補った。


「その風の杖、信じていいならぼくたちは二人とも敵を迎え撃つ。でも君が護衛を望むのであれば、どちらか一人はこの場に残るよ」


 マリーは即答だった。


「生前のおばあ様は何度となく暗殺者に命を狙われたそうなの。でも天寿を全うされ、九十二歳まで生きられたのよ」


 この風の杖のおかげでね、と彼女が微笑む。

 さすがに〈ロゼッタの魔具〉、すでに実績は充分らしい。


「頼もしいじゃねえか。なあジョゼフ」


「はは、失礼な問いかけだったな。じゃあレオン、ぼくたちも二手に分かれて打って出るとしようか」


「心得たぜ」


 返事をするなり、突進しだしたレオンはそのまま窓を突き破った。途端に外の冷たい風が部屋の中へと吹き込んでくる。

 ならばジョゼフの受け持ちは自然に館内となり、一階から侵入してくる敵を撃退していけばいい。


「そんなに時間を掛けてはいられないな」


 今はマリーの手に〈ロゼッタの魔具〉である風の杖があるとはいえ、過信するつもりはなかった。掃除を素早く遂行するに越したことはない。

 待ち伏せがないのを確認しつつ、長剣を握ってジョゼフは階段を進む。

 一階の玄関付近に見知った顔がいた。

 カウンター越しに宿屋の主人に銀貨を支払っている二人組の男、サコとラブだ。双子の兄弟である彼らは部隊の副長格を自任し、バンク隊長不在の折には勝手放題に振る舞うことも多かった。

 上にはへつらい下には強く、陰湿で傲慢。ジョゼフが最も嫌いな類の人間だ。


「あいつらか。こりゃ遠慮なくやれそうだ」


 半ば私怨も加わりながら独り言をつぶやく。

 どうやらサコとラブの兄弟も裏切り者の脱走兵の姿に気づいたらしく、揃って口の端を持ち上げた。

 相変わらず品のない顔だ、とジョゼフは内心であきれてしまう。


「会いたかったぜえ、ジョゼフよぉ」


「喜べ、てめえのためにとびっきりの毒を仕込んできてやったからなぁ」


 ラブが先端に毒を塗った二本の短剣をぎらつかせる一方で、サコはくまなく鋲を打った鞭を携えて機をうかがっている。

 この二人の必勝戦法だった。サコが鞭によって相手の動きを止め、その隙を逃さずラブが仕留めていく。

 実の兄弟ならではの息の合った戦い方だが、堅実すぎて退屈極まりない。


「どうも。あんたらはやることがいつも同じ、芸がないね」


 挨拶を手短に済ませたジョゼフは、大胆な方法で先手を取りに行く。

 階段を下り切る直前に、いきなりサコ目掛けて長剣を投擲したのだ。

 まさか初手から剣を手放すなど想像もしていなかったのだろう、あまりにあっけなくサコの胸は貫かれた。

 そのままジョゼフの長剣は柱へと突き刺さり、サコを釘付けにする。

 これにはラブも「弟よ!」と悲痛な声を上げて振り返ってしまう。

 まず一人。ただしもう一人もすぐに片付く予定だ。


「戦いの最中に敵から目を逸らしちゃいけませんよ、センパイ」


 魔術を発動させるための道具は人それぞれである。魔力を増幅させる杖を使う者が多いが、威力よりもいかに素早く発動させるかを重視する者も少なくない。

 たとえば編み上げ靴の接地を利用するジョゼフのように。

 彼が一階に降り立った瞬間、即座に発動した氷の魔術が床を伝い、ラブの両足を固めていった。

 もちろん大した威力ではないので、稼げる時間は数秒程度。ただしそのわずかな時間の差が勝負を決定づける。


「よく愚痴をこぼしてましたよね。毒、結構高いんだからなって」


 世間話さながらの気軽な口調とともに、ジョゼフはラブの懐へ潜りこんだ。

 そのままラブの腕をひねっておかしな方向へと曲げていく。

 さらに流れるような動作で、彼自身の腹部へと短剣を突き立てさせる。


「最期くらい、ご自分で味わってみるのも一興でしょ」


 ラブご自慢の毒を喰らった相手がどうなるのかは、元同僚であるジョゼフもよく知っていた。あまりの激痛に声も出せないほどのたうち回った挙句、人とは思えぬほどの恐ろしい形相で死んでいく。

 彼は人生の最期に、その報いを自身の肉体に受けるわけだ。

 こうして宿屋一階での攻防はわずか十数秒で決着する。


「ん?」


 見ればカウンターの向こう側で、隅にへたりこんだ主人ががたがた震えていた。

 ジョゼフとレオンは「こんな田舎なら安全だろう」と判断し、宿屋を利用することにしたわけだが、すでに密告の仕組みは整えられていたのだ。

 王国からの報奨金がいくらなのかはわからないが、「なかなか魅力的な金額が約束されていたのだろうな」と他人事のようにジョゼフは推察する。

 不愉快極まりない男ではあったが、特に彼へ固執する意味はない。

 一瞥しただけで済ませ、さっさと外へ出てレオンへの加勢をすることにした。

 とはいえ、相棒にその必要はなかったらしい。


「おお……さすがはレオン」


 大剣についた血を拭っている彼の足元には、右半身を叩き潰されたバンク隊長の亡骸が転がっている。それ以外にも一目でわかるほどに損壊した死体が三人分。


「なんだ、早いじゃねえか」


「四人を相手取ったそっちに言われたくはないけどね」


 感嘆半分、あきれ半分のジョゼフの視線は、ひとしきり周囲を観察した後で再びバンク隊長だったものへと止まった。


「隊長には少しお世話になったわけだし、君でも胸が痛んだりするのかい?」


「残念、すべて無傷さ」


 レオンが不敵に笑ってみせる。


「もう決めてるからな。立ちはだかるやつはすべて叩きのめして、マリーに本懐を遂げさせてやるんだってよ」


「うん、確かに。魔族だけじゃなく、ぼくらはタバール王国も敵に回したからね。戦いだらけの明日なき日々を生きていくわけだ」


「ごめんなさい」


 レオンとは異なる声にジョゼフが振り向くと、そこには風の杖を両手で握り締めたマリーが立っていた。ただし血まみれの格好で。

 慌てて問い質そうとするジョゼフを制し、彼女は言った。


「返り血だから。さっき襲われた際に、杖の力が発動して侵入者を風の刃でずたずたに切り裂いてしまったの。だから室内もぐちゃぐちゃ、泊まるのはもう無理みたい」


 冷静に語るその表情に動揺の色はない。

 大きく息を吐いてジョゼフが安堵する一方で、レオンは茶目っ気たっぷりに舌を出していた。


「おれとしたことが、どうやら一人とり逃してたみたいだな。それにしてもさすがに〈ロゼッタの魔具〉、噂通りすごい威力じゃねえか」


「でしょう?」


 わずかに笑みを浮かべるマリーだったが、心なしか先ほどまでより大人びて見える気がする。


「さっきの代償の話に戻るんだけど、この風の杖を交渉材料にするつもりなの」


「それがあれば君の身の安全は相当なところまで保証されるのに?」


 ジョゼフが訊ねれば、レオンも「マリーよお、おまえはいったい何を求めているんだ」と首を傾げていた。


「祈りの玉」


 迷いのない即答だった。


「〈ロゼッタの魔具〉の中でも、祈りの玉は世界を変える力があるのよ。魔力とともに負の感情を玉へと込め続ければ、蓄積された魔力は途方もなく膨らんでいく。それこそ大陸全土を崩壊させられるくらいまで」


 そこまで話したマリーだったが、いきなり宿へ向かって複数の火球を放つ。

 あちらこちらから火の手が上がってしまえば木造の宿などひとたまりもない。

 あっという間に建物を大きく包んだ炎を背に、彼女は両手を大きく広げた。


「ね、それって私におあつらえ向きの魔具じゃない?」


 レオンと顔を見合わせたジョゼフは思わず吹き出してしまう。


「祈りっていうより、そいつはきっと呪いの玉だね」


「魔女だ魔女、ここに史上最悪の魔女がいるぞ」


 とうとう二人がげらげらと笑いだし、対照的にマリーは膨れっ面になる。

 燃え落ちる宿の中へ、サコを串刺しにしたままの長剣を残してきているのにジョゼフが気づくのには、もうしばらくの時間が必要だった。

 それくらい久しぶりに、彼は心の底から笑っていた。

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― 新着の感想 ―
ご無沙汰しております。待ってましたの遊佐さんの本格ファンタジー! 堪能させていただきました。 この三人、すごく好きです――! 脳筋&暴走型のレオンと、おだやかな物言いにバイオレンスな本性を隠したジョゼ…
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