死者の手、何時しか掴む認証
死者の手よ、何時しか掴み終わりましょう。あまりにも、危うき世界に差し伸べて、今何処へと消えましょう。恐れるものなど何もなく、それを望んだが故に、そうあるのだから。
終末的な願望は、生じざる得ないが故に生じるのです。世の悲しさに涙を流して、あらゆる全てを洗い流せるのならば、これ程報われることは無いでしょう。しかし、雨が降れども地に満ちども、因果の強き事、この上無し。
数多の悲嘆にも、届くものは在りはしない。心象、泣き、嘆き。オモテに出すにはあまりに些末で、ウラに留めるにはあまりに悲しい。心象、泣き、喚き。流した涙が地に満ちるなら、船を浮かべ終わりを待とう。
何時しか差し伸べる死者の手よ、ただ平穏へと還るのみ。一時の苦しみも、悲しみも過ぎ去れば、在る時以前へと至るのみ。涙を流すほどに落ち行くならば、待望の時を望みましょう。
涙を流し、血を流し、ただ喪失は代わり無い。流すものが心であれ、命であれ、悲しい涙に違いない。持つ者故に悲しいのならば、手放しても良いのではないでしょうか。流す涙さえ涸れ果てるならば、いっそ消えてしまえば良いでしょう。
ただ、きっと、悲しさに疲れているだけなんです。世界に涙は止まず、何時までも変わりはしないから。
涙を流し、血を流し、それでも世界は変わらない。それ故人は終わりを求めるのでしょうか。神の見えざる手により始まるのならば、死者の手により終わるのでしょう。それが望みならば、もうそれで良いのでしょう。
疲れたのです。諦めて待ちましょう。流す涙なんて、きっと、もう残ってはいないから。