シスター・フィリス
気づくと吹雪の中にいた。
叩きつけてくるような雪で顔面が痛い。
冷たい風に体温が奪われていく。
「『温熱』」
自分の体と身に着けた装備を温かな魔力の場で包み込む。
手袋越しにメイスが温まっていくのを感じる。
いきなり暗い穴に落とされたかと思えば、視界を奪う雪と凍てつく寒さに驚いたが、冷静に考えれば何という事はない、吹雪の中に強制転移させられただけだ。
寒冷地には慣れている。
『温熱』の魔法で温めていれば凍える心配はない。
とは言え良くない状況ではある。
仲間とはぐれてしまった。
吹き付けてくる雪で視界が効かず、足元も悪い。
どちらに行けば人里があるのか、そもそも人の住む地域なのかも分からない。
吹雪が止むまでどこかに避難すべきだろう。
幸いな事に自分はこのような環境に慣れている。
雪洞を拵えて体を休めるのは難しい事ではない。
ただしそれは敵がいなければの話だ。
「…前に三匹、後ろに二匹ですか。雪狒狒ですね」
独り言が口から漏れる。
雪狒狒は白い毛皮の猿だ。
人間大で雑食、群れをなして人を襲う。
雪山によく出る魔獣で、そこそこ知恵が回り、女や子どもなど弱そうな獲物を狙ってくる。
女で単独、今の自分はさぞかし美味そうな獲物に見えるのだろう。
吹雪に紛れて襲いかかってくる白い猿は並の人間には脅威だが…。
前方の猿が牙を剥いて威嚇してくる。
今にも飛びかかってくると見せかけて。
「前は囮、後ろが本命」
メイスを一閃、忍び寄ってきた背後の猿を殴り飛ばす。
視線は前を向いたまま。
どうせ吹雪でまともに見えはしない。
『無理に見ようと体を捻るな。見えない所は勘でやれ』
そう教わった。
視界の片隅で動くもの、音、獣の臭い、息遣い、魔力の気配、全てを総合して対象を捉える。
一匹、また一匹と。
メイスで捉えた猿は頭を砕かれ、四肢を折られて、雪の上に転がる。
「獣のうろつく雪山に転移させればなすすべもなく死ぬと思いましたか。小賢しい悪魔よ。あいにく私は北の修道院で鍛えられましたから、この程度は苦にならないのです」
深い雪に足を取られてもよろけはしない。
乾いた地面でしか戦えない、なんて腑抜けた事を言う神官は北の修道院にはいない。
降り積もった雪の上で、凍てつく川で、春のぬかるみで、どこでだって戦える。
そのように訓練されてきた。
容赦なくメイスを振り下ろす。
何度も、何度も。
瞬く間に雪狒狒の数が減った。
血を流し倒れ伏す猿。
不利を悟って逃げていく猿。
血の臭いが吹雪に混じる。
「次は何ですか? 雪狼? 雪豹? 雪熊ですか? 獣如きでこの私を倒せるとでも? 主は我と共にあり。尊きその御力に私は護られているのです」
護られているというか、自分で自分を護りながら結果的に加護を得ているというか。
天は自ら助くるものを助く。
それが修道院の教え。
ボーッと助けを待ってるだけでは凍えて死んでも文句は言えない。
何をすべきか自分の頭で考えて、自分で動いて、結果を出してこそ、主の愛を感じられる。
そう言い聞かされて何度、雪中修行に挑んだか。
雪洞を掘り、薪を集め、野生の獣を狩ってその肉に感謝する、そんな日常を繰り返し、北の神官達は己の技と心を磨くのだ。
北の修道院仕込の荒業、『自分にバフして物理でポン』で大抵の事はなんとかなる。
これぞ主の愛、神の御業の素晴らしさ。
首に下げたロザリオが熱くなる。
ふと吹雪が止んだ。
一瞬の晴れ間に照らし出される一面の銀世界。
美しい。
冷たい空気を肺に吸い込む。
清々しい。
雪は冷たく、厳しい。
だが公平だ。
良きものも悪しきものも等しく包み込み、その腕に抱く。
清らかな純白の腕に。
「主よ、感謝します」
吹雪に隠れて忍び寄る獣の姿が今、はっきりと見える。
白に灰色の縞模様、強靭な顎と鋭い牙を持ち、体長は人の二倍もある魔獣、雪虎。
姿勢を低くして雪に隠れているつもりか。
「主は隠された真実を明らかにする。欺瞞は無意味です」
負ける気がしない。
神の恩寵は私達にある。
獣どもを蹴散らして、聖女様を探しに行こう。
「さあ、どこからでもかかってきなさい!」