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蚊「くっ……殺せ……っ!!」

「くっ……殺せ……っ!!」


 残暑のわだかまる八月の夜。俺は自室にて一匹の蚊にそう吐き捨てられた。


 奴が左腕に止まっているのに気づいた瞬間の出来事であった。


 なんでや。


 ……いやいや、きっと幻聴だ。そうに決まっている。蚊が言葉を発するなどある訳がない。いわんやくっころをや。


 疲れてんのか――自分の脳にあきれつつ、潰すために右手を振り上げようとする。


「やるならやれ。――だが私一匹殺したところで蚊が滅びる訳ではないぞっ! 必ずや私以外の誰蚊(だれか)が貴様の皮膚に口吻(こうふん)を突き立て、その血を吸うであろうっ!!」


「いや幻聴じゃねえわこれ」


 はっきりと蚊の言葉が聞こえた。しかも地味に嫌な宣告つきの。


「……おまえ、しゃべれるのか?」


「それがどうした。早くやれ」


 試しに蚊へ語りかけると、つっけんどんな返事をよこされた。


 どうやら意志疎通が可能であるらしい。


 ”俺の脳内だけに響く声”という可能性も完全にゼロではないが、もしも本当にしゃべっているのであれば世紀の大発見である。


 こうしちゃいられない。証拠動画を撮影しておこう。俺は卓上のスマホに手を伸ばし、カメラを蚊に向ける。


「……なっ……貴様、なにを……?」


「いや。珍しいから動画を――」


「まさか――まさかっ、私が辱められるさまを動画に収めて全世界に拡散するつもりか……っ!! このゲスめ……っ!!」


「人聞きの悪いこと言わないでくれないかなぁっ!?」


「だが私の身体は好きにできても、心まで好きにできると思うなっ!! たとえ貴様になにをされようが――いやらしい視線で触覚を眺め回されようが、(はね)翅脈(しみゃく)沿いに指を這わされようが、腹部の横帯おうたいをねっとり舐められようが、私の魂は決して屈したりしないからなっ!!」


「しかも妙に具体的な表現をしないでくれないかなぁっ!?」


 キモいから。


「じゃあ小楯板(しょうじゅんばん)かっ!? それとも気門(きもん)かっ!? 脚かっ!? ……たとえどの部位をじっくりねっとり責められたとしても私は絶対に屈したりしないんだからなご主人様ぁっ!!」


「もうすでに屈してやがるんだよド変態()っ!!」


 なに俺の左腕の上で悶えてやがるんだ。


 ……なんというか、これ以上こいつと関わりたくないって気持ちが急激に湧いてきた。世紀の大発見とかもうどうでもいい。


 かといって殺すのもなんとなく寝覚めが悪い気もする。


 そう思った俺は部屋の窓を開ける。


「……ほらよ。見逃してやるからとっとと出てけ」


「……なに? 舐めないのか?」


「断固拒否する。俺は虫ペロするような上級者じゃない。いいからとっとと出てけ」


「私のあられもない姿を動画に収めて全世界に公開しないのか?」


「してたまるか」


 もしさっきのやり取りを公開すれば、俺は蚊との意志疎通に成功した偉大なる先駆者であると同時に、蚊に劣情を催す異次元の変態野郎として電子の海にその名を刻むことになりかねない。


「なにもしないのか?」


「しねえよ」


「本当にしないのか?」


「しねえ」


「――しろっつってんだよこのヘタレ野郎がぁっ!!」


「死ねぇっ!!」


 俺は右の平手を思いっきり振り下ろすが、命中直前に蚊はひらりと飛び立つ。


「……危ないではないか。死ぬところだったぞ」


「最初に"殺せ"と抜かしたのはテメエだろうがっ!!」


「そのセリフを言う者には下卑た欲望を剥き出しにして迫るのが作法ではないか。まあ叩いたり縛ったりなプレイが好みなのは理解したが……」


「虫による唐突な風評被害っ!!」


「だがな。この(いや)しい(メス)蚊めに情けを下さるのがご主人様としての責務だろう?」


「なんもしてないのに完全に屈してやがるぞコイツ……っ!!」


 しょせんは虫。五分(ごぶ)の魂しか持たぬ悲しき生き物よ。


「……ったく。ほら、なにもしないからさっさと行け」


「チッ」


 俺はいま、人類史上初の蚊に舌打ちされた人間となった。


「……まあいい。見逃してくれた礼は後日必ずしよう」


「いらない」


「具体的には私の仲間たちを引き連れ耳元で羽音ASMRを――」


「やったら殺虫剤全力噴射するからな?」


 鳥肌立ったわ。


「ではさらばだ、据え膳も食えないヘタレ……ご主人様」


「ぶっ潰すぞ」


 俺のガチトーンなど意に介さず、蚊は夜闇の向こうへと飛び去っていった。






 数日後。


「――待たせたなご主人様。先日見逃してもらった蚊だ」


 見知らぬナイスバディ美女が、全身を縄でボンレスハムみたいに縛られた状態で玄関に転がっていた。


「…………」


「どうだ。この姿なら虫ペロ初心者のご主人様でも手を出しやすいだろう。ついでにサービスで縛っておいたから拘束シチュ的な雰囲気もより楽しめるぞ。まあおかげでここまで来るのに苦労したがな」


 朱に染まる整ったかんばせ。ふっくらと弾力のある唇から漏れる吐息。


「…………」


「さあ好きにしろ。遠慮せず存分にこの卑しい雌蚊めを欲望のはけ口とするがいい」


 美女が身をよじるたびに縄が肉に食い込み、豊かな凹凸が強調される。


「…………」


「さあやれ。やるのだ。カモン。ゴー」


「…………」


「――さっさとやれっつってんだよこのヘタレ野郎がぁっ!!」


「……中身……っ!!」


 外見だけは完璧な美女によるミリ嬉しくない恩返しを前に、俺は膝から崩れ落ち世の不条理を嘆いた。

こちらもよろしくお願いします。


■クズ男爵Re ~ストーリーの途中で殺される悪役貴族に転生したので運命変えてみる~

https://ncode.syosetu.com/n2904jb/

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― 新着の感想 ―
しねえ と死ねぇ!で紡ぐライム 澱みない的確なツッコミ… これ漫才の台本で成り立ちませんか…? 名作だと思います。
[一言] 『ガーターベルト&絶対領域ストッキング』  ↑コレが有ったなら、自分、美味しくいただかれる自信あり。  でも、ボンレスハムは、ちよっと……  せめて、眼鏡&タイトスカートなら^^;
[一言] この作者さん何で蚊一つで面白く出来るんだろう・・・。
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