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幕間 慣れというもの

 自動のブラインドを開ければ、薄暗かった会議室に眩しい朝日が入り込んだ。人間の体というのはとても不思議だ。眩しさに目を開けていられなくても、数秒経てばその明るさに体が慣れる。やがて、見えなかったものがクリアに見えるようになる。

 人間には“慣れ”という非常に便利な機能が備わっているのだ。


 時刻は午前八時半。朝、出勤した俺のことをデスクで待っていたのは大きなボストンバッグを抱えた翔太だった。どこかへ出かけた帰り道、そのままに来たのだろうか。髪の毛もきちんとセットされている様子はなかった。

 翔太も、哲平のように記憶を取り戻したのだとすぐに理解した俺は、彼をそのまま上の階の会議室へと連れて来たというわけである。


「柳さん、僕──」

「やめるんだろ?」


 ぎぃっと上座の椅子に腰かければ、翔太ははっとした表情で固まった。いつからお前のことを見ていると思っているんだ。小さな表情ひとつで、大体どんなことを考えているか分かってしまう。それは、翔太が生まれ持った素直な表現能力と、ここまで共に過ごしてきた時間がそうさせるのだろう。


「……いいんですか?」


 ぐっと唇を噛みながら翔太が問う。良いも何も、お前はもう全てを決めているんだろう? 周りへの配慮を忘れない翔太。モデルを始める時だって、お前は俺に同じ表情で「いいんですか?」と聞いてきた。だけど本当は、いつだって覚悟を決めていたじゃないか。




 翔太に初めて出会ったのは、彼が十四の時。ドリームメイカーの前社長に呼ばれて向かったある病院のベッドに横たわっていた翔太は、穴の開いたような瞳で、ただただ天井を眺めていた。

 白くて華奢な体、ふわりとしたくせっ毛に整った顔立ち。爪先は桜貝のようなピンク色をしていた美しい少年。その容姿とは不釣り合いなほどのがらんどうの瞳がとても印象的だった。

 俺が任されたのは、翔太の身の回りの世話役だ。毎日毎晩病院へ向かい、何の反応も見せない翔太に声をかけ、それと同時に全寮制の中学への編入手続きを済ませた。もちろんその学校は、我が社の息がかかった学園のため、記憶喪失状態である翔太が編入することに何の問題もなかった。


「お前の名前は、今野翔太。十四歳の中学二年生だ」


 こうして声をかけ続けること約一カ月。『刷り込み』という言葉が存在するように、少年は人間としての機能を回復させると共に自らが今野翔太、幼い頃の記憶をなくした人間であることを受け入れていったのだ。



 この世界には、二種類の人間が存在する。ひとつめは、俺のように、そして多くの人々がそうであるように元からこの世界に生まれた人間だ。そしてもうひとつが、現実世界からこちらの世界へ迷い込んでしまった人間。彼らには何かしらの事情があり自分の世界との関わりを遮断し、ゲームへと救いを求めるうちにこちらへ来てしまうという。そしてそんな彼らは全員、過去の記憶を綺麗になくしてしまうのだ。


 そんな世界で、当時の俺の仕事は‶最高のアクターのスカウティング〟だった。我が社ドリームメイカーには、多数のアクターが在籍している。数多くのゲームを運営しているのだから、演じるキャラクターが増えるというのも当然のことだ。この仕組みは、芸能界と少し似たような部分がある。アクターはスカウトやオーディションによってゲーム会社に所属する形となり、それぞれの社のゲームに出演。ただ、芸能人とは明確に違う点がある。

 それは、芸能人はこちらの世界に向けて発信するコンテンツに出演するのに対し、アクターは現実世界に向けて発信するコンテンツに出演しているということだ。

 アクターは決してこちらの世界での有名人ではなく、その立場を知るのは彼らの家族など近しい存在だけだ。よってアクターという職業が存在することは認知されていながらも、その正体を知っている人は非常に少ない。




「……勝手に決めてごめんね、柳さん」


 いつの間にか、あどけない表情で笑っていた少年は、きちんと一人で物事を決められる青年に成長していた。俺は独身で子供もいないけれど、子の成長を見守る親というのはこんな心境なのかもしれない。

 毎週末、寮から一人暮らしをしている俺の家へ遊びに来ていた中学生の翔太を思い出す。あの頃はいつもシュークリームをふたりで食っていたっけ。

 高校に上がれば翔太には友達もたくさんできて、週末にうちへ来る回数もぐんと減った。一抹の寂しさを感じながら、それも成長のひとつだと温かく見守ったものだ。

 彼は期待通り、素晴らしい青年へと成長した。そして、我が社運をかけた新ゲーム‶ドントラブミー〟のアクターとして多くの功績を上げてきたのだ。


「そんなことを思う必要はないさ。今まで、ありがとうな」


 今までも多くのアクターたちを育ててきた。それでも、やはりこのゲームのアクターとなった彼らには人一倍強い思い入れがある。

 翔太も哲平のように、現実世界もとのせかいへと戻るのだろう。当たり前だ、全てを思い出したのだから。


 俺はやはり、今回もこの言葉を言わなければならない。見送った哲平の表情が脳裏に浮かび、胸の奥がつきんと痛んだ。


「──それで、お前はどうする? 《《今井翔太》》」


 ゲームの世界に残るのか。

 それとも向こうへ戻るのか。



 人間には“慣れ”という非常に便利な機能が備わっている。

 それなのに、どうしても別れを示唆する言葉を発する時には、俺の心はひどく鈍く痛むのだ。慣れてくれてもいいだろうに、どうしても心がそれを受け入れてはくれない。


「僕さ、中学の頃にいじめられていたんだよね。……あ、ここに来る前って意味ね」


 翔太はそう言うと、困ったような笑顔を見せた。翔太はこちらに来た時から、本当に綺麗な顔立ちをしていた。それは例えば、性別という枠を超えてしまうほどの美しさを持っていたと言っても過言ではない。


「本当は女なんだろーとか、男なら証拠を見せろとかさ。まあ、中学生男子の言いそうなことだっていうのは今ならば分かるけど……」


 それでも当時は本当に辛かった、と翔太は下を向いた。そんな翔太にとって、救いとなったのがインターネットを通じたゲームの世界。彼は学校へ行かずにゲームへと没頭していき、気が付いたらこちらの世界の住人になっていたのだ。記憶を全て失った状態で、《《今野翔太》》として。



 翔太はゆっくりと顔を上げると、まっすぐな瞳で俺を見る。空っぽではなく、光と希望を湛えたその瞳で。


「僕は、ここに残ります」


 ふわふわと、薄茶の髪の毛がやわく揺れた。




 ◇




 ふうー、と大きく息を吐き出せば、椅子の背もたれがギィッと鳴いた。翔太が出て行ったこの広い会議室。途端に言いようのない孤独感に襲われ、自分を落ち着かせようと俺はもう一度大きく息を吐いた。


「──行った?」


 途端、誰もいなかったはずの後方から声が聞こえて俺は驚いて立ち上がる。後ろには、我が社のトップがいつの間にか立っていた。


「すみません気付かずに」


 ぱっと自分が座っていた椅子をそちらへ向けるも、社長は「いいから」と苦笑いしてその横の椅子へと腰を下ろした。それから俺にも座るように促す。


「それで、今野翔太はどうするって?」

「それが、こちらの世界に残るそうです」

「……へえ。自分の本当の世界よりも、幼馴染を選ぶのか」

「予想外でした」


 翔太の選択は、この世界に残ること。自らの過去を取り戻した翔太は、それでも彼女と向き合うことを選んだ。それは俺にとって、大きな驚きだった。きっと彼も哲平のように、自分が元いた世界へ戻るものだと思い込んでいたのだから。

 しかし翔太は、これからの未来を生きることを選んだのだろう。きっとその選択をした背景には、今回のユーザーの存在が大きく影響しているに違いない。



「咲村サラ──、なかなかやるな」


 ふ、と口元に笑みを浮かべながら社長はいつだったか彼女のプロフィール写真を写した巨大スクリーンを見つめた。もちろん今日はそこには何も映っていない。


 咲村サラ。それは、現在ドントラブミーをプレイしているプレイヤーだ。彼女が只者ではないということはプレイ前から分かっていたことだ。乙女ゲームという乙女ゲームをやり尽くし、尚且つ一度も課金をせずに全エンドをクリア。

 これまでのユーザーたちとは何かが違うということは感じていたが、まさか本当にここまでやりきるとは。正直想定外でもある。


 こちらが用意したシナリオをアクターが演じても、彼女は全くこちらの思惑通りに動いてはくれなかった。今回は、翔太と幼馴染との三角関係を仕掛けることで彼女の恋心を自覚させ、ゲームオーバーに陥れるという内容だったというのに。


「伊藤哲平のことは、彼の抱える問題を解決し、家族間の愛情に気付かせることで解放。そして今野翔太は、素顔を思い出させることを友愛でクリアし、解放。……まったく、うちの優秀なアクターをふたりも奪うなんてなぁ」


 そんな風に言う社長は、言葉とは裏腹にどこかこの状況を快く思っているようにも感じられた。きっと多分、社長もずっと、願ってきたのかもしれない。


 過去をなくした若者たち。

 現実から目を逸らした少年たち。

 この世界へと縛り付けられた彼らを救えるのは、たった一人の‶女神〟だけなのだ。


 自らの恋心や独占欲を超え、彼らに心からの愛情をくれる存在。本当の姿を、思い出させてくれる存在。

 それこそが、社長の求める‶女神〟。


「咲村サラは、女神だと思いますか?」


 そう聞いて、ブラインドの外を見た。窓の向こうには、雲一つない青空が広がっている。


「──さあ。それはまだ、分からない」


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