勇者リヒト
昆虫関係の気持ち悪い描写と、医療関係の痛そうな描写があります。苦手な方はご注意下さい。
真っ暗な穴を落ちたら、そこは密林だった。
川端康成もびっくりだよね。
むわっと蒸し暑い空気。
多分鳥の声だと思うけど、クケケケケ、ウキョキョキョキョ、ピーヨピーヨ、とあっちからもこっちからも奇妙な声が聞こえてくる。
視界は植物に占領されて、緑一色……じゃないな。
緑、緑、赤、緑、オレンジ、緑、紫…色のバリエーションが豊富だね。
葉っぱの中にチラホラと花が咲いている。
香りは…好きになれない匂いだな、むしろ臭い。
「『結界』」
とにかく暑いから、結界を張ってみた。
やって良かった。
張った途端に上からヒルが降ってきたよ。
ヒルなんて初めて見たけど、ヒルだよね?
スライムではないよね?
よく見ると、草の葉陰に生き物がいっぱい隠れている。
アリの行列、びっしり群れてるダンゴムシ、カラフルなチョウやテントウムシ、毒々しいイモムシ、葉っぱと同じ色したカエルや縞模様のトカゲ、ハムスターより小さなカメレオン、ミミズに似た長い何か…。
生き物の密度が高すぎる!
あのガンファンクルって人が僕を強制転移させたんだって事は分かる。
だけどなんで密林なんだろう。
火山の噴火口にでも転移させれば確実に殺せたと思うのに、密林ってちょっと甘くないかな?
もしかしてサーモは溶岩に落とされてる?
僕の事は眼中に無かった?
「甘く見られてるよね」
結界の外側に避けようがない密度でいる虫を、仕方なく踏み潰しながら、移動を開始する。
足の下にも結界があるから直接踏んでるわけではないけど、なんとなく靴の裏を洗いたい気分…。
転移魔法も飛行魔法も知らないから、仲間を探すなら歩いて行くしかない。
日本にいた頃の僕なら、こんな密林を歩く体力なんて無かった。
今のこの体は余裕で蔓をかき分け、倒木を踏み越え、道なき道を踏破していける。
本当、この体の持ち主に感謝だね。
タフな体を貸してくれてありがとう。
すごく便利、すごく快適、なんでも出来そう、格好いい。
元の僕とは大違い。
元の僕は全然何も出来なかった。
非力で、貧弱で、人に助けてもらってやっと生きてるだけだった。
※
元々丈夫でなかった僕が本格的に体調を崩すようになったのは中学1年の夏。
最初は夏バテかと思われてたんだ。
ひ弱な子だから、風邪引いて寝込むのも毎度の事だし、と家族も疑問に思わなかった。
でもいつまで経っても良くならない。
なんだかおかしいと皆が思い始めて、精密検査を受けたら悪い所が見つかった。
よく知らない臓器のよく知らない不具合。
人体の仕組みとかまだ詳しく習ってないし、自分の体の中にそういう器官があるって事も初めて知った。
そんな目立たない器官が不調をきたすだけで、人間の体は上手く動けなくなるんだと知った。
即命に関わるという程じゃない。
でも不具合は不具合。
通院しながら様子を見る事およそ1年。
残念ながら良くならず、今年の夏にいよいよ手術になったんだ。
病院通いも慣れたもんだし、採血検査はちょっと嫌だけど、エコーなんかは怖くもなんともない。
手術もどうって事はないと思ってたんだ。
痛み止めは使うんだし、寝てるだけでいいんでしょ。
だけど実際やったみたら、全身麻酔って甘くなかった。
なんとなくイメージで口からガスを吸い込むのかと思ってたら、違ってた
手の甲から点滴で入れられたよ。
これが意外と痛くてびっくり!
針を刺すのがじゃなくて、麻酔薬を送り込まれた手がピリピリチクチクするんだよ。
痛みを感じさせなくするのが麻酔なのに、それ自体が痛いって何?
と思った次の瞬間にはもう手術が終わってた。
意識なくなったのも戻ったのも記憶にない。
時間だけ飛んでた。
麻酔ってすごいね。
大変だったのは手術よりも、むしろその後の入院期間。
しばらく集中治療室みたいなとこにいて、ドラマの中の患者みたいな扱いだった。
片手に点滴、反対側にドレーンとオキシメーター、胸には心電図、体中チューブとケーブルだらけ。
心電図のモニターには少し興味というか、医療ドラマの小道具的な魅力を感じたけど、一日見てればさすがに飽きた。
看護師さんは気軽に、
『床ずれにならないように自分で時々体の向きを変えて』
って言うけど、どうやって?
右にも左にも邪魔な物が付いてて、寝返り打てないんですけど?
白衣の天使に無理難題を言われた14歳の夏。
術後の経過は悪くなく、やがて普通の病室に移動した。
でもやっぱり点滴とドレーンは付いたままだし、寝返り打った弾みに点滴の針がズレちゃった事も何度かあって、安眠なんかできない。
点滴の針がズレると、内出血するから、別の場所に刺し直すんだよ。
嫌なんだよ、痛いんだよ。
切られた所は痛いし、麻酔の軽い後遺症で喉も痛いし、点滴はストレスだし、テレビを観ても楽しくないし、動画を観ても楽しくないし、そもそもスマホを長時間手に持っていられないし、ゲームとか論外………暇つぶしの方法が音楽聴くくらいしかない。
終わりがない苦痛、終わりがない退屈。
お風呂に入れないのも地味に苦痛、頭洗いたい。
横になってばかりいるのも苦痛だから、点滴台押して院内を歩いた。
自販機で飲み物買うのが数少ない楽しみになった。
少し歩くだけですぐ疲れる。
退院する頃には元々無い筋力が更に落ちてるかも。
マラソン大会万年最下位なのに、更に落ちるってあるんだね。
不具合は改善されたはずなのに、健康になれた気がしない。
僕という人間を作る時、ステータスの割り振りを間違えたのかもね。
体力に振るべきポイントを僕は何に振ったんだろう。
精神力?
それとも幸運?
どっちもあんまり高く無さそう。
眠れない日々が続いてた。
そんなある日、僕は異世界に召喚されたんだ。
ベッドに横たわる体を置いて、魂だけで!
こんな事ってあるんだね!
幸運値が高いのかもと初めて思ったよ。
※
木の枝を折り曲げ、踏みたくないけど避けられない色んな物を踏みながら進んでいたら、どこかから矢が飛んできた。
結界で弾いたけど、これって攻撃だよね?
敵がいる?
様子を伺うけど、よく分からない。
武芸の達人じゃないんだから、気配を感じるとかできないんだよ。
しょうがないから声掛けしてみる。
「誰かいるの?」
返事がない。
代わりに矢が三倍になって飛んできた。
うん、敵だね、少なくとも3人以上、殺意あり。
「交渉する気ないならやるしかないね」
聖剣を抜く。
召喚された僕を勇者にしてくれた聖剣。
僕の相棒。
あの日、僕は聖剣に選ばれた。
※
召喚されてから数日、色々な説明を受けてから、僕を含めた召喚者達は職業選択の儀式に臨んだ。
といっても難しい事じゃない。
大神殿に行って、神様に祈るだけ。
そうすれば相性のいい神器が降臨する。
どの神器に選ばれたかによって、僕達の職業が決まる。
そう、僕達は選べない。
神器が僕達を選ぶんだ。
聖剣に選ばれて、職業が勇者に決まった時はすごく嬉しくて誇らしかった。
後で勇者と言っても特別な素質があるわけじゃなくて、異世界人なら割と誰でもいいと知って、ガックリしたけどね。
それでも勇者になれた事は嬉しい。
人に助けてもらってばかりだった僕が、助ける側になれたんだからね。
聖剣の威力はものすごく強い。
それを操るこの体のスペックもすごく高い。
バク宙できるって知った時は夢中になった。
パルクールみたいな動きも楽々できて、感動した。
走るのも速いし、持久力もあるし、オリンピックに出るようなアスリートはこんな感じなのかな。
背中に羽根が生えたみたいだ。
はしゃいで走り回ってたら、サーモに怒られた。
勇者の存在意義を分かってるのかって。
分かってるよ。
勇者の存在意義でしょ。
それは人を助ける事だよね!
※
さて、弓矢で攻撃してきたからには、手を使う人間型の敵なんだろう。
ゴブリンかな、オークかな。
エルフとか人間の盗賊なんかだと少し心が痛むから、ひと目見て魔物と分かる敵だといいな。
密林の木を聖剣で薙ぎ払う。
そこにいたのは…。
弓矢を構えた恐竜だった。
……恐竜って武器使うの?
頭の中は疑問符でいっぱいだけど、ここは地球じゃないからね。
納得いかなくても現実はシビア。
ラプトルみたいな小型恐竜が矢筒背負ってこっちに弓を向けている。
もしやリザードマンというものでは? とマジマジ見ても、やっぱり恐竜にしか見えない。
口開けて威嚇してる。
何かしゃべってるのかもしれないけど、翻訳魔法が仕事しないし、やっぱりあれは言葉じゃなくて威嚇音なんだと思う。
弓構えてるやつの他にも槍持ってるのもいる。
これ、やっつけちゃっていいのかな?
実は貴重な絶滅危惧種だったりしない?
悩んで、困って、とりあえずこっちも威嚇してみようかと、全然関係ない方向に斬撃を飛ばしてみる。
声じゃないような聞いたこともない絶叫が聞こえて、見ると、木と一緒にアロサウルスみたいな大きな恐竜が倒れるところだった。
…君たちの親戚だったりする?
わざとじゃなかったんだけど、不慮の事故って扱いにならない?
ならないか。
乱戦か。
仕方ないね。
密林、伐採しまくるかもだけど、いいよね。
「これは正当防衛!」
早く片付けて仲間を探さなきゃ。
今頃サーモが殺されかけてるかも。
彼は口は悪いし、態度は乱暴だし、自己評価高すぎるし、欠点いっぱいあるけど、この世界で最初に出来た友達だから。
助けに行く。
何があっても。
この聖剣にかけて!
(そして広大な密林が荒地に変わった)