幕間 二兎を追う者は一兎をも得ず ー片柳ー
「──お疲れ様、と言っていいのかな?」
決意を固めた表情で訪れた蓮を見て、俺はひとつ息を吐いた。
ついに──、ついにこの日が来たか。
心から安堵する気持ち、どこか寂しさも感じる気持ち。子供の成長を見守るまでは良いものだが、旅立つのを笑顔で送り出さないといけないというのは時に悲痛なことでもある。それがこうも短期間に続くと尚更。
「……ドントラブミーは、どうなりますか?」
蓮は言葉を選ぶように慎重に口を開く。
「最後の砦となった蓮を堕とした、彼女の勝ち。ドントラブミーは、もう存在しない幻のゲームとなった」
「……惚れたもん負け、ってことですね」
まさか彼女が、本当にここまでやり切るとは。蓮がユーザーに心を開く日が来るだなんて、正直そんな日は来ないとすら思っていたのに。
蓮はきっと、最後に残った自分たち二人が咲村サラへ告白をしたことがゲームクリアの条件だと思っているのだろう。
しかし、このゲームの本当のエンディングは、全てのアクターたちが《《真の姿》》を取り戻すことだ。それには向こうの世界の人間による、深い愛情が必須だった。そして実際、咲村サラは様々な形の愛を以て、閉ざされていた哲平、翔太の記憶を取り戻させ、あるべき場所へと帰らせたのだ。
そして蓮の記憶も──。恐らく彼は全てを取り戻しているはずだ。
「見たくない過去だったか?」
様々な事情を抱え、様々な環境の渦に飲み込まれ、心を閉ざすことでしか己を守れなかった若者たち。彼らにとって仮想現実とも言えるゲームの世界は、麻薬のようなものであり、そして救いの光でもあったのだろう。自らこちらへとやって来た彼ら。代償となったのは、それまでの自分の姿。
「俺は……疫病神かなんかだって、ずっと思って来ました」
蓮はそう言うと、自身の過去について話し始めた。
小さな頃から感情の表現が表に出にくかった蓮は、何かがあると必ず先生から怒られていたという。素直に泣きじゃくって訴えるだとか、しゅんとしてごめんなさいと言うだとか、他の子供がやるように自分に都合の良い言い訳を並べるだとか、そういうことが出来なかった蓮。
無表情、無口、無愛想。
クラスの子供たちにとっても、指導する立場の先生にとっても、蓮は扱いにくい存在だったのかもしれない。クラスで起こった問題はなんでも蓮に原因があるとされてきた。
子供というのはとても純粋で、それでいて柔軟で、そして残酷だ。
蓮は自分の立ち位置を理解し、受け入れ、悪い物事は全て自分の責任だと思い込むようになる。
そしてそんな生活を十八年続けたある日、両親の離婚を機に、彼は自分で抱えるものの重さに潰されてしまったのだ。
そのままの姿で、記憶だけを失った状態で。俺が初めて会ったとき、蓮はがらんどうな目をしていた。それから彼がここで生きていけるよう、様々な手配をしてきたのだ。
「結局こっちに来ても、人を傷つけたりして……。記憶を失っていても、人間はそうそう変わらないですね」
蓮はそう言うと自分の手を見つめる。
「──だけど」
蓮の視線がまっすぐにこちらに向けられ、俺はごくりと固唾を呑んだ。
「だけど、こんな俺でも、大事にしたい存在が出来たんです」
なあ蓮、寂しくなるな。
哲平も、翔太もお前も、俺にとっては息子のような、弟のような、そんな大切な存在だったんだ。それでも俺が接していたのは、お前たちの仮の姿だったんだよな。
「長島蓮に、戻るんだろ?」
蓮はゆっくりと頷く。
「柳さん、本当にお世話になりました」
深く深く頭を下げる蓮。それから顔を上げると、ひとつだけ、と彼は付け足す。
「昴を、よろしくお願いします」
「分かってる。心配ないよ」
ここへと迷い込んだ彼らは、決して平穏で幸福な毎日を送ってきたわけではなかった。それでもここに来ることで、兄弟のような、仲間のような、そんなかけがえのない存在と出会えたことは幸運と呼んでもいいのではないかと俺は思う。──いや、俺はそう思いたい。
彼らがこちらへ来てくれたことが、俺にとって幸運であったのと同じように。
「あ、そうだ」
背中を向けた蓮に、俺もひとつ付け加える。最後に必ず、言ってやろうと思っていたのだ。
「サラに愛を囁くと、鼻血を出すから気を付けろ」
「は……?」
「昔な、俺もアクターやってたんだよ。あいつ、俺にぞっこんでな。片柳様……なんて目をハートマークにしてたぞ」
「……はああぁぁあ!?」
若人よ、たくさん足掻いてもがけばいい。苦しいことも、つらいことも、乗り越えられないと思うこともあるだろう。
そんな時には、またここに来たらいい。
俺はいつでもここにいる。お前たちが現実に少し疲れたら、このドアを叩けばいい。
ただしもう、掴んだものを手放すな。自分の信念を、手放すな。
◇
「はあ、やっとエンディング迎えられた」
「社長のおかげですね」
「またまた。俺じゃなくて、咲村サラの力だろ。乙女ゲームの猛者ってのは半端じゃなかったな」
はははと渇いた笑いを吐き出す、株式会社ドリームメイカーの現社長。
「寂しくなりますね」
「そんなこと感じる暇もないって。また新しいゲームを開発しないといけないし、アクター候補なんて山程いるんだし」
ぱさり、とデスク上の書類をめくる社長は、まだ若いがかなり有能な敏腕社長だ。
ドントラブミーは、迷い込んだあちらの世界の住人を元の世界へと戻すために作られたゲームだ。現実世界からこちらの世界へとやって来ることは、実はそう難しいことではない。現実世界というのはよほど厳しいところなのだろうか、ゲームの世界の方がずっと楽しくのめり込むことが出来るのだと口々に彼らは言う。
しかし、その反対は実に困難。彼らはここへやって来る時に記憶を一時的に失う上、なんらかの形でそれを取り戻しても、自力でそこへと戻る術はないのだ。
「咲村サラは、女神でしたね」
「まあ、結果的にはね。オフィスの備品整理も完璧に終わらせて、マンションの部屋も綺麗に掃除してあった。本当に馬鹿がつくほど真面目だよなぁ」
「ここを去ると決めてから、身辺整理をしてたんでしょうね」
人間は欲望という布をいくつも身に纏って生きている。誰だって自分のことが一番かわいい。誰かを愛し、愛されたい。そんな中で、己の欲望を抑え相手のことを優先して考えるということは──ましてやゲームの中でならば尚更──決して簡単なことではないはずだった。現に数多くのユーザーたちがそうしてゲームオーバーを迎えてきたのだ。
「本当は社長も、咲村サラをそばに置いておきたかったのでは?」
「は? ふざけんなし。ただの演技だっつーの」
社長はわざと乱暴な言葉を使うと、くるりと椅子を回してこちらに背を向けた。
株式会社ドリームメイカーの会長である、現社長の父親は複数の企業を経営している。他の企業においては社長業を退いていないものの、手始めにと三年前にドリームメイカーの社長の座を、自身の息子に託したのである。
「……みんなが幸せになれば、それでいい」
アクターたちがこの世界から解放されることを誰よりも願ってきたのは、この社長だ。
家族との結びつきが薄かった彼にとって、アクターとして出会ったあの三人は家族以上のかけがえのない存在だったに違いない。
彼らがこの世界から消えることを誰よりも望み、誰よりも寂しく思っていた社長。
そしてそんな社長が、咲村サラへの恋心との間で葛藤していることくらい、その姿を見ていれば歴然だった。
咲村サラはアクターだけではなく、我が社長にまでも影響を与えたのだ。
「社長、ハルヤマでの役割はどうしますか? もう咲村サラはここを去りましたし、社長が自らあそこで働く必要もないかと。そもそも社長は、アパレルは興味外でしたよね」
「ばーか」
「……はい?」
「服作りってのは、ゲームと同じくらいに奥が深いものなんだよ」
「ですが、どちらもというのは体力的に厳しいのでは……」
くるりと今度はこちらへと椅子を回す我が社のトップ。彼の笑みには、自信がきらきらとみなぎっているのが見える。それから、俺みたいな人間をなんと言うか知っているか? と顎をあげた。
「──二兎を追う者は一兎をも得ず」
「…………」
いやそれ、どちらも得れていないですから。
──我が社の社長は、頭はきれるし仕事は出来るが、語彙力への理解に非常に乏しいのである。




