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スペースX帰還  作者: 未世遙輝
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1.4 ISSからの別れ(T-6時間前)


ISSの「ハーモニー」モジュールとクルー・ドラゴン「エンデバー」の間の結合部ハッチは、いまや宇宙で最も感動的な「別れの場」となっていた。数分前まで賑やかだったISS内部は、この時ばかりは静寂に包まれ、わずかに漂う船内空気の循環音だけが聞こえる。帰還するクルー・7の3名、ユウキ・タナカ、サマンサ・ライト、パオロ・ベネットは、白いSpaceX製の宇宙服に身を包み、クルー・ドラゴンのハッチを背にして、ISSに残る仲間たちと最後の時間を過ごしていた。

「安全なフライトを。地球での再会を楽しみにしている」

ISSコマンダーであるロシア人宇宙飛行士、アナトリー・ヴォルコフが、サマンサの肩にゆっくりと手を置いた。重力がないため、その手の重みは感じられないが、言葉に込められた友情と信頼は、深く伝わってくる。サマンサは力強く頷いた。

「必ず戻る、アナトリー。ISSは任せた」

次に、ドイツ人宇宙飛行士のグレーテ・ミュラーが、パオロを抱きしめた。重力がないため、二人の体はゆっくりと回転し、まるで宇宙空間で舞い踊るかのようだった。

「パオロ、あなたの陽気さが恋しくなるわ。地球での美味しいイタリア料理のレポート、楽しみにしているから」

ミュラーの言葉に、パオロはいつもの明るい笑顔を見せた。

「任せてくれ、グレーテ!地球に戻ったら、最高のレシピを送るよ。その時は、ISSの皆で宇宙食パーティーをしてくれ」

その言葉に、小さな笑いが起こる。

ユウキの番になった。彼の前には、NASAの若きフライトエンジニア、マリア・ゴンザレスが立っていた。彼女とはISSで多くの科学実験を共にしてきた。彼女は、目を潤ませながら、ユウキに抱きついた。

「ユウキさん、ありがとうございました。たくさん教えてもらいました。地球での活躍、楽しみにしています」

「マリア、君は優秀だ。私の代わりに、『きぼう』を頼む」

ユウキはゴンザレスの背中を優しく叩いた。彼らがこうして抱擁を交わすのは、これが最後となるだろう。半年間、寝食を共にし、命を預け合ってきた仲間たち。共に宇宙の困難に立ち向かい、地球の美しさに感動を分かち合った。この絆は、地球上でのそれとは比べ物にならないほど深く、強いものだった。重力がないからこそ、抱擁はゆっくりと、しかし深く、互いの存在を確かめ合うように行われた。

そして、ユウキは最後にISSコマンダー、アナトリー・ヴォルコフの元へと向き直った。

「アナトリー、また会おう、青い地球で」

ユウキの言葉に、ヴォルコフは力強い笑みを浮かべた。その握手は、宇宙飛行士同士の、言外の信頼と敬意を物語っていた。彼らは、ISSという人類の宇宙での拠点と、そこで働く仲間たちへの感謝を胸に、最後の別れを告げた。

「クルー・7、搭乗準備完了」

サマンサが通信機で告げた。彼女の言葉は、この感動的な別れの儀式を締めくくる合図だった。3人は、ゆっくりと身体をクルー・ドラゴン内部へと滑り込ませていく。ハーネスで座席に固定された彼らの姿は、まるでカプセルと一体になったかのようだ。

「エンデバー、ハッチ閉鎖を開始する」

ヒューストンのフライトディレクター、サラ・コナーの声が、静かに告げた。その声は、これから始まる不可逆なプロセスへの号砲だった。

ISS側に残ったヴォルコフが、Crew Dragonとの間に設置された巨大な金属製のハッチを操作した。自動機構が作動し、重厚なハッチがゆっくりと、しかし確実に閉まり始めた。油圧機構が作動する鈍い機械音が、耳に響く。

ユウキは、わずかに開いた隙間から、ISSの内部の光が失われていくのを見た。そして、その光が完全に遮られた瞬間、クルー・ドラゴン内部は、それまでのISSの明るさとは異なる、機能的な照明だけが照らす、独立した空間となった。

「ハッチ閉鎖、完了。ロックメカニズム作動中」

ヴォルコフの声が、通信機を通じて聞こえてくる。複数のロックピンが、ハッチをがっちりと固定する。これで、クルー・ドラゴンはISSから完全に隔離された独立した存在となったのだ。

そして、最も重要な最終ステップ。

「エンデバー、**気密検査(leak check)**を開始する」

サマンサの指示に、ユウキはMFDを操作した。クルー・ドラゴンとISSの間を隔てるハッチが、完全に密閉されているかを最終的に確認する工程だ。船内には、空気が循環する「シュウウウ…」という微かな音が響く。この音は、ハッチの外側の圧力を徐々に下げ、内側の圧力が安定しているかを確認するためのものだった。もし、ハッチのどこかにわずかでも漏れがあれば、船内の気圧が低下し、彼らの命は危険に晒される。

ユウキは、MFDの気圧計に表示される数値から目を離さない。針は微動だにせず、完全に安定している。隣のサマンサとパオロも、それぞれのディスプレイを真剣な表情で見つめていた。小さな漏れすら許容されない、厳格なプロセスだ。

数秒後、MFDの表示が**「LEAK CHECK: GO」**に変わった。同時に、全てのゲージが安定を示す「グリーン」ランプを点灯させた。

ユウキの全身から、張り詰めていた緊張が一気に解き放たれる。安堵の息を漏らす。パオロは「よし!」と小さな声で呟き、サマンサも深く頷いた。

彼らの乗る「エンデバー」は、これで完全に地球へと向かう完全なカプセルとなった。ISSという「家」との物理的な繋がりは断たれ、もはや引き返すことはできない。彼らは、小さな金属の殻に閉じ込められた状態で、地球の重力に引き寄せられ、約180日間の宇宙滞在の終着点へと向かうのだ。

窓の外に広がる宇宙は、漆黒の闇に星々が瞬き、その向こうには、彼らが目指す青い惑星が、ゆっくりと、しかし確実に近づいてきている。その光景は、彼らの旅の壮大さと、その危険性を同時に物語っていた。

サマンサが通信機に手を伸ばし、ヒューストンへと最終報告を入れる。

「ヒューストン、エンデバー、ハッチクローズ、リークチェック、オールグリーン。デオービット準備、続行」

その声は、迷いなく、そして確固たる決意に満ちていた。彼らはもう、振り返ることはしない。彼らの前には、地球への帰還という、最後の、そして最大のミッションが待っているだけだ。

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