初老の研究者、石田一生(いしだかずなり)が現れ、村重満や美里と今世間で話題の、例の人類の文明の成立にという話題について触れる
その 12
弁慶号を連れた、美里に声をかけてきたのは、石田一生であった。
石田一生は、かって、矢口博士の共同研究者であったことがある。
そういうわけで、石田一生は、少し前まで、矢口博士の研究所に勤務していた。
石田一生は、今では、自分の研究に専念するために、矢口博士とは別れて、自分の研究に専念している。
とはいっても、石田一生は、今日でも、頻繁に矢口博士の研究所に出入りしていた。
さすがに、矢口博士が独裁者になってからは、石田一生が研究所を訪れるのは減ってしまった。
矢口博士は、温厚で、心が広く、自分たちの専門分野の垣根をこえて、この研究所に席がない研究者が少なからずこの研究所に出入りしていたものである。
美里は、石田一生が研究所に来ていた頃には、研究所で石田一生の顔を合わせ、直接的、間接的に石田一生から、いろんな情報を得ることができた。
* *
弁慶号と一緒の美里が、石田一生から声をかけられて、石田一生の方を見てみた。
石田一生は、以前話していたこの巡礼に単独参加の若者、村重満と一緒にいた。
村重満は、どこの巡礼のグループにも所属することなく、一人で、というか個人参加の若者である。
が、いま発生している、この騒動、この緊張事態に、戸惑っているのを、石田一生が見かけて、助け舟を出していたところであった。
突然、現れて世界中から注文されている、この平原と巨大な建物について、その現れた理由を説明してた。
「我々の周りにあるこの広大な平原と巨大な古代遺跡のような建物は、現実に存在するものではないのです。人間というものは愚かな生き物でありまして、これが、つまりここに見える、この古代遺跡が現代に蘇ったような建物は、我々があると、つまり、存在していると何かに思わされてしまっている、そういうことなのです」
その13
「この若者すごいよ! 美里さんに、紹介したいんだ。ぜひ、この村重満という若者の話を聞いときなさい。騒動も収まったみたいだし!」
石田一生は、この不思議な動物というか、怪物というかによって巻起こっている出来事に、あくまでも、仮想の現実の話として、無関心な様子だった。
* *
美里と弁慶号を待たせて、再び、村重満とかいう若者に対して語り始めた。
「どのような事態にも対応できるように、わたしたちは、怠りなく準備をしているのです。そして、この事態は、まさに人畜無害な、何も心配することはないのです」
「実際に、こうして、ありえないことが、多くの一般の人の目前において起こってしまう。そういう、時代なのです。少々、風変わりなことでもカンタンに起きてしまう世の中になっているのです。大事なことは、そのようなことに、過敏に反応してしまうことなく冷静な気持ちを保っていることです」
石田一生は、村重満に対して、終わることなく、熱弁をふるい続けていた。
その様子を、美里は見ていた。石田一生の話には、加わる気持ちにはなれなかった。
(この私達の眼の前に広がる大平原が、仮想の現実であるとするならば、現実に、失われてしまった何千という家族は、どこに消えたのか? この世界の人たちは、消えてしまった町のことを、そこにいたはずの住人の事をなぜ心配しないのだろ?)
美里は、口には出さないが、石田一生の話を聞いていると、そういう気持ちになった。
* *
石田一生は、この若者の話を聞いて、ただならぬ関心を持っていた。
石田一生の話が終わると、美里は、ようやく、村重満という若者の身の上話を聞くことができた。
すると、石田一生ほどには、この若者に感心はできなくとも、クールな美里にとってさえ確かに興味深い内容であった。
その14
石田一生と美里と村重満の3人による立ち話は、何時間にも及んだ。
お昼の、時間が過ぎ、お供の弁慶号は、機嫌が悪くなったのだが、村重満のバックパックに残っていた携行食料の缶詰めを弁慶号に与えることができたので、弁慶号は、大人しく3人の会話に聴き入っていた。
石田一生と美里と村重満の会話が終わった頃には、もう日が沈みかけてきた。
研究室からも、美里を呼びに研究員がやってきたのだが、3人が熱心に議論を交わしている最中であったので、気を利かして、美里を、研究所に連れ戻すようなこともなく、研究所に戻って行った。
石田一生と美里と村重満の議論が終わろうとする頃、石田一生は、感慨深げに言った。
「やはり、ムー大陸は実在していたのですね。村重満さんという若者の話を聞いて、わたしの考えに確信を持つことができました」
その15
ところで、彼らは、時間をかけていろいろ話し合ったというか、忍耐強く議論を行っていたわけではあるのだが、石田一生や、美里や、村重満の話がどんな話だったか、説明するためには、まずは、ムー大陸についてはじめに説明しておかなければならない。
とか言っても、私が地球の超古代史について専門でもないので、説明は少し曖昧になるかもしれないが、こういう話は、専門家の厳密な話よりも、素人の少しは曖昧な、大味な、ザックリした説明の方がわかりやすい場合もある。
ということで、大いにザックリとしたムー大陸の話を始めてみよう。
ムー大陸というのは、太平洋に存在した大陸である。大昔、それも、メソポタミアやエジプトの歴史が始まる何千年か、いや、それよりさらにはるか昔から、太平洋に存在した大陸である。
ムー大陸が、存在したという学説を、西洋の学者が考え出したが、実は、後の学者によって、否定されている。太平洋には、何千年どころか、何億年にわたってムー大陸のような、大陸が存在したという痕跡は見られないというのである。
しかし、太平洋には、古代文明の名残であるかのような、太平洋のあちこちに存在しているのも確かな話である。
古代の文明について考えるとき、それらは、メソポタミア文明も、エジプト文明も、インダス文明も、おそらくは中華文明も、これらの文明に至る順当な段階を踏んで成立するというのではなく、これらの文明は突然変異の結果、あるいは、何もないところから忽然と歴史上に出現しているように見える。
このような文明成立の、突飛だったり、あやふやだったりする文明成立の印象は、人類の文明というのは、人類が一歩一歩段取りを踏んで作り上げたの人類の足取りが見えづらいものである、
そういうところから、それなら、ちょっと飛躍して、人類の文明というのは、人類ではない何者かの力や情報や知恵によって生み出されたのだと、そう考えようとする人たちが、学者が出てきたとしても不思議ではない。
それは、都市伝説の信奉者たちである。
例えば、都市伝説の信奉者は、このような、たとえば究極の知恵や超能力を持つものたち、巨人、あるいはエイリアンの来訪、地球人との接触という形で、人類の文明の成立について考えるのが好きである。
しかし、このような都市伝説の信奉者の考え方は、大きな問題が存在している。
それは、その大きな問題の重要な一つとして、人類に文明を伝えたものたち、
人類を教化したり、啓蒙したりしたものたちの存在を証明する、はっきりした痕跡や、証拠が存在してはいないと言うことなのである。
そのような理由で、都市伝説の信奉者というのは、つねに、冷静な実証的な学者たちにより、揚げ足をとられ、笑いものや、ピエロ扱いされてしまうのである。
せめて、太平洋に、実際に、ムー大陸が実際に存在していて、そこからこの世界の文明の起源であるとされるものたちの存在を証明する遺跡、遺物が発見されたなら、より具体的
な世界史が、人類史が描けるのに違いない。そのように、都市伝説信奉者は、ときに思うのである。
* *
何十年か前のことであるが、矢口博士とその研究グループは、これには石田一生も含まれる。
矢口博士のグループは、世界の古代史にまつわる文献をもう一度、偏見なく読み直すことによって、あるいは、あらたな文献の発見によって、ムー大陸の存在について証明する、一つの仮説を立てて、それを世に問うたのである。
矢口博士のグループによると、たしかに、科学的に存在が否定されているムー大陸は存在した。しかも、矢口博士のグループによると、太平洋上に存在していたというのである。
そして、矢口博士の仮説の画期的に斬新なところは、ムー大陸が、太平洋の大陸として存在していたわけではなく、太平洋の生み出された、触れることの出来る高度な仮想空間として存在していたというのである。
元が、仮想空間であったとすれば、ムー大陸やムー大陸の文明が後の世に何の痕跡も残さなかったとしても不思議なことではない。
このように考えれば、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中華文明を教化し、文明をもたらした接触者たちの痕跡が残っていないというか、見つけられないのも不思議なことではない。
しかし、結果的には、矢口博士のグループの仮説は、何の根拠も持たない、単なる白昼夢として学界において、完全に無視されてしまった。
しかし、矢口博士の研究は、発表からまもなくして突然評価された。
というのも、矢口博士が仮説を発表してまもなく、矢口博士の仮説を裏打ちするような出来事が世界の各地で起き始めたのである。
どういうことかというと、矢口博士の言う、人類未知の仮想空間、触れることの出来る仮想空間が、世界各地に出現したのである。
例えば、日本においては、巨大な団地というか、住宅地域が、忽然と姿を消し、そして、大草原が出現した。そして、人類の歴史には類例を見ないような、不思議な様式の巨大な、巨大な建物が存在していたのである。