下駄箱ラブレター文通
『好きです。 鷹見 栞』
朝、下駄箱に入っていたのはえらく簡素なラブレターだった。
好きですの四文字と名前だけ。おそらく同性の、知らない人からの告白にはそれ以上なにも籠められていなくて、意図が分からない。好きだからなんなのだろう。お付き合いしたいのか、お友達から始めましょうなのか、ただ気持ちを伝えたかっただけなのか。分かるのはただ、実直ながらも少しだけ丸みを帯びた筆跡だけ。
名前は書かれているけど、わたしには覚えがない。
先輩か後輩か同級生か、もちろん本気で調べようとすれば分かるだろうけど、知らない人相手にそこまでする気にもなれない。
かといって、このラブレターをガン無視するのは少しもったいないような。なんとなく退屈な毎日に、せっかく少しの色がついたんだから。
少しだけ悩み、結局、無気力と好奇心の狭間でわたしが取った行動は。
『ありがとうございます。だけどわたしは、貴女のことを知りません。 鳩羽 柑奈』
素っ気ない返事をルーズリーフに書いて、自分の下駄箱に入れて帰る。それだけだった。自分の、上履きの上に。
鷹見さんとやらの下駄箱を探すこともせず、自分で自分の下駄箱に手紙を入れて、帰宅。我ながらなにをやっているんだか、多分なんだかんだ言って、初めて貰ったラブレターに多少なり舞い上がっていたんだと思う。けれども一方で、なにがなんでも鷹見 栞なる人物に近づこうとまでは考えていない。だからこんな奇行に走った。
これでなにもなければこのイベントは終わりで、誰とも知らない人からラブレター貰ったってだけの、すぐに薄れる小さな思い出になる。
まあ、そうなるだろうなって思ってた。
『身長171cm、体重とスリーサイズは許してください。 鷹見』
翌日、返事があった。
この鷹見さんがなにを思って二日連続でわたしの下駄箱を覗いたのかも、身長だけ書いた手紙を入れたのかも、さっぱり分からなかったけど。とにかくここから、わたしたちの変わった文通が始まった。
『ご趣味は? 鳩羽』
『最近は昆虫食の動画をよく見ています。 鷹見』
『おすすめの虫は何ですか? 鳩羽』
『食べたことはないです。 鷹見』
『好きな色はなんですか? 鳩羽』
『色素の薄い系統が好きです。 鷹見』
『シャーペンの芯はなんミリを使ってますか? 鳩羽』
『0.7mmです。 鷹見』
『得意科目は? 鳩羽』
『強いて言うなら国語です。 鷹見』
一日の内にふと思い浮かんだことを、ルーズリーフの切れ端に書いて下駄箱に投函。次の日の朝には必要最低限の答えが返ってきて、また放課後に別の質問をする。やり取りをするうちに、たぶんだけど先輩ではないんだろうなと思えてきて、段々とわたしの口調は砕けて言った。鷹見さんのほうは相変わらず丁寧で簡素な文面だったけど、それがどこか心地良かった。
『運動は得意? 鳩羽』
『人並み以上にはできると思います。 鷹見』
『好きなスポーツは? 鳩羽』
『スポーツ自体はあまり好きではないです。 鷹見』
『ノート派? ルーズリーフ派? 鳩羽』
『ノート派です。 鷹見』
『米派? パン派? 鳩羽』
『麺派です。 鷹見』
『キノコ派?たけのこ派? 鳩羽』
『シンプルな板チョコが一番おいしい派です。 鷹見』
何年何組だとか、どんな見た目をしているのかだとか。そういうことは聞かなかった。それを聞けばすぐにでも、鷹見 栞さんを探すことはできただろう。でもやり取りをしているうちに、この関係を終わらせるのが少しだけ惜しくなってしまった。きっと日本中探してもわたしたちだけしかやっていないだろう、一風変わった文通をやめてしまうのはもったいなく思えた。
それに、まだわたしは『好きです』に対する返事を用意できていなかった。
結局、鷹見さんがどうなりたくて最初のラブレターを書いたのかは、分からないまま。どう答えればいいのか、なにを望んでいるのか、分からないまま。
今の手紙のやり取りは、わたしが質問して鷹見さんが答えるという、ただそれだけのもので。鷹見さんの方からなにかを言ってくることはなくて、だから向こうも、現状維持を望んでいるんじゃないかって。
そうしてまた今日も返事を受け取って、手紙を出して。下駄箱を開けるのが、毎日の楽しみにすらなっていたけれど。
転機が訪れたのは、体育祭の日だった。
◆ ◆ ◆
「──そして最後は一年四組、今アンカーの鷹見さんにバトンが渡りました!!」
テントの下でぼんやり座っていたら、そんな声が耳に突き刺さった。
学年別クラス対抗リレー、白熱する最終競技に、実況の声も熱が籠っていて。一番最後にバトンを受け取った女生徒の怒涛の追い上げに、声援の声もどんどん大きくなっていく。
「四組鷹見さん、まさにゴボウ抜きです! これで帰宅部というのが信じられません!!」
女子にも拘わらずアンカーを務めるその子は、聞いていた通り身長が高かった。知っていたことなんてそれくらいで。色を抜いたんだろう薄い風合いの髪も。それがうなじで一本に結ばれて、走りに合わせて跳ねる様子も。すらりと伸びる手足も。整った目鼻立ちも。
「さあ最後のコーナーを曲がり、先頭に躍り出た!!」
第四コーナー、わたしたち二年生のテントの前を駆け抜ける、その赤茶けた鋭い視線も。
なに一つ知らなくて、でもたった今、わたしの心に鷹見 栞が焼き付いた。
「──」
「──」
鋭いけれど、同時にどこか脱力したその瞳と、ほんの一瞬、目が合う。
こっちを見た。それはそうだ、彼女はわたしを知っているんだから。
そのまま過ぎ去っていく後ろ姿から、わたしは目が離せずにいた。
◆ ◆ ◆
「──鷹見さん。鷹見 栞さん」
「……あの、私……」
校舎裏。初めて聞いた彼女の声はか細くて、硬質で、少し上擦っていた。
体育祭が終わって、衝動的に手を取ったわたしに、彼女はおどおどしながらついてきた。今はもう離した手の感触が、まだ粗熱のように残っている。わたしよりも長い指。わたしよりもずっと汗ばんでいた手のひら。
ほとんど沈みかけている夕日の光を差し引いても、その白い肌は真っ赤に染まっていて。身長171cmの、リレーで大活躍したアンカーとは思えないくらいに、所在なさげに背中を丸めている。
「……」
「……」
さっき焼きついたばかりの、颯爽と駆ける姿とは真逆の今。
淡々と受け答えする手紙での姿とは真逆の今。
鷹見 栞という少女がどういう人物なのか、わたしにはとんと分からない。
ただ、彼女がどうして『好きです』と伝えてくれたのか、いい加減知りたくなった。今日のあの一瞬が、そのきっかけになってしまった。
「……とりあえず。LINE、交換しない?」
絶対に今すぐ、というわけではないけれども。
こうして、わたしたちだけの変わった関係はあっさり終わりを告げて。今夜からは、ごくありふれた今時の文通が始まる。
『鷹見さんは、どうしてわたしを好きになったの?』
その日の夜のうちに送った文面。
返事は、布団をかぶって隠れる白いうさぎのスタンプが一つだけ。
少し胸がくすぐったくなった。