勇者は手紙を返せません
師匠から返事が来た。
いそいそと封を切って中身を開く。
時候の挨拶は読み飛ばして、用件を見る。
『指導者はすぐには見つからない』だと? そんなもん剣が使えれば誰でもいいだろうが!
続きを見る。
『君の修行と思いたまえ。君の短所を矯正する良い機会。寛容の精神を養う事をお勧めする』
やかましいわ!
『当方鋭意努力中にて吉報を待て』と結んである。
本当だな?
本当に後任を探して寄越してくれるんだな?
嘘だったら泣くぞ?
手紙を届けに来たトンビ(師匠の使い魔)に餌を与え、ご苦労だったなと褒めておく。
返信の返信をしたためるとするか。
1日でも早く後任を寄越して欲しいからな。
なるべく憐憫の情を誘うような、師匠の心の琴線に触れるような文章をひねり出そう。
机に向かってペンを走らせていると、窓の外から人の声が聞こえてきた。
「…田舎の方では普通にいますよ。家畜を飼っているとどうしても…ええ、毛皮に付きやすいのです」
シスター・フィリスの声だな。
「猫に付いてたらどうしよう?」
勇者じゃねえか。
「普通と違いますから、いないのでは?」
「もしいたら、どうすればいいかな?」
「神殿の家畜小屋は薬草の煙で燻したりしますが…」
何の話だか知らないが、勇者がシスターに懐いているのは良い事だ。
その調子でどんどん懐くがいい。
二人の会話が遠ざかっていく。
俺は返信の返信を書くことに没頭した。
思わず願いを聞き届けたくなるような名文を書き上げねば。
しばらくして。
ダダダダ…と荒い足音を立てて俺の猫が駆け込んできた。
足元でグルグル回りながらニャーン、ニャーンと助けを求めるように鳴く。
「どうした、パースリー?」
名前を呼びながら撫でてやる。
すると勇者がヒョコッと顔を出した。
「あ、いた」
お前か猫を脅かすのは。
「猫はやらんぞ」
「ちょっと試したい事があるだけだよ」
俺の猫に何をする気だ。
「信用ならん」
「ひどいなあ」
「何をする気か、俺の目を見て言え」
「別に変な事じゃないよ。『浄化』を掛けてみたいだけ」
『浄化』?
聖女の得意とする魔法で、様々な場面で効果を発揮する便利なものだが、それをどうして猫に?
「ほら、この世界、動物にノミが付く事が珍しくないらしいから。『浄化』掛けとけば予防できると思わない?」
…それは、有効ではあるだろうが。
貴重な神聖魔法の無駄打ちではなかろうか?
「…使い魔は魔力が高いから普通の動物と違ってノミなどに寄生される事はないんだ」
「そうなの?」
「そうなんだ」
「ノミ、付かないんだね」
「付かないんだ」
勇者は残念そうだ。
「せっかく『浄化』覚えたのになあ」
ほう、新しい魔法を覚えたのか。
良い事だ。
結界一本槍だったからな。
「試しに使ってもらおうか」
念の為、外に出て…と言う暇もなく。
勇者は間髪入れずに行動した。
「いいよ!『浄化』」
抜き放たれた聖剣から大量の水が迸り、室内を天井まで満たしたかと思うと、激しく回転した。
俺と猫と阿呆勇者は水の渦巻きに巻き込まれた。
「死ぬかと思った」
「…お前なあ」
グルグル回転させられ身動き取れない渦潮は俺たちを溺死寸前に追い込んでから間もなく消えた。
俺たちの体も服も部屋の中も綺麗に浄化されてはいたが…せっかく届いた返信も、返信の返信も、生憎の水溶性インクであった。
綺麗に消えてしまった。
何もかも。
「ごめんね、失敗しちゃった」
あはは、と笑う勇者。
「フッ」
小さく笑う俺。
寛容の精神、でしたね、師匠。
寛容とは人の失敗を咎め立てせず広い心で許す事、でしたか。
寛容の精神…。
「できるかあー! 俺の名文を返せえー!」
もちろん返ってこなかった。