第六話
「長旅ご苦労さまです。いやー、お疲れでしょう。僕も馬車で長時間は腰や肩にくるので苦手なんですよ」
肩をぐるぐる回したり、柔軟体操をしながら、レオンハルト様は馬車をおりた。
そして彼は私に手を差し伸べて笑顔を向ける。
「どうぞ、お足元にお気をつけください」
「えっ? あ、はい」
私はその手を掴みゆっくりと馬車をおりる。
差し出された彼の手は思ったよりも冷たくて、その温かい笑顔は先ほどまでの不安をかき消してくれるような不思議なものだった。
「お気遣い、ありがとうございます」
「いえいえ、お気になさらずに。リルアさんには何不自由なく生活できるように務めるのが僕の役目ですから。ご覧ください。こちらが我が家です」
レオンハルト様の指差すほうを見ると石造りの大きな古いお城のような建物があった。
えっ? あれが彼のお家なの? すっごく大きい……。
(大きさだけならフェネキス王宮に匹敵するかも)
私は屋敷の迫力に押されてしばらく声が出なかった。
よく考えてみれば当たり前なのかもしれない。この方は公爵という身分なのだから。
あまりに物腰が柔らかいので忘れてしまいそうになるが、立場としては王族の次にあたるやんごとなき御方なのである。
「立派なお屋敷ですね」
「気に入っていただけましたか? 僕はもう少しこぢんまりとした邸宅が掃除も楽でいいと思っているのですが、いかんせん錬金術の実験などにある程度の土地も必要でして。古いですが大きめの屋敷を別荘として購入したんです」
「えっ? ここ、別荘なんですか!?」
こんなに大きな別荘って見たことない。
でも、別荘という言葉には少しだけ納得した。よく考えたらこの辺りはまだアルゲニアの辺境だし、公爵様が住むところにしては田舎すぎる。
おそらく本邸は王都付近にあるのだろう。
「別荘と言ってもここ数年はずっとこちらに住んでいますので本邸みたいなもんですけどね。王都付近に住むと面倒なんですよ。毎週のようにパーティーに誘われますし。一体なにが楽しくて毎度、毎度、あんな無意味な時間を……」
「…………」
「おっと、すみません。僕のパーティー嫌いの話などどうでもよかったですね。リルアさん、申し訳ありませんが今のお話は聞かなかったということで」
慌てて私に耳打ちするレオンハルト様。
一体どこまでが本気なのかわからないが、こちらにずっと住んでいるのならパーティーにはそれほど出席はしていないのだろう。
私も変わり者だという噂は聞いていたので、その話にそれほど違和感を覚えなかった。
「ふふふ、レオンハルト様は面白い方ですね」
「それほどではないですよ。昔、よく父にユーモアのセンスがないと叱られたものです」
「そうなんですか?」
「ええ、それはもう。父ときたら僕の錬金術の研究も――。いえ、僕の話はまたあとにしましょう。まずは屋敷で長旅の疲れを癒やしてください」
首を大げさに振りながらレオンハルト様は私を屋敷というより古城と呼べるほどの邸宅内に案内する。
うわぁ……、内装もいかにもって感じだなぁ。
甲冑が並べられていたり、所々に絵画や彫像が飾られていたりして、その荘厳な雰囲気に少しだけ私は圧倒されていた。
「リルアさん、体調はどうですか?」
「体調、ですか? あ、いえ問題ありませんが……」
長い廊下を歩いてしばらくすると、レオンハルト様は突然立ち止まり、私の顔をじっと見て変な質問をする。
一体、どうしていきなり体調など気にするんだろう……。
「ふむ。そうですか……。最近、あまり寝られていないのは、やはり人質になるという緊張感からでしょうか?」
「えっ? それは、その。ええーっと」
なんという速さ、そしてなんという洞察力の鋭さ。
こんなに短時間で私があまり睡眠時間が取れていないことを見抜いてしまった。
目の下にくまができたとかではないと思うんだけど、一体どうやって……。
「うーん、なるほど。リルアさん、お疲れでしょうが申し訳ありません。少々ティータイムに付き合ってはいただけませんか?」
「ティータイム、ですか?」
「ええ、いい茶葉が手に入りましてね。ごちそうさせてください」
私がいい淀んでいるとレオンハルト様はジィーとメガネ越しにこちらを見て、いきなり紅茶をすすめる。
「それではお言葉に甘えさせていただきます」
(早く休めと言われてもどのみち眠れないし、断るのも感じ悪いわよね)
疲れているのは事実だが、眠れないのも事実であった。
だから私は素直に彼の言葉に従うことにする。
「お時間は取らせませんので、どうぞこちらに」
そんなこんなで私は公爵家の食堂へと案内された。
おおーっ! やっぱり大きいなぁ。
古城を思わせる外装から予測したとおり、食堂はかなりの広さだった。おそらく軽く数十人が食事できるだろう。
それにおしゃれなシャンデリアに燭台。椅子やテーブルもアンティークの素敵なデザインのものだった。
(どんな話をするのかな?)
そんな不安もありつつも……私は彼に言われるがままに椅子に腰かけたのであった。
「お口に合うかどうかわかりませんが」
「どうも。あっ、可愛い。このティーカップと同じお花が飾られているんですね」
「おやおや、よく気づきましたねぇ。さすがは聖女様。大した観察力です」
手渡されたティーカップには黄色と赤色の薔薇が描かれていた。
そしてテーブルを彩っているのも花瓶に活けられた同じ色の薔薇。
このさり気ないおしゃれな感じ、私は好きだなぁ。
「それに紅茶もとっても美味しいです。なんだか癒やされるような不思議な感覚ですね」
「落ち着くでしょう? リラックス効果のあるハーブを入れましたから」
対面で座りながらお互いに紅茶に口をつける私とレオンハルト様。
本当に不思議なくらい気持ちが静まる。魔王の闇の魔力を抑えていたのだが、今はそれが必要なく感じられる。
「えっ? あれ? 私の魔力が……」
「おっと、そちらにも気づかれましたか。私の調合した魔力封じのハーブも少々。なにやらあなたが自らの魔力でもう一つある自らの魔力を抑え込んでいるように見受けられましたので、その悩みのもとを封じさせていただきました」
この人、なんでもありなの!?
どうやったのかわからないが、私が闇の魔力を光の魔力で抑えていることまでお見通しだとは……。
(でも本当に楽になったわ。今日は久しぶりによく眠れるかも)
こんなにもあっさりと魔力を封じられたのはある意味怖かったが助かった。
この状態なら確かにぐっすり寝ても大丈夫だ。
「効果は半日ほど続きますから、ゆっくり眠れますよ」
「あ、ありがとうございます……」
「ふふ、不眠というのは辛いですから。ゲストをもてなす者として当然のことをしたまでです」
どこまでも紳士的に私のことを気遣うレオンハルト様。
やっぱりゲームのリルアもこのような彼の人間性に触れて、すべてを話したのかな。
その気持ちはなんとなくわかる。
それにこの方は設定上でも私の知っている中でもとびっきり有能な人。
相談すればなにかしら見えてくるかもしれない。
「落ち着いたところで、甘いものでもいかがです?」
「甘いもの?」
「ええ、美味しいケーキがあるんです。甘いものはお嫌いですか?」
「い、いえ、大好きです! あっ!」
しまった。よくわからないうちに本音が口からポロッと出てしまった。
ハーブティーのおかげだろうか。気分が落ち着いて張り詰めた緊張がなくなってきた。
「ゼルナーさん。冷蔵しているケーキをリルアさんに出してあげてください」
「かしこまりました」
レオンハルト様が声をかけると食堂の扉の外から返事がかえってくる。
さすがは錬金公爵の屋敷だ。どうやら冷蔵庫まであるらしい。
ゼルナーさんという方はおそらくこの屋敷の執事さんのことだろう。
「ゼルナーさんは我が家に父の代から仕える執事です。彼は料理が実に上手くてですね。ケーキも彼の手作りなんですよ」
「へぇー、そうなんですか。楽しみです」
それからしばらくの間、ゼルナーさんがケーキを持ってくるまで私とレオンハルト様は当たり障りのない世間話をした。
レオンハルト様は自分の少年時代に父親に怒られた話や先日珍しい茶葉を手に入れた話を面白おかしく話すものだから、私もついつい立場を忘れて笑ってしまう。
こうして笑いながら会話したのも妹のシェリアと話した以来だった。