夜の出会い
日がどっぷりと暮れていた。「夜になる前に帰らないとブギーマンにさらわれるわよ」そんな母親の叱責が、小さい戸建ての窓から漏れてきた。それが家路を急ぐ社 多恵子の耳に届くと、彼女は思わずくすりと笑みをこぼした。ーそんなものは、居ないのにとーしかし、誰でも子供の頃は、鬼がくるよとか、実際に見たことも無い化け物に酷い目に遭わされるからね、とか怒られる度に言われたものだ。しかし、この日本でなんでブギーマンなんだろうと、一度同僚の教師に訊いたことがあった。海外のホラー映画やアニメで見たことはあったけど、こっちでそんな叱り方をするなんて珍しいですねと。
すると、同僚はこう返事を返したものだった。
「3年前に、アメリカから来た家族がいましてね、父親はこっちの人で、母親は向こうの方なんで、どうも子供を叱るときの常套文句で、ブキーマンが出るぞと言ってたらしいんです。それを子どもがあちこちに言うものだから、子供達の間で、夜遅くなるとブギーマンが出るとか、悪戯をすると、家に乗り込んでさらいに来るとか、いろいろな都市伝説みたいのができあがってきたのが、親たちの間でも流行ってしまったみたいですよ。」
そのときは、ふうんとなんとなく理解した気になっていた。
それに輪を掛けたのが、丁度一年前、社がこの街に越して暫くしてから起きた事件-浜矢間 香|(当時10歳)の少女が行方不明となった-を皮切りに、余計にひどくなった。少女は未だに発見されておらず、目撃者さえなかった、たよりの防犯カメラには通学路を歩く姿が記録されていたが、それがどこでどの脇道に入ったのか、足取りが唐突に消えてしまったのだった。足取りの消えた付近には、森八幡という神社があるが、そこへ行くにもいずれかの防犯カメラに捉えられている筈なのだった。
少女の後をつけるような人物も記録されていなかった。しかし、子供達の間では、これを機にブギーマンという存在が、単に名前だけで無く、実在するかのように、多種多様なブギーマン像が子ども達の間で、まともしやかに語られ始めたのだ。
ひとつ、子供を亡くした女が、オペラ座の怪人の様な白い仮面を被って、夜な夜な街を歩いては、自分の子にそっくりな子供をさらってしまう、さらわれた子は女性の自宅に閉じ込められ、洗脳されるのだという。そして自分の両親の事を忘れてしまい、女性の子として育てられてしまう。
ひとつ、ある化学工場で働いていたロリコン男が、工場内で起きた事故の為に顔が焼けただれ、手術をしても元に戻らなかった。彼は、それを悲観して顔を隠すためにガスマスクをつけて、夜の街を徘徊している。そして好みの女の子を見つけると、睡眠ガスを掛けてさらってしまう。さらわれた少女は、おおきな瓶に入ったホルマリン液に漬けられて男の鑑賞用に飾られているという。
ひとつ、ジェイソンの格好をしたランニング姿のムキムキな男が、夜おそい時間に歩いている子どもを見つけると、お菓子をあげるから家にこないかと誘ってくる。皆、怖くて逃げてしまうが、もし捕まれば、持っているチェンソーでバラバラにされてしまうらしい、バラバラにされた遺体は、丁寧に袋にいれて持ち帰り、周囲をちゃんと掃除して去るので、事件が起きた場所は判らなくなってしまう。お菓子を食べに、家にゆくと美味しいお菓子を食べさせてくれるが、それには毒が入っていて、身動きができなくなってしまい、お人形の棚に一生飾られてしまうらしい
ひとつ、一枚の布に目と口の処だけまるく穴をあけた面を被ったおじさんが、深夜になると、この街を歩き回っている。もし、夜にそのおじさんに出会うと、くそばばあと一喝する声とともに顔にダーツの矢を投げ付けられてしまうらしい。
ただ、おじさんは足が遅いので、必死になって家に逃げ帰れば、追ってくることは無いという。
ひとつ、孤独死した老人の霊が、子どもの姿をして、遊びましょっと誘ってくる、一緒に遊んでいるうちに、騙されて古井戸に落とされて殺されてしまう。肝心なのは、遊びの誘いに乗らないことらしい、老人が住んでいた古屋は、今は更地になっている。
これの妖怪だか怪物たちは、どれも子ども達からブギーマンと呼ばれているが、実際に見たとかという噂は、耳にしたことが無かった。
後で、調べてみれば、確かにブギーマンに決まった外観は定義されてはいないらしく、子ども達にとって恐怖の象徴として、その言葉が存在するらしいと、彼女は知った。そもそも、以前からこの街に存在していた怪談話が変形して、幽霊や化けものを十把一絡げでブギーマンと言うように変わったのだろうと、社は推測していた。
この街のブギーマンたちはいずれも夜、学校や塾からの帰りが遅いと現れるらしい、場所も森八幡の付近で起きると言われていた。
ただ実際に起きた事件の被害者である子供の場合は通学路からそれても、社に行く道に設置されている防犯カメラに少女の姿は確認されていなかった。未だに場所が特定できないが、防犯カメラの死角に入ったところで、なんらかの事件に巻き込まれたと思われていた。当然、ブギーマンらしい姿はどのカメラにも映り込んでいない、それが余計に子ども達の想像力をかき立てたのだろう。神出鬼没の恐怖の存在として。
「社せんせい」と子供の声に、彼女は呼び止められた。遅い時間で子どもが一人で出歩くような時間ではない。彼女は日光過敏症であり、陽が落ちてから帰宅するのが常だった。そして、顔にある火傷の痕を隠す為に、口から上を白い仮面で覆っていた。そして、腰まで届く長い黒髪、これはなかなか理容院に行く機会がないまま、伸び続けた結果だった。そこまで長い髪の持ち主は、この街ではあまりいないので、後ろ姿だけで直ぐに彼女だと判るような容姿だった。
白い仮面のせいで、自分のあだ名がブギーマンと揶揄されるようなものであることは知っていたが、それは気に留めていなかった。子どもは、残酷すぎるほどに、見た事を少ない語彙の中から表現するために、どうしてもストーレートに思った事を口にするからだ。
しかし現在、非常勤の講師の立場とはいえ、ウィットに富んだ授業の進め方が子供達に好評で、学校での人気は上々であり。病気を気遣ってくれる子どももいてくれる事は、彼女にとって、ブギーマンとして揶揄される以上に嬉しいことだった。