ライブ
日差しが大分熱を持ち始めた午前10時。
駅を出て五秒、もう空気が違った。
都内の大型イベントホール前には、既に長蛇の列ができていた。
蒸し暑い日差しの中、日傘とタオルとうちわを手にしたファンたちが、汗をかきながらも列を崩さずにじっと待っている。
警備員の誘導に従って、歩道に沿って整列する列は、何百メートルにも渡って続いていた。
周囲では物販テントがいくつか立ち並び、スタッフが朝からCDやグッズを手際よく販売している。
Tシャツ、ペンライト、タオル、うちわ、法被に至るまで、ファンの装備はまるで“戦”のよう。
多くの人がユニットカラーをまとい、仲間同士で合言葉のように掛け声をかけて盛り上がっている。
遠巻きに会場の壁には巨大ポスターが貼られており、センターに立つ龍ヶ崎ルナの笑顔が見守っているようだった。
「だぁぁ!やっと辿り着いたぁ!」
会場内に入った俺はすでに疲れ切っていた。
会場に入るまでの長蛇の列、ファンたちの凄まじい熱気、そして夏の暑さである。
「……つ、疲れました」
マルタも辟易していた。
「しっかりしてよ、2人とも!
本番はこれからなんだからね!」
「ふん、だらしない……さすがはポンコツ組だな」
クロノスが俺とマルタを見て鼻を鳴らす。
「そう言うお前は塩飴でも舐めてきたのか?」
「くっ!貴様!」
俺がクロノスをからかうとヒカリが間に入る。
「はいはい、ただでさえ暑苦しいんだからケンカしないの!」
そう言うとヒカリは俺たちの前に手を差し出した。
「……塩飴」
その手には塩飴が乗っていた。
「熱中症対策よ」
こいつはワザとやってるのか?
クロノスを見ると俯きプルプルと震えていた。
よほどトラウマになってるのだろう……塩飴。
「どうしたの?クロノス?」
「さ、さすがにこの間の件もあるし…」
クロノスが不憫なのでヒカリを止める。
男のプライドがなぁ……。
「あ、ありがたき幸せ!!」
感涙に咽び泣いていた。
「おい…」
「これは、我が家の家宝にいたします!」
「舐めろよ!」
恭しく”塩飴”を頭上にかがげ、悦に浸るクロノス。
「そんな大袈裟な物じゃないでしょ?
熱中症対策なんだからちゃんと舐めなさいよ」
「はい!」
クロノスはヒカリに言われると間髪入れずに塩飴を口に放り込んだ。
クロノスは目を瞑り心から味わっていた。
「お、お前のプライドって…」
「……私のプライドなどこの”塩飴”に比べれば塵芥だ!」
クロノスが自信満々に言い切る。
「あっ、そう」
「遥さま、そろそろライブが始まりますよ!」
マルタがそう言うと会場の照明が落ちる。
ワァー!!
会場に割れんばかりの歓声が上がる。
こうして”カグ・ミューゼのミニライブか始まった。
※
暗転した会場に、ざわめきが一瞬で飲み込まれる。
次の瞬間、ドォン!と低音が腹の奥を震わせ、眩い光が走った。
「みんなー!今日は来てくれてありがとう!」
ステージ中央に立つ龍ヶ崎ルナの声が響いた瞬間、歓声が爆発する。
耳をつんざくような声援が、波のように会場を駆け抜けた。
観客たちが一斉にペンライトを振り、闇の中に無数の星が生まれる。
「…すごい、こんなに揃うものなのね」
ヒカリが呆然と呟く。
ステージでは、ルナが客席の端から端まで、まるでひとりひとりに語りかけるように笑顔を向けていた。
それだけでファンが泣き出したり、飛び跳ねたりしている。
「いやいや、今のただの『手を振っただけ』だぞ…?」
俺は思わず口にする。
「なんであんなに泣いてんだ…?」
「”K”様と同型…やはり本物なの?」
マルタが唾を飲みうめくように呟く。
「人を喜ばせるために全力を尽くす…それがあの人の本能…」
”龍の首の珠”
その宝の守護者のルナは、その宝が司る感情”喜”の影響を強く受ける。
ちなみに母さんは”怒”だ……納得である。
ルナのステップに合わせて照明がきらめき、観客の歓声がさらに大きくなる。
彼女は歌いながら、花道を全力で駆け抜け、ファンと視線を合わせる。
その一瞬のやり取りで、数百人が同時に崩れ落ちた。
「……こいつ、本当に“喜ばせる”ことに命懸けなんだな」
俺は思わず呟いた。
※
スポットライトがルナを照らした瞬間、胸元のネックレスが強烈に輝いた。
観客は「演出だ!」と歓声をあげる。
だが私の胸は突然、ぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
――違う。あれは照明のせいじゃない。
ネックレスに封じられた“何か”が、彼女を呼んでいる。
理性では理解できない。けれど心の奥底で、あれが“宝”だと確信していた。
「…ねえ、首元見て!」
隣の遥くんに声をかける。
「え?」
「あのネックレス!」
「うん…ただのアクセサリーと演出だろ?」
遥くんは何も感じていない…。
私の勘違い?
そんな事はない、あのネックレスは何故か私の心を揺さぶる。
「確かめなくっちゃ…」
私はひとり覚悟を決めた。
ルナの歌声が会場を揺らし、ファンたちの声が重なって、まるで大合唱のように広がっていく。
そこにはただ、**「喜び」**だけが支配する空間が生まれていた。
※
ドォン――最後のサビが弾け、照明が一気に白く会場を包んだ。
龍ヶ崎ルナが両手を大きく振り上げると、観客もペンライトを掲げ、会場全体が一つの波のように揺れる。
「ありがとうー!みんな大好きーっ!」
ルナの叫びに応えるように、歓声が爆発した。
観客は立ち上がり、拍手と声援が止まらない。涙を流している人、放心して座り込む人、仲間同士で抱き合っている人までいる。
「……す、すごいな」
俺は小さく呟いた。
「ここまで人を喜ばせるなんて、想像以上です」
「ライブ終わったのに、まだ会場の空気が震えてる…」
俺も汗を拭きながら呆然とした。
「全員、本当に幸せそうじゃねぇか」
「龍ヶ崎ルナは…やはり“守護者”のようですね」
マルタは真剣な顔で頷く。
「これは訓練でも演出でもなく、彼女の“本能”そのもの」
ステージ上では、スタッフが慌ただしく片付けを始めていた。
同時に会場アナウンスが響く。
『ただいまより、カグ・ミューゼ握手会を開始いたします。チケットに記載された整理番号順に、係員の指示に従って列にお並びください』
歓声が今度はざわめきに変わり、観客たちは一斉に動き出す。
グッズを抱きしめながら泣いている人もいれば、仲間と「最高だった!」とハイタッチを繰り返す人もいる。
「おいおい、熱気冷めやらずってやつだな」
俺はため息をつきながらチケットを取り出す。
「……遥くん、私たちの番号、けっこう前の方よ」
ヒカリがチケットを見て眉を上げた。
「くっ、運命を感じますね!」
クロノスが拳を握りしめる。
「いや、Kが不正しただけだろ」
俺が突っ込むと、ヒカリがジロリと睨む。
「……不正じゃなくて、“スポンサー特権”でしょ?」
「お前、それ認めていいのか!?」
そうこうしているうちに、俺たちも列に並ばされる。
前方の人々からは、すでに小さな悲鳴と感極まった叫び声が聞こえてきていた。
「はぁ……ライブ以上に大変そうだな、これ」
俺は汗をぬぐいながら、握手会の行方に胃が痛くなるのを感じていた。




