第二章 カンブリア紀
潜水艇の窓の外には、今まで見たこともない光景が広がっていた。透き通るような青い海。海底には不思議な形をした生物たちがうごめいている。そーすけは思わず目をこすった。
「ここ、本当に海の中なのか……?」
目の前を、大きな生き物が流れるように泳いでいった。体は細長く、両脇にはヒレがついている。前方には二本の湾曲したトゲのような前肢があり、それを器用に動かしながら小さな獲物を捕えていた。
「アノマロカリスだ……!」
まるで図鑑の中から飛び出してきたような姿。だが、目の前にいるのは本物のカンブリア紀の生き物だった。
そのすぐ下では、奇妙な形をした別の生き物が海底を這っていた。体は細長く、背中にはいくつものヒレのような突起が並び、その先に扇のような尾がある。何より驚いたのは、頭の上に並ぶ五つの目と、長く伸びた吻の先にある小さなハサミだった。
「オパビニアだ……! 本当に五つ目がある!」
オパビニアは、まるで周囲を見回すように目をキョロキョロと動かしながら、長い吻を使って砂の中を探っていた。その動きはどこかコミカルで、そーすけは思わず笑ってしまった。
次の瞬間、海底の砂が大きく舞い上がり、巨大な影が現れた。そーすけは潜水艇のライトを向けた。すると、そこには硬い殻を持つ、まるで戦車のような生き物がいた。
「……これは、アグノスタス?」
それは三葉虫の仲間だった。だが、そーすけの知るアグノスタスよりもはるかに巨大だった。まるで甲冑をまとった怪物のような姿に、そーすけは背筋が凍るような思いがした。
その瞬間、後ろから別の影がすばやく接近してくる。そーすけは、ハッとして振り返る。そこには、大きな目をしたアノマロカリスがいた。だが、先ほどのものよりもはるかに巨大だ。
「ま、まさか……!」
アノマロカリスは獲物を狙うように前肢を持ち上げると、巨大なアグノスタスに向かって徐々に近づいていった。
そーすけの目の前で、カンブリア紀最強の捕食者と、堅牢な装甲を持つ獲物との戦いが始まろうとしていた。
巨大なアノマロカリスとアグノスタスが、静かに向かい合う。海底にたなびく砂の中、互いに相手の出方をうかがうように動きを止めている。そーすけは息をひそめた。カンブリア紀の覇者たちの一騎打ちが、まさに今始まろうとしていた。
先に動いたのはアノマロカリスだった。大きな複眼を冷たく光らせ、両側のヒレを波打たせながら獲物を仕留めるべく前進する。湾曲した前肢が広がり、まるで鋼の鉤爪のように獲物を捕らえる準備を整えた。その動きは、水中を切り裂く刃のように鋭かった。
対するアグノスタスは、じっと動かない。その頑丈な殻は、まるで何百年も波に洗われた岩のように不動のままだった。捕食者の攻撃に耐え抜く準備を整え、身を固めていた。
アノマロカリスの前肢が鋭く突き出される。そのトゲが獲物を逃がさぬよう挟み込もうとした瞬間、アグノスタスの殻が瞬時に閉じた。鉄のように頑丈な甲殻が素早く閉じ、アノマロカリスの前肢をがっちりと挟み込んだ。そーすけは目を見開いた。
「かしこい……!」
アグノスタスはただの獲物ではなかった。ただ硬いだけではなく、捕食者の動きを封じるための戦術を持っていた。アノマロカリスは前肢を振りほどこうともがくが、アグノスタスの殻は微動だにしない。
次の瞬間、アグノスタスは殻を閉じたままゆっくりと回転を始めた。まるで水車が回るように、自らの殻ごと相手を振り回す。アノマロカリスの巨大な体が翻弄され、海底の砂が舞い上がった。視界が濁り、周囲は混乱に包まれる。
しかし、アノマロカリスはここで引き下がらなかった。無理に前肢を引き抜くのではなく、全身をしならせると、渦巻く砂の中をくぐり抜け、アグノスタスの背後へと回り込んだ。そして、大きく口を開き、アグノスタスの殻の隙間を狙った。
硬い殻を覆う表面は傷ひとつないように見えたが、長年の摩耗によるかすかな裂け目があった。アノマロカリスの大きな口がその一点に狙いを定めると、全身の力を込めて一気に噛み締めた。
殻を締め付ける圧力に耐えきれず、亀裂が広がる。アグノスタスは大きくのけぞり、身を守るために殻を閉じようとしたが、すでに遅かった。アノマロカリスはその隙を逃さず、強力な前肢でアグノスタスの体を抱え込み、獲物を完全に仕留めた。
そーすけは、目の前で繰り広げられたこの壮絶な戦いに、言葉を失った。カンブリア紀の最強捕食者と、鉄壁の防御を誇る生物の一騎打ち。どちらもただの本能で戦っているのではない。それぞれの戦術を駆使し、生き残るために全力を尽くしていた。
「すごい……本物のカンブリア紀の世界だ……!」
だが、そーすけが感動に浸る間もなく、潜水艇の周囲に異変が起き始めていた。アノマロカリスの勝利によって舞い上がった砂が、まるで嵐のように渦を巻き、視界をどんどん奪っていく。そして、沈没船の底で見たあの時空のゲートのようなものが、再び潜水艇の前方に現れた。
「ま、また吸い込まれる!?」
潜水艇は抵抗する間もなく、渦の中心へと引きずり込まれた。目の前が光に包まれ、そーすけは再び時空の旅へと投げ出された――。




