地方領主は婚約さえできない
地味目令嬢は断罪さえされない の話の続きなので、そちらから読んでいただけるとありがたいです。
「カリナ男爵令嬢、今日こそお前と決別させてもらう! お前と神の骨に誓うことはない! 婚約破棄だ!」
「なっ! 何ですって! あなたそれ私に向かっていってるんですの?」
神聖だというトラスフィッシュの国教の象徴。
というか、ようはただの魚の骨マークの見守る中、今夜のパーティーも断罪騒ぎのバーゲンセールである。
神聖トラスフィッシュ帝国。
首都トラウトサーモンを中心に、大陸を東西南北、果ての海に至るまで領地を広げてきた。
その領地と繁栄は現世の王が持てる限界に達したと言われており、あとは衰退があるのみだと言う人もいる。
帝国は辺境の一領主である俺に言わせて貰えば、もうちょっと早めに衰退していただきたかった。
元は独立国であった我が国も先日、帝国領となるか敵対するかの選択を迫られたのである。
選択ってか、それ恫喝だよね?
と思うも、総人口300人足らず、遊牧が主な生活基盤の草原の小国に逆らう術などない。
王様から帝国のいち領主として無事転生をはたした俺は、新入りとして帝都の紳士淑女にご挨拶周りに来ているわけだ。
今日も今日とて慣れない礼服に身を包み、おハイソなダンスパーティー。愛想笑いを張り付けて行儀良く。生意気な貴族の若造相手に太鼓持ちに精を出さねばならぬ屈辱の日々。とても辛い。
「アラあー? こないだの田舎もんじゃないの、今日もダボダボ衣装なのねえー。ウププダササ!」
壁ぎわにポツンとため息をついていれば、何の気配もなかったはずの空間から、突如声をかけられた。
見れば先日のパーティーで知り合った、ミとか、メとか、なんかマ行の名前の伯爵令嬢だ。
今日も元気に存在感がない。
「あんたその服さあ。それどこで仕立てたのよ、そんな一億年前に流行したようなデザイン受けてくれる店って逆にあるうー?」
今では帝国の辺境の一領主となった俺であるが、生まれてこの方、小なりとは言え一国の主を張ってきた。それがどうだ。伯爵令嬢という肩書きを盾に、こんなクソガリの地味な小娘にバカにされる日が来ようとは。
正直ムカついたが、相手は10の歳から婚約していた皇子に存在すら忘れられていた、カワイソウな身の上の令嬢である。グッと堪え、穏やかに応えた。
「お恥ずかしいですが、都会の流行は田舎者には敷居が高くて」
嘘である。
正直都会人の趣味にはついていけない。なーにが今季はスリムスタイルか。よーあんなピチピチズボン履いて人前に出れるなあと感心している。ケツの割れ目までくっきり見えそうだ。
アホな令嬢は俺の謙遜的物言いを真に受け、ケタケタ楽しそうに笑った。ボッチな地味仲間ができて嬉しくてたまらないのだ。根性がひね曲がっている。
たしかに俺はここじゃボッチだが、地元に帰れば領民300人を背負う責任ある立場だ。
親友でもある側近たちに囲まれ、それなりに遊んで浮き名も流してきた。
それをさりげなく話題に出したらどうなるかな、と思ったが、やっぱりやめておくことにした。
この令嬢が友人の1人もいない、マジなボッチだったら心にくる。今でもかなりきてる。
神の骨よ憐れみたまえ。
「サルマン子爵、今日こそあなたとは縁切りさせてもらいます。もう婚約破棄だわ!」
「なっ! 何だって、お前よくそんなことが言えたな!」
うるさいからもうちょっと向こうでやってくれ。
俺の無言の抗議にも気づかず、すぐ隣でまた断罪騒ぎが始まった。あっちでもこっちでも断罪破棄。迷惑極まりない。
破棄するんなら最初っから婚約なんかしなきゃよくないですか? と令嬢に文句を言えば、皇子がやるなら臣民もやらなきゃ。流行りに遅れちゃうじゃない、と、頭の悪そうな答えが返ってきた。
「都会人ってのは流行りで人生終了しなきゃならないんですねえ。かわいそうに」
「いいえ違うわお二人さん。これは新しい人生門出のセレモニーなのよ」
私だって婚約破棄されてみたかった……と、うらやましそうな令嬢に心の底から憐れみの視線を向けていると、隣から年配の侯爵夫人が参戦してきた。
こう言っちゃなんだがこの地味令嬢、オババ好きのケがある。おばちゃん侯爵夫人を見るなりクネクネし始め、今日の口紅の色も素敵ですね、と心にもないお世辞を言い始めた。
イヤヨオーこの子は! 照れたおばちゃん夫人にどつかれ、令嬢が床に吹っ飛ぶ。おばちゃん強い。おばちゃん強い。
大丈夫デスカーと俺が床に転がる令嬢を起こしに近寄れば、どつかれた肩を撫でながら令嬢、恍惚の表情を浮かべている。ワアー率直にキモ……んん、いやまあどんな性癖も個人の自由だ。
「お二人さん、先日教会に破門された皇子が都を出たことは覚えているわね?」
気を良くしたおばちゃんに貰った両手いっぱいのパイン飴をほうばりながら、俺たちは雑談を開始した。
そう、皇子は最終的に政争に負け、あれから都落ちしたのである。
「ところが皇子、東の果ての都市オイルサーディンを占拠して、東トラスフィッシュ帝国皇帝を名乗り出したのよ!」
マジただもんじゃないわよ、あの皇子! と心底楽しそうにおばちゃんは言った。
ぶっちゃけこうなってくるとこちらも危うい政情なのだが、多分おばちゃんは帝国国民が全滅しても一人ピンピンしてそうなので他人事なのだろう。我々はサカナではなく、最強生物オババをあがめるべきかもしれない。
「同じトラスフィッシュ教でも私たち西側と東側では宗派が異なる。知ってるわね? 私たち西側はオカシラ派、東はシッポ派なのよ。皇子はシッポ派についたってことなのよ。意味、わかるわね?」
神聖トラスボーンは三角に長い横棒をぶっ刺し、そこにさらに3本の短い縦棒をぶっ刺したマークのこと。魚の骨を模した教義の象徴である。この三角マークを頭骨と解釈する派がオカシラ派。尻尾と解釈するのがシッポ派である。
嘘みたいだが、そんな死ぬほどどうでもいいことで両派は何十年と別れて争っているのである。
意味不明すぎる。しかしそこだ。
多分そんなくだらない話は主張の表層部分であって、実際には小難しいゴタクと高尚な屁理屈が裏に山ほど控えているに違いない。
ここで思考停止して正直に馬鹿みたいですね、と言おうものなら、なんもわかってない無教養の田舎もんが、と鼻で笑われるのは必至事項。お高くとまったクソイヤミな都会人をかわすには、秘儀知ったか顔で沈黙一択である。
「なにそれ馬鹿みたい」
だが令嬢は潔く言った。ワアー曲がりなりにも生まれも育ちも帝都なのに。令嬢言っちゃうじゃん。正直出会って以来初めて令嬢に親近感が湧いてきた。おばちゃんがニヤッと笑った。
「若い子は知らないのね。オカシラ派は頭で考える理屈派、そしてシッポ派は文字通り、下半身で考える自然派ってことよ」
ワアアアアアーーーーーマジかーーー!
なんも深い意味なかったわそのまんまだったわ。トラスフィッシュ教舐めてた。
皇子はたしかにシッポ派だわ。ああーなるほどねえー、わかりやすうー、なんか急に皇子が好きになってきちゃった。ヤベー俺も改宗したい。どうしたらいいの? 改宗するには……。
「そうよ! わかるでしょこの騒ぎが。婚約破棄騒動からのオカシラ派破門、そしてシッポ派入信へ。教会に有無を言わせぬ改宗はこれ一択よ!」
バーン! と派手な身振りでおばちゃんが太やかな二の腕を振り下ろした。演技過剰だ。腕の内側のお肉がいつまでもぷよぷよ揺れているじゃないか。
しかしあーそれでかー、それでみんないそいそ婚約破棄してるのかー。みんな考えること同じなんだな。しかし婚約破棄。破棄するためにはまず婚約をせねばならない。
しかし俺には神の骨の御加護により、まさに都合の良い相手がいるではないか。
俺は地味令嬢を見た。令嬢も俺の視線に気づき、こちらを見た。我々の利害は一致しているはずだ。俺は婚約破棄したい。令嬢は婚約破棄されてみたい。
確かな手応えを感じ、俺が顔いっぱいに微笑みを浮かべて握手を求める。早速ですがご両親に挨拶に行きましょう。令嬢はドン引きした顔になって言った。
「期待させたならごめんなさい。私オババ派ではあるけどおジジは範疇外なので……」
俺はまだ二十八歳だ。なめとんのかこのババ専地味令嬢が!!!
地方領主は婚約破棄したくてもまず婚約すらできない!!