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聖羅  作者: 水綺はく


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4/30

出来損ない

 夜が更けて朝日が昇る。

 同じ布団に収まった聖羅は昨晩の疲れの為か、ぐっすりと眠っていた。

 彼女の閉じた瞳から伸びる長いまつ毛を静かに眺めていると窓の外からカラスの鳴き声が聞こえた。

 カァーカァーと鳴く声を聞いて何となく布団から体を起こした。

 聖羅は依然として小揺るぎもせずに目を閉じたままだ。

 呆けた頭で赤子のような彼女の寝顔を見つめる。

 朝食をとったら聖羅と一緒にスーパーへ行こうと考えた。

 正直な話、聖羅の存在が私の日常に溶け込もうとしていることにまだ戸惑っている。

 聖羅は死んでしまったと思っていた。そして私はずっと一人だと思っていた。それなのに、彼女が現れて私の生活にするりと溶け込もうとしている。

 心地よさよりも違和感を覚えた。

 私達はこれからどうなってしまうのか。

 このまま聖羅は当たり前のように私の生活の一部となるのか。

 それにしてはあまりにも唐突で困惑していた。



 「結衣ちゃん、おはよう。」

 朝食の準備をしていると聖羅が寝ぼけ眼をこすりながら起き上がって私の側へと歩み寄った。

 スクランブルエッグとソーセージを乗せたプレートをテーブルに並べる。

 シンク下の収納から引っ張り出したポップアップトースターで二枚のパンを焼いている最中だった。

 トースターに収まった二枚のパンが焼けた合図と同時に焼き目をつけて飛び出す。まるでジャンプしたみたいに威勢よく飛び出した。

 ワンルームのアパートは空間が限られている為、コンパクトな物を置く必要がある。

キッチン横は冷蔵庫と洗濯機でスペースを奪われている為、ポップアップトースターは使う時以外は収納していた。

 「すごい!漫画で見たことあるやつだ‼︎いい匂いがする‼︎」

 初めて見るポップアップトースターに聖羅が燥ぐ。

 確か聖羅の実家はオーブントースターだったな。

 懐かしい聖羅の実家の中を思い出すと苦い記憶が蘇った。

 あの空間に一人で佇む私と、散乱したおもちゃたち。後ろから聞こえるトイレを流す音。

 思い出したくないのに今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

 「結衣ちゃん、これの名前はなんて言うの?」

 席に着いた聖羅がスクランブルエッグを指して私に尋ねた。

 「それはスクランブルエッグって言うんだよ。」

 私が答えると聖羅は納得したように、へぇ〜と返した。

 聖羅のスクランブルエッグにケチャップを掛けようとすると彼女が、

「ニコちゃんマークにして!」と懇願してきた。

 黄色と白の優しい色の上に赤色でニコちゃんマークを描く。

 ニコちゃんマークは歪だけど、ちゃんと笑っていた。

 「美味しそうだね。」

 スクランブルエッグを眺める聖羅が感慨深い声を上げた。

 一方の私は自分のスクランブルエッグにケチャップをぐちゃぐちゃに掛けてトースターからパンを二枚取ると、一枚を聖羅に渡して席に着いた。

 食器にフォークが当たる音が二重になって聴こえる。今日は私と聖羅の二人分のフォークが音を奏でていた。

 「結衣ちゃんのお父さんとお母さんはまだあの団地に住んでいるの?」

 食事中、思い出したように聖羅が尋ねた。

 私の目を覗き込む彼女の唇の端にはケチャップの汚れがついていた。

 彼女はそれに気が付いていないみたいだ。

 「…うん、二人とも住んでいるよ。兄二人は就職や結婚で地方に引っ越したけど。」

 私の回答に聖羅はなんと答えるのだろうか。

 私にはそれぞれ二つと四つ、歳の離れた兄がいた。

 一番上の兄は結婚して地方に移り住み、二番目の兄は仕事の転勤の都合で栃木に引っ越した。

 今でもあの団地の五階に住んでいるのは父と母のみだ。

 私はあの団地にいるのが苦しくて高校卒業と同時に引っ越した。

 今住んでいるこの家は同じ都内でも実家まで電車を乗り継いで一時間半掛かる。

 車を持っていない不都合さが実家への足を遠ざける言い訳材料になった。

 実家に帰るのが恐い。何故なら今でも鮮明に覚えているあの日の記憶を思い出してしまうからだ。

 「そっか…聖羅のパパとママはね、引っ越してから離婚しちゃったの。」

 食べかけのトーストを持った聖羅がいかにも残念そうに肩を落とす。

 聖羅の両親が離婚した事実は私の認識と変わりなかった。

 ただ、彼女の両親の離婚は私が原因のはずであった。

 私のせいで聖羅は死んで彼女の両親は離婚した。

 その事実が聖羅が生存していることによって滅茶苦茶になっている…

 「どうして離婚しちゃったの?」

 恐怖心よりも知りたい気持ちが強くなっていた。

 自分の記憶と聖羅の記憶のピースを照らし合わせて答え合わせをしたかった。

 「うーん…よく分からない!大人って子供よりも複雑でしょう?だから、パパもママもお互いが好きとか関係なしに離婚しちゃったの!大人って本当に複雑だよね…」

 小首を傾げた聖羅が、まぁいっか!とでも言うようにトーストにかぶりつく。

 私はその姿を見て胸が苦しくなった。

 「お父さんとお母さんが離れて寂しい?」

 思わず尋ねると聖羅は首を横に振って明るい声で、「全然!」と返した。

 「聖羅のパパとママは離れちゃったけど、今は二人とも違う家族と一緒に幸せに暮らしているから、それでいいの。」

 そう言って聖羅は食事を続けた。

 聖羅の両親の離婚は知っていたが、離婚後の生活は知らなかった。

 まさかどちらも再婚していたとは…

 聖羅の両親は聖羅以外の家族をつくって幸せに暮らしている。

 じゃあ、聖羅は?

 聖羅だけがひとりぼっちなの?

 何事もないように食事する聖羅の横で彼女のことを不憫に思った。

 みんな幸せなのに、私たちだけが幸せになり損ねている。

 私たちだけが孤独なままだ。

 食べかけのトーストを掴んだまま、私の食事する手が止まっていた。

 こういったことは一人の時でもよく起こっていた。

 孤独が無性に寂しくて、時折、食事の手が止まるのだ。

 自ら進んで孤独になっているのに、それがとてつもなく悲しくて、寂しくて、食事さえも停止させる。

 孤独は時に生きる為の行為を止める力がある。

 人を拒んで、求める。

 そうやって矛盾したまま、私は一人で死んでいくのだと思っていた。

 「ごちそうさまでした‼︎」

 食事を終えた聖羅が律儀に合掌して挨拶する。

 その姿を横で見つめながら真実を知りたい欲求に駆られた。

 でも聖羅はそんなことどうでもいいと言っているかのような振る舞いをする。

 聖羅を帰すべきところへ帰すか、このまま一緒に共同生活をすべきなのかで心が揺れている。

 家の事情を知るまでは家族の元へ帰すべきだと思っていた。でもそこは本当に聖羅が安心して帰ることが出来る場所なのだろうか?

 ありきたりな幸せのかたちから出来損なった自分と彼女を重ねてしまう。

 もしも彼女が安心して帰れる場所でないのなら…私と一緒にここにいる方がいいのではないか…

 「結衣ちゃん、これ食べないのー⁇」

 食べかけのスクランブルエッグを指して聖羅が私の顔を覗き込む。

 食事の手が止まったままの私は力なく頷いた。

 「じゃあ、聖羅が食べるねー‼︎」

 聖羅が私に体を寄せてお皿に乗ったスクランブルエッグをフォークで掬って口に入れた。

 彼女の顔は青白い私よりも血色が良く、健全に見える。

 生きている。間違いなく、彼女は目の前で生きている。

 だとしたら、あの記憶は嘘なのだ…きっと嘘の記憶なのだ…

 ''結衣ちゃん見ててー!聖羅、飛ぶからー‼︎''

 今でもはっきりと覚えている聖羅の無邪気な声が時折、フラッシュバックする。

 忘れたくても忘れられない。

 ずっとそれに苦しんでいたのに…今更、嘘だなんて…何事もなく生きているだなんて…

 私の記憶はどこからどこまでが作り込まれているのだろうか?

 「そうだ!…聖羅、久々に結衣ちゃんと絵を描きたいな。」

 スクランブルエッグを食べ終えた聖羅が思い出したように私に訴えかける。

 私は落ち着いた声で、

「来週の土曜日、一緒に駅まで買い物しに行こう。」と言った。

 聖羅は嬉しそうに目を輝かせながら幾度も頷いて、「うん!行きたい、楽しみ!」と声を上げた。

 その無邪気さが私に名も無い安堵感を与える。

 私達はその後、パジャマから私服に着替えて家から程近いスーパーに向かった。

 スーパーに並べられた野菜や肉、魚類を吟味して買い物カゴに入れる。

 「結衣ちゃん、これ、なぁに?」

 聖羅が緑色の太くて長い野菜を指して私に尋ねてきた。

 トマトをカゴに入れながら、「それはズッキーニだよ。」と答えると、彼女は目をしばたたかせながら、「きゅうりじゃないの⁉︎」とさらに尋ねた。

 「きゅうりじゃないよ。それはカボチャの仲間なの。」

 私の回答に聖羅は少し先に並べられたカボチャに目をやってズッキーニとカボチャを交互に見る。

 しばしの沈黙の後、彼女はズッキーニを指したまま、「これがカボチャの仲間⁉︎」と声を上げた。

 「じゃあ、カボチャみたいに中を切ったら黄色くなっているの⁇」

 「いや、なってないよ。中は薄い緑色だね。」

 「え⁉︎じゃあ、カボチャみたいに甘い味がするの⁇」

 「いや…甘さはあんまりないかな…どっちかっていうと柔らかいきゅうりって感じな気がする…」

 「え⁉︎じゃあ、なんでカボチャの仲間なの⁉︎」

「それはズッキーニに聞かないと分からないね…」

 二人でそんなやり取りをしていると通りがかりの見知らぬ婦人にクスッと笑われた。

 それがなんだか恥ずかしくて思わず私はズッキーニを買い物カゴに入れて聖羅の手を引っ張るとお菓子コーナーへと逃げ込んだ。

 「結衣ちゃん、それ買うのー⁇」

 手を引っ張られた聖羅がズッキーニの入った買い物カゴを眺めながら尋ねる。

 恥ずかしさを隠して、「うん。」と答えた。

 その時、私の手の中にいる彼女の骨張った掌は冷たく冷え切っていた。



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