第二話
「……お姉様、大丈夫ですか? お体が悪いのでしたら先に戻られますか?」
「ううん、大丈夫よ。シェリア、心配かけてごめん。あなたのことは忘れていないわ」
「ああ、よかった! もう、お姉様ったら私を忘れてしまうなんてお人が悪いご冗談を」
本当にごめんね、シェリア。一瞬だけ記憶の関係であなたのことを忘れてしまっていた。
そして大事なことを思い出して一時的に頭の中が真っ白になっていたし、今もどうしたらいいのかわからない。
(だけど、やっぱりシェリアが可愛い。この子の泣き顔など見たくなかったから、ね)
ここまでずっと一緒だった最愛の妹は私の癒やしであった。
この子のお姉ちゃんとして、常に尊敬されるように優秀でありたい。それが私の原動力だった。
シェリアの笑顔こそ、このリルア・エルマイヤーにとって最高の宝物なのである。
私のことを心配そうに眺めていた彼女だが、安心したのだろう。すぐにいつもの可愛らしい笑顔をこちらに向けた。
「ようやく私の研修期間も終わりました。まだまだお姉様には力が及ぶべくもありませんが、これからは一人前を目指して精進します」
シェリアはその力強い光の宿った瞳を向けて一人前になると宣言する。
彼女が聖女になってしばらく私は彼女と行動をともにして聖女としての務めを果たしていた。
聖女の役目は信仰の対象というのももちろんあるが、奇跡の力とも言える光属性の魔法を使っての結界の修復、怪我人の治療、さらに王宮の兵隊では勝てないような怪物の討伐など多岐に渡る。
それらを一通り私はシェリアに教えた。そして明日から彼女は晴れて一人前の聖女としてデビューすることになる。
ゲームでも最初のチュートリアル的なところだけ主人公のシェリアのパーティーにリルアが所属していた。
だからこそ、あのリルアがラスボスなの?という衝撃が大きかったのだが……。
とにかくまだ魔王の力が覚醒していない私はシェリアから尊敬すべき姉として慕われているのである。
「シェリアならきっと真の聖女になれるわ。世界を救うくらい偉大な英雄に」
「またまた、お姉様はお上手ですね。シェリアは少しでもお姉様に近づくことができればそれで満足です。真の聖女とはお姉様のような方をいうのですよ」
キラキラとした尊敬の眼差しで私を見るシェリア。
そうなんだよね。私も妹のシェリアが大好きだけど、彼女はそれ以上。つまりめちゃめちゃシスコンなのだ。
なにが辛いって、そんな彼女がラスボスであるこの私を倒せる唯一の人間だということ。
ゲームでは愛する姉を殺して世界を救うという鬱々としたシナリオがプレイヤーの涙を誘った。
「聖女リルア様、このとおり昨日見てもらった骨折がよくなりました。ほら、こうやって走っても全然平気!」
「リルア様、一昨日のドラゴン討伐はお見事でしたなぁ。孫に自慢話ができますじゃ」
「ありがとう! リルア様! 私たちが平気で暮らせるのも全部リルア様のおかげです!」
妹と談笑していると、王都の街の人たちが私に話しかけてきた。
今日まで世のため人のため、聖女として務めを果たしていたので私はそれなりに街の人々から慕われている。
こうして嬉しそうな声を聞くと苦労も報われたという気持ちになるし、何より聖女であることに誇りを持てるようになっていた。
(魔王としての力が覚醒するのはゲームのシナリオだし、同じことが起こるとは限らないかもしれないわ)
前世の記憶が戻って動揺してしまったが、私の記憶にあるシナリオは所詮ゲームの中の話。実際は違うかもしれない。
「お姉様、帰りにケーキを買っていきません? いつものお菓子屋さんで」
「ええ、いいわよ」
願わくばこのまま和やかに過ごしたい。
この愛らしい妹とともに、ずっと聖女として国のために尽くしたい。
「っ――!?」
そう願った瞬間――今度は胸に激痛が走る。
「ああああ! ううううう!」
「お、お姉様? こ、この黒いのは一体……? きゃっ!?」
ドス黒い蒸気のようなものが突然全身から吹き出して、なにもかもを吹き飛ばす。
これは……、闇属性の魔力? 視覚できるくらい濃い強力な魔力の放出に、私は戸惑う。
「な、なんだこれは?」
「聖女様、それは一体!?」
「怖いよー、お母さ~ん!」
漆黒と呼べるほどドス黒い蒸気のようなものを体中から噴出している私の姿を見て、人々は恐怖に引きつった表情を見せる。
このままだと教会が壊れてしまう。否、もうすでに破損している箇所がいくつか見当たる。
「落ち着かなきゃ。この蒸気はおそらくは闇の魔力の暴走。ならば私の光の魔力で圧えれば……!」
冷静に私は状況を分析して答えを出す。
これでも魔術師の名門一家、エルマイヤー家の中でも随一の才能があると太鼓判を押された身だ。
厳しい修行に耐え、神託を受けることで使えるようになった光属性の魔力。これくらいの魔力の暴走、止められなくてどうする。
「止まれ! 止まれ! 止まれーー!」
私は必死で自らの光属性の魔力を使って闇属性の魔力を抑え込む。
大丈夫だ。なんとかなる。きっと私ならできる。
「止まってーーー!」
その叫びに呼応するように、ようやく魔力が吹き出すのが止まってくれた。
(厄介ね、これ。少しでも気を抜くとまた暴走してしまいそう……)
「はぁ、はぁ」
「お姉様? 大丈夫ですか? 今のは一体……」
息を切らせている私のもとにシェリアが駆けつける。
いきなりドス黒い魔力を噴出してしまった私に面食らったのだろう。とても心配そうな顔をしていた。
「あ、悪魔だ! い、いや、あれは魔王の魔力に違いない!」
「司教様……」
十字架を手にした私たちの師匠でもある司教様は青ざめた顔をして私を見ていた。
司教様は古代の文献などにも詳しくて、大陸の三大賢者と呼ばれるほどの方である。私の正体にすぐに気づいても不思議ではない。
「シェリア、あなたは先に帰りなさい」
「司教様? お姉様がなにか?」
「いいから、帰りなさい! あなたの家の方にはあとで私から説明をする!」
「わ、わかりました。……お姉様、大丈夫なんですよね?」
司教様はまず妹のシェリアを実家に帰そうとした。
なにか反論をしたそうな顔をしていたが、普段は温厚な司教様の口調に只事ではないと察したのだろう。彼女は素直に引き下がった。
それから間もなくして憲兵隊が到着する。
そして司教様がなにやら彼らに耳打ちをすると……。
「聖女リルア様、非常におそれいりますが我らとご同行をお願いいたします」
私はあっさりと捕まって、憲兵たちに連行されてしまった。
やはりゲームのシナリオどおりことが進んでいるみたいだ。
このままだと私の運命は間違いなく悲劇、である。