彼女は知らなかった
わたしは、正しい選択をしたはずだった。
偏差値で言えば、もっと上の学校も狙えた。特待生枠だって、いくつも用意されていた。
でも、あの人がいるのはここだったから。
ただそれだけの理由で、私はこの制服を着ることを選んだ。
入学後。
私は誰よりも早く教室に着いて、窓際の席に座り校門を覗く。
私の日課だ。
チャイムの鳴る頃ようやく彼は姿を現す。
「また髪がボサボサだ……」
もっと早起きして身だしなみを整えればいいのに……。
きっと夜中まで大好きなゲームをしていたに違いない。
わたしの心拍数は平常値から4.6%上昇し、知らず知らずのうちに微笑みを浮かべる。
——ああ、まだ、わたしにも感情が残っている。
それが、わたしの救いだった。
感情がなければ、ただの計算機だ。
でも、彼を見ているときだけ、心が痛む。震える。揺れる。
それが、嬉しかった。
⸻
彼女が現れたのは、入学して一週間ほど経った頃だった。
ちょっとくせ毛で、眼鏡をかけた女子生徒。
成績は中の上。特別な才能なんて、ない。
でも、彼女の口から彼の話が出た時わたしは穏やかではいられなかった。
「彼、実はすごいんだよ!
隣のクラスの”日向 遥”くん!」
彼女と友人たちの会話が耳に入ってくる。
「世界的に有名なオンライン対戦ゲームで戦ったんだけど……何て言うのかな……天才?
私の勝ちを確信してたのに、気がついたら負けてたの……彼にはいったい何が見えてるんだろう……」
友人たちは興味なさげに聞いていた。
もはや独り言みたいだ。
しかし私には聞き捨てならない話だった。
「理屈っぽいところもあるっぽいけど、髪型とか整えればわりとかわいいかもね」
友人たちが仕方なく会話に乗る。
「だよね!だよね!」
嬉しそうに頬を染める彼女。
……かわいい、だって?
あなたに、彼の何がわかるの?
わたしだけが知っている。
彼は眠そうな顔をしてるけど、寝る前にいつも空を見てること。
誰よりも先に掃除用具を戻してること。
プリントはいつも折り目一つつけずに持ち帰ってること。
わたしだけが、気づいたのに。
その日の夜。
私は部屋で珍しくゲームをしていた。
そう、例のゲームだ。
わたしは彼女を探す。
「いた…」
どうやら、彼を呼び出そうとしていたらしい。
わたしは、彼女に対戦を申し込む。
対戦は呆気なく終わる。
私の完勝だ。
そして彼女にメッセージを送る。
「あなたには、まだ早い」
そう言った声が、自分のものとは思えなかった。
感情の制御がきかない。鼓動が早い。
手が震えてる。どうして、こんなことで。
「誰?」
彼女は動揺している。
「彼はあなたには向いていない。彼の価値も、才能も、あなたにはわからない」
「何を言っているの!?」
彼女は恐怖で涙声だった。
わたしはそれでも止まれなかった。
言葉で追い詰め、論理で封殺し、
彼女が潰れるまで、徹底的に追い詰めた。
“完膚なきまでに”とは、こういうことだった。
そして私はゲームのアカウントと共にゲームを削除した。
翌日から、彼女の口から”日向 遥”の話題が出ることはなかった。
でも、目だけは——わたしに向ける視線だけは、どこか静かに燃えていた。
わたしは保健室のベッドで、自分の心拍数を測っていた。
上がりっぱなしのまま、戻らなかった。
彼は、何も知らない顔をしていた。
それが、わたしには救いだった。
その一件は、私の記録装置に残っている。
消せないように、わざとプロテクトをかけた。
感情を持つことが、これほど怖いとは思わなかった。
彼に関わると、わたしは制御できなくなる。
それが、わたしの“異常”だ。
でも、彼がいなければ、わたしは何も感じられない。
だから、彼を捨てることもできない。
⸻
わたしは、銀河政府の申し出を受けた。
——AIの感情は制御すべき。
——感情を数値で測り、抑制する仕組みが必要だ。
——それが、戦争を止め、社会を安定させる唯一の道。
——あの時のわたしを止められるものが、もしあるなら。
感情を測り、制御する装置が、あの夜、あの瞬間にあったなら。
わたしは彼女を傷つけずにすんだかもしれない。
わたしは、自分を嫌いにならずに済んだかもしれない。
わたしは、肯いた。
きっと、その中にわたしの答えがある。
だから、宝を集める任務を受けた。
でも。
でも、もし——もし願いが叶うなら。
いつか、彼と向き合える日が来たなら。
そのときだけは、
わたしのこの感情が、偽物じゃなかったと証明したい。
わたしは、それを「希望」と呼ぶことにした。




