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第五章 デボン紀

 シルル紀の海に再び静寂が訪れた。ダンクルオステウスの姿は闇の中へと消え、岩陰では傷ついたプテリゴトゥスがじっと息を潜めている。戦いの余韻がまだ水中に漂う中、そーすけは潜水艇の操縦桿を握りしめたまま、次に何が起こるかを警戒していた。

 だが、その予感は思いのほか早く現実のものとなった。

 潜水艇の計器が急激な水流の変化を感知し、警告灯が点滅する。異常を知らせる赤い光が艦内を照らした。そーすけがとっさにモニターを確認すると、背後の海底に突如として闇が広がっているのが映し出されていた。

 それは、ただの暗闇ではなかった。

 まるで水の中に穴が開いたかのように、そこには一切の光を反射しない黒い円が浮かんでいた。縁の部分がわずかに歪み、周囲の水流をゆっくりと吸い込みながら、まるで生きているかのように脈動している。その重力に引かれるように、小さな魚や海底の砂が少しずつ飲み込まれていく。

「ま、まずい……!」

 そーすけは全力で潜水艇のスラスターを吹かし、逃れようとした。しかし、すでに遅かった。水流の強さは一気に増し、潜水艇は制御を奪われる。ぐるりと回転しながら、深く、果てのない暗闇へと吸い込まれていった。

 視界がゆがむ。音が遠のく。全身がふわりと宙に浮いたような感覚に包まれ、次の瞬間、すべてが白い光に覆われた――。


 光が収まり、そーすけはゆっくりと目を開いた。

 潜水艇の周囲には、これまでとは異なる世界が広がっていた。シルル紀の海よりもさらに豊かで、多様な生命が入り乱れる場所。水は澄み、無数の魚が群れをなして泳ぎ、海底には奇妙な形のサンゴが広がっている。

「……デボン紀?」

 そーすけは計器を確認しながら、慎重に周囲を見渡した。すると、遠くに大型の魚が動いているのが見えた。いや、動いているどころではない。何かが争っている――。

 すぐに潜水艇のライトを向けると、三種類の生物が入り乱れ、激しく戦っている光景が映し出された。

 一匹目は、ダンクルオステウスに似た甲冑魚コッコステウス。ダンクルオステウスほどの巨大さはないが、それでも全長1メートル以上はあり、分厚い骨の装甲で頭部と胴の前方を守っている。機動力が高く、小回りの利く動きで獲物を追い詰める。

 二匹目は、体を蛇のようにくねらせるゲムエンディナ。細長い体を持ちつつも、前方には鋭い歯が並ぶ口を備え、攻撃的な動きを見せていた。コッコステウスとは異なり、鎧を持たず、素早い動きと鋭い牙で戦うタイプの捕食者だった。

 三匹目は、クラドセラケ。デボン紀に出現した初期のサメの一種で、細長い体としなやかなヒレを持つ。その動きは素早く、コッコステウスやゲムエンディナの隙を狙いながら、機敏に泳ぎ回っていた。

 そーすけが目を凝らす中、コッコステウスがゲムエンディナに向かって突進した。装甲の硬さを活かした攻撃だ。ゲムエンディナはそれをかわしながら、後方に回り込もうとする。だが、コッコステウスはすぐさま方向転換し、すばやい動きで体当たりを仕掛けた。鋭い衝撃が海中に響き、ゲムエンディナの体が揺れる。

 その隙を突いて、クラドセラケが動いた。ゲムエンディナの隙を狙い、その横腹に鋭い歯を突き立てようとする。ゲムエンディナもすぐに反応し、体をくねらせてクラドセラケの攻撃を回避する。すぐさま鋭い顎を開き、クラドセラケの尾に噛みつこうとするが、クラドセラケはその動きを読んでいたかのように素早く逃れる。

「すごいぞ!完全に三つ巴の戦いだ!」

 コッコステウスの装甲を活かした突進、ゲムエンディナの機敏な動き、クラドセラケの奇襲。三匹が互いに攻撃と回避を繰り返しながら、戦いの均衡が崩れる気配はなかった。

 そーすけは潜水艇を慎重に動かしながら、三匹の戦いの行方を見守った。デボン紀の海は、まるで自然界の力の均衡をそのまま表しているかのようだった。

 そして、次の瞬間戦いのバランスが崩れた。

 コッコステウスが再びゲムエンディナに突進を仕掛けようとした瞬間、クラドセラケが横から急接近し、コッコステウスの装甲の隙間を狙って噛みついたのだ。コッコステウスは不意を突かれ、わずかに体勢を崩す。その隙を見逃さなかったゲムエンディナが鋭い顎を振るい、コッコステウスの下腹に深く食らいついた。

「決まった……のか?」

 しかし、コッコステウスもただやられるわけではなかった。体を大きくねじり、ゲムエンディナの攻撃を振り払うと、そのまま勢いをつけてクラドセラケへと向かう。鋭い顎が開かれ、最後の一撃が放たれようとしていた――。


 コッコステウスの鋭い歯がクラドセラケに迫る。装甲に覆われたその頭部が弾丸のように突き進み、標的を捉えた。しかし、クラドセラケはすんでのところで身をひねり、すばやく後退した。コッコステウスの顎が水を切るように閉じると、その衝撃で周囲に細かな気泡が弾けた。

 クラドセラケは体をくねらせながら、今度はゲムエンディナの背後に回り込もうとする。ゲムエンディナもすぐにそれを察知し、尾を大きく振って牽制した。鋭い動きが交錯し、三匹の戦いは依然として決着を見せない。

 そーすけは潜水艇の中で息をのんだ。どの生物もただ力任せに戦うのではなく、相手の動きを読みながら、攻撃と回避を繰り返している。まるで闘技場のようだ。

 その時、ゲムエンディナが思い切った行動に出た。機敏な動きでコッコステウスの正面に立ちふさがると、大きく口を開き、そのまま突進した。コッコステウスもまた、正面からの衝突を避けることなく、真正面から迎え撃つ構えを見せた。

 二匹が衝突する刹那、クラドセラケが動いた。隙を突いて急接近し、コッコステウスの側面に噛みついたのだ。鋭い歯が装甲の継ぎ目に食い込み、コッコステウスの体が揺れる。ゲムエンディナはその一瞬の隙を見逃さず、コッコステウスの下顎を噛み砕いた。

 装甲に守られていたとはいえ、顎の部分は脆弱だった。コッコステウスの動きが鈍る。その間にクラドセラケはさらに強く歯を立て、コッコステウスの側面をえぐるように噛み裂いた。

 コッコステウスは大きく身をよじり、必死に逃れようとする。だが、致命的なダメージを負った体では、先ほどまでのような俊敏な動きはできなかった。ゲムエンディナが鋭い顎でさらに追撃を加えると、コッコステウスはついに力尽きたように、その場でゆっくりと沈み始めた。

 そーすけは息を詰めたまま、その光景を見守った。

 ゲムエンディナとクラドセラケは、しばらくの間じっと動かなかった。お互いに傷を負い、すぐに次の戦いへと移る余裕はないようだった。

 やがてクラドセラケがゆっくりと身を翻し、静かにその場を離れていく。ゲムエンディナもまた、大きく息を吐くように泡を漏らしながら、深海の闇の中へと消えていった。

 デボン紀の海は再び静寂を取り戻した。生き残るための戦いが終わり、今度は別の生命がその場を満たしていくのだろう。

 そーすけは潜水艇の計器を確認しながら、深く息をついた。

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