1-1 夢幻泡影
2021年4月23日金曜日の放課後、俺は焦っていた。
何をそんなに焦るのかと言われればその通りだが、兎に角、焦っていた。
「あ〜部活どうすっかなぁ。なんか面白そうな部活ないかなぁ」
俺の名前は真波晋太郎。東京都立上野第二高校に入学したばかりの男だ。
中学時代に女の子にモテモテになりたいと言う軽い気持ちで始めたバスケを怪我がきっかけで辞めて、半分燃え尽き症候群になりつつ、青春を謳歌する術を模索している高校生だ。
「(体育会系は……この膝じゃ無理そうだから、一層の事文化部にするか? いやでも、高校から文化部ってハードル高くね? それに、文芸部とか友達が所属しているなら兎も角、1人だったらわざわざ部活でやる必要がないしなぁ……)」
シューズロッカー付近に貼られている部活勧誘ポスターを眺めながら、いつもの癖で右足のつま先で地面を叩く。
中学最後の中体連の最中に右前膝十字靱帯断裂がきっかけで壊した膝に痛みが生じる。俺自身がバスケを辞めたきっかけだ。
「ヨッス! またろう、部活は決まったか?」
(コイツ、また落ち込んでやがる)
俺を"またろう"と変なあだ名で呼ぶマッチョで童顔な男は、クラスメイトの坂原悠太だった。
「おう、サンタ。ヨッス、ヨッス!」
彼は小学校からの幼馴染で、俺を誘惑しバスケに入部させた張本人だった。俺は12月24日生まれの彼を"サンタ"と称して呼んでいる。
当時の俺は、彼の"バスケは館内スポーツ故に選手と観客が近く、少人数で行う為に一人一人が目立ちやすい! さらに、バレーとは違い、個人のトリックプレーの幅が広いからアピールポイントが豊富だ! つまり女子にモテる!"と言う謳い文句にまんまと釣られてしまった。
「んで? その辺はどうなんだ?」
「それが全然だ。こう、ビビッとくる部活は見当たらねえな。ま、時間かけて探すわ」
「そっか〜」
(また、お前と一緒にバスケしたかったけどなぁ……)
「あ、なあ、またろう」
「ん〜?」
「もし、お前が良ければ男バスのマネやらね? マネは別に女子だけじゃ無いし、それに同性の方が荷物とか洗濯とか色々と都合が良い時あるじゃん。またろうは、経験者だから知識もあるし、良かったら先生や先輩達に根回しをしておくぜ?」
(プレイヤーとして貢献は難しくても、別の道でチームに貢献する事は出来る。それに、今まで頑張ってきたんだから、今バスケを辞めるのは勿体ねぇよ)
「おう、おう。流石、スポーツ推薦者。もう、先輩方と仲良くなったのか。ま、もし無さそうなら、そん時は頼むわ。でも、今はまだ少しゆっくり考えるさ。ありがとうな、サンタ」
不純な動機で始めたバスケだったが、俺自身はバスケが嫌いではなかった。それなりの大会成績、選抜入り、苦しい事や辛い事も多かったが好きだった。
だからこそ、スポーツ選手として活動出来ない現状にまだ気持ちの整理が出来ていなかった。
そして、そんな俺を心配して、少しでもバスケと関われるように世話を焼く幼馴染に心から感謝した。
「おう、気にすんな。んじゃ、俺はこれから由依とデートだから帰るわ」
彼の視線の先には黒髪ポニーテール女子がこちらに手を振って歩いてきた。
彼女の名前は佐久間由依。俺達が所属する普通科1-2とは違い、頭が良い進学科1-6で女バスに所属している文武両道を行なっている才女だ。
俺達の関係はそこそこ複雑で、中2の時に俺が告白して彼女がそれを断り、その後、偶然居合わせた小学生時代から恋した幼馴染と再開して見事カップルと関係だ。
「くっ! リア充共め! 爆散しろ!」
「リア充爆散とは、初めて聞いたわ……」
(ようやくいつもの調子が出てきたか)
「イヤー彼女が居ない、またろう君は暇そうで良いなー。くっくっく、冗談だ。また月曜な!」
「おう! また月曜な! デート楽しんでこいよ!」
手を繋ぎ幸せそうに笑う2人を見て、素直に喜べない自分と彼の人柄故なのか、幸せになって欲しい自分の2つに挟まれながらしばらくボーッとした。
「さてと、今日は俺も帰るとするか」
学校の帰り道に通院してリハビリを行った後、夕飯を取った俺は、20時まで今日の授業で出された課題を行った。
「じゃあ、母ちゃん、散歩に行ってくるけど、何か買ってくるものとかある?」
4月中旬とは言え夜は冷える為に中学時代から使っている黒のウインドブレーカーに身を包む。
「そうね……帰りで良いからコンビニで芋モナカアイスを買ってきて頂戴。慎司さんはどうする?」
「美春ちゃんは芋モナカか〜懐かしいなぁ。それじゃあ僕は、ゴリゴリ君のソーダ味にしようかな? 晋太郎、はい、お金。お釣りは小遣いにでもしなさい」
「うん、父ちゃん、ありがとう。愛香の分は適当に買ってくるよ。行ってきます」
俺の家族構成は父、母、俺、妹の4人家族だ。父は慎司、母は美春で何方も会社員に勤めている。妹の愛香は現在中2で思春期なのか、それとも所属しているハンドボール部が大変なのか、夕食後すぐに部屋に直行している。
怪我した後、俺は日課としてリハビリを兼ねた散歩を行なっている。今は特に理由なく行なっているけど、中学時代は少しでも前と同じように運動できたらと思い始めた事だ。
リハビリの先生からは、俺が完全にスポーツ復帰するには後半年近くかかると言われている。その微妙な時期も気持ちの整理がつかない要因の一つだ。
「ふぅ〜やっぱり、まだ少し痛いな……サポーターとリハビリで何とかなっているけど、元に戻るまでいつになることやら……」
いつもの散歩コースである河川敷の付近にある野球グラウンドのベンチに腰掛け、夜空に浮かぶ星を眺めながら愚痴を言う。
「うおわああぁぁぁ!?」
自身が居る整備してある場所とは違い、草木が生い茂っている方向で男性の、それも少し掠れた高齢者っぽい悲鳴が聞こえた。
「っ!? え、は、え? な、何今の……まさか荒川に落ちた?」
声の方にギョッとした俺は、割とよくこの時間から釣りをしている人が居ることを思い出し、最初は川に落ちたと思った。
「あ、いや、でも、それなら人が水に落ちる音がしないのは不自然じゃね? ゴキブリでも見たのか? お、お〜い、大丈夫ですか?」
少し不自然に思った俺は、ポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、ライト機能を使い足元を照らしながら恐る恐る近づく。
バリバリ、バキッバキッ、ムシャムシャと不可解な音がする先を咄嗟にスマートフォンのライトを照らす。
そこには、真っ赤に染まった草木と恐らく釣りをしていたであろう人の手足。1Mは無いがそれなりに大きく紫色の大きな蛙みたいな見た目で、背中に人面らしき模様のある化け物が必死に"何か"を食べていた。
「ーー!? グゲッ、グゲッ、グゲゲ」
「っ!? うわぁ!?」
「(ヤバい、ヤバい、ヤバい! "アレ"が何かは分かんないけど、兎に角アレはヤバい! 逃げなきゃ俺が死ぬ!)」
「グゲゲッ!? グゲ〜!」
その見た目に反した化け物は器用に二足歩行で俺を追うように走ってきた。その表情は、まるで腹ペコのライオンの前に現れた兎を見て、狩人気分で獲物を追い詰める様だった。
徐々に追い詰められる距離、楽しそうな声色、明らかに俺を舐め腐っている化け物。
「クソッ! こうなったら反撃だ! うおぉぉリャァァァ!」
リハビリ中の足とか関係なく、俺は左足を軸に振り向き様に相手の頭を目掛けて蹴りを放った。
「グゲゲ〜!」
しかし、目の前の化け物は余裕綽々の表情でノーガードでそれを受け止める。
実際に蹴った感触は、車のタイヤみたいな硬いゴムを蹴った時の様な感覚で、逆に蹴った俺自身に痛みが生じた。
「なっ!? クソッ! 離しやがれ!」
「グゲッ」
「うおっ!? ちょっ!? まー!? イグッガァッ!?」
俺の足を掴んだ蛙もどきの化け物は、振り回し、草木のある方向まで俺を投げた。
木に激突したはずみで枝が折れ、そのまま俺と共に地面へ落下する。
「(ふざけるな! こっちは辞めたとは言え190cmの元センターだぞ! その蹴りを片手で掴んで10m先まで投げ捨てるとか、ふざけるのも大概にしろよ!)」
背中に強い痛みが生じた事で、さっきまで感じていた恐怖よりも怒りの感情が勝り、あまりにも理不尽な状況を憎んだ。
「(クソが! 俺が何をしたって言うんだよ……あの野郎……タダで食われてやるとは思うなよ! せめて一矢を報いてやる! 何か武器になる物は……!)」
急いで周囲を確認すると刃先が鋭い太い枝が落ちていた。それは、さっき木に激突した時に折れた枝だった。
「(これならイケる!)うおおぉぉリヤァァァ! これでも食ってろ! カエル野郎!」
「ーー!? グゲッ!? ゲギャー!」
蛙の化け物の口内を目掛けて枝で突き刺す俺は、そのまま全体重を乗せて攻撃する。
予想外の攻撃で、地面に背をつけ痛みに悲鳴をあげて暴れ出す蛙の化け物だったが、手足が短く俺まで届かない。
口から緑色の多量の出血を出しながら、それでも抵抗する化け物は、歯で枝を折りリーチの差を埋めようとする。
「(あと少し! さっきよりも抵抗力が弱い! 多分、余裕がないんだ! だから)これでも喰らえ! クソ野郎が!」
化け物の手が届く前に俺は相手の両足首付近を掴み、そのまま持ち上げ、何度も直ぐに地面へ叩きつける。
「グギャギャ!! グゲギャ!?」
飛び散る紫色の肉片、手の中に感じるシリコンのような気持ち悪い感触が暴れる。
鼓膜が破れそうなほどに高音な叫び声、顔にかかる緑色の出血と汚物のような酷い匂い。
何かが砕ける音と共に次第に抵抗がなくなり、声を出さなくなる化け物だが、そんな事は関係なく俺は、力が尽きるまで必死に地面に叩き続けた。