第五話
「聖女様、おそれいりますがここで馬車を降りてください」
「わかっています」
ようやくフェネキス王国とアルゲニア王国の国境沿いにある関所に到着すると、私はようやく外にでることができた。
まぶしいくらい輝く陽の光を久しぶりに全身に受けながら、兵士たちに連れられて私は関所の中に入る。
話によるとそこで私の身元を引き受けるという使者が待機しているらしい。
「お待ちしておりました。フェネキスの聖女様」
中で待っていたのは兵士たちを束ねた、銀髪でメガネをかけた男性だった。
鼻筋が通ったきれいな顔立ちで、優しそうだがどこか憂いのありそうなアイスブルーの瞳。
物腰は柔らかく微笑んでいる彼だったが、聖女として魔術師としての経験からわかる。この人、とんでもない量の魔力を有している。
「僕はレオンハルト・オーレンハイム。あなたの身元引き受け人です。リルア・エルマイヤーさん。しばらくの間よろしくお願いします」
「リルア・エルマイヤーです。まさかかの有名な錬金公爵様が私の身元を引き受けてくれるとは思いませんでした」
ニコリと微笑みかけて、自己紹介する銀髪の彼を見て私は大事なことを思い出した。
そう。さっき思い出したゲームの記憶だとリルアを幽閉していた研究者は錬金術師だった。
それもただの錬金術師ではない。
レオンハルト・オーレンハイムといえば隣国の若き公爵であり、規格外の錬金術師として隣国である私の故郷にもその名声が轟いている有名人だ。
ゲームのシナリオでは所々で彼のチート設定を知ることができる。
なんせ瀕死の状態から一気に復活する薬やひと振りですべてを燃やしつくす杖、その他にもゲーム内の便利な魔道具や最強クラスの装備は大体レオンハルトが錬金術の知識をもって開発したという設定になっているのだ。
もっともゲームのストーリーの中では名前しか出てこないキャラクターだからその人となりについては今まで知らなかった。
噂ではかなりの変人と聞いていたので、もっと偏屈な人だと思っていた。
(かなりイメージと印象が違うのね。こんなにフレンドリーに接してくれるなんて、意外だった)
物腰が柔らかく、ニコニコしている彼を見て私はその想像とのギャップに少しだけ戸惑っている。
通称、錬金公爵。国力で数段劣るアルゲニア王国をフェネキス王国との戦争で五分まで持ち込んだ天才。
フェネキス王国にとって最も畏怖すべき人物……それが彼だ。
「おや、麗しき隣国の聖女様が僕のことをご存じでしたとは」
「知らないほうがおかしいですよ。レオンハルト様の名声、功績、それらは我が国でも伝説となっているのですから」
「ふむ。そこまでフェネキス王国で僕を過大評価してくれているとは思いませんでした。恐縮です」
笑みを絶やさずに私の言葉を世辞だと受け流す彼から感じられたのはゆるぎない自信と重厚な完成度だった。
謙遜をしているが、この人は自信満々だ。自分の力が優れていると知っている。
この余裕に満ちた表情は私の評価に誤りがないことの証明だった。
「レオンハルト様、会えて嬉しいです。ふつつか者ですがどうぞよろしくお願いします」
とにかく私の生殺与奪はすべて彼に委ねることになる。
愛想をよくしておいて損はないだろう。
私はうやうやしく頭を下げて、改めて挨拶をする。
「そうかしこまらなくて大丈夫ですよ。僕はあなたに不自由な思いをさせるつもりはありませんから」
「お気遣いありがとうございます。でも私は――」
「とりあえず、それいりませんよね。窮屈でしょうし……」
頭を下げる私にレオンハルト様は優しく語りかけ、パチンと指を鳴らす。
「えっ? これは花びら? きゃっ!」
指の音に気を取られていたら、手錠にひらりと一枚の花びらが付着した。
その瞬間である。カラッと軽い音とともになんと手錠が砕け散ったのだ。
「信じられない、です。腕がまったく傷ついていません。こんな魔法は初めて見ました……」
これでも私は魔術師の名門家出身だ。魔法の知識はそれなりにある。
同じことをしようと思ったら、どうしても腕になんらかの影響が起こりうるはずなのだ。
「魔法ではありません。錬金術ですよ。金属だけに影響を及ぼすように調整して術を放っているのです」
「こ、これが錬金術……?」
ゲームではアイテムの合成くらいにしか使われていなかった錬金術という力。
どうやら私はそれを随分と見誤っていたらしい。
とても繊細でかつ圧倒的な力。もっともそれは錬金公爵と呼ばれる彼だからこそ成せる技なのかもしれないが……。
「さぁ、参りましょう。リルアさん」
「えっ?」
「僕の屋敷にです。少し古いですが、それなりに風情があっていいところなんですよ。きっと気に入ってくれると思います」
まるでエスコートするようにレオンハルト様は会釈して手を差しのべ、彼の用意したという馬車へと案内する。
うーん、どうしようかな。ゲームのリルアはこの人を信頼して事情を話したはず。
それならば私はどうする? 同じ立ち振る舞いをすべき?
でも、それでも、結局リルアは魔王になってしまっていた。
やはり黙って様子を見るのが正解なのだろうか。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。な、なにがでしょうか?」
「いえ、人質としてこちらの国にやってきてさぞかし不安に感じられるのはわかるのですが、なにか決断を急がれているような表情をされていましたので」
いやいや、どんな表情よ。それ……。
心の奥の思考まで見透かされてしまい、私はこの錬金公爵レオンハルト・オーレンハイムという人物の恐ろしさを感じた。
この方は優れた錬金術師というだけではない。この短いやり取りだけでそれはわかる。
「なにかございましたら、お気軽にご相談を。大抵の悩みなら解決する自信がありますから」
「あ、ありがとうございます」
サラッと笑顔で一番ほしい言葉を投げかけるレオンハルト様。
迷うわね……。ゲームのリルアがこの方を信頼して話したバックボーンはなんとなく掴めたけど……、それでも話すことが正しいのかどうかはまだわからないし……。
結局私は馬車ではなにも話せなかった。
そしてそのまま数時間、馬車は進み続けてようやく私の長旅は終わる。
この日から私の人質生活が始まった。