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聖羅  作者: 水綺はく


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探し求める

 「珍しいな、急に呼ぶなんて…何かあったの?」

 ラブホテルでチャコールグレーのジャケットを脱ぎながら私を見る大助はやや張り詰めているような面持ちだった。

 ベッドに腰掛けた私は指輪の入った鞄を握り締めながら不安に押し潰されそうなほど心臓が早鐘を打つ。

 すると大助が私のそばに寄って甘えるように抱きついてきた。

 「結衣〜…愛してるよ。」

 私のことを抱きしめながら彼が耳元で囁く。目と目を合わせると小さな子犬のような瞳で私の顔を覗き込んできた。

 私の中の懐疑心は彼のその表情で一瞬にして消えてなくなり胸の奥にバターの溶けるような温かさが広がった。

 私はここに向かっている間、初心にかえろうと思い大助との出会いを思い返していた。

 大晦日直前の冬にタクシーに乗り込もうとした私に突然、声を掛けてきた彼。あの時の眼差しと微笑み。一目惚れだった。一目で彼と親しくなりたいと感じた。

 あれから一年以上が経過して私達は恋人同士になって彼は私を愛してくれている。それが事実だ。誰がなんと言おうと目に見えている事実だけを信じよう。

 「大助…私ね…」

 私が口を開くと大助は私から身体を離して真剣な眼差しで私の話に耳を傾けた。

 「私ね…正直に話すともうお金がないの。仕事は続けているからお給料は毎月入るけど貯金は全部使い果たしちゃって…でも大助の為にこれから副業とかも探してもっと働いて稼ごうって思っているから!だから…」

 鞄のチャックを開けて指輪の入った箱を出す手は緊張で震えていた。青い箱を開けてプラチナリングを大助の前に見せる。

 「私と結婚して下さい。」

 私は手と一緒に声も震えて彼の顔を真っ直ぐに見ることが出来なかった。だからあの時、彼がどんな表情をしていたのか私には分からなかった。ただ彼は私の言葉を聞いてしばらく黙っているとやがて私を抱き寄せて耳元で囁いた。

 「ありがとう…本当にありがとう…。」

 柔らかくて温かな声だった。何もかもどうでもよくなって許せるような声だった。

 私は安堵してため息と同時に涙を流した。

 不安から解放されて受け入れられたことに対する涙だった。

 「ものすごく緊張していたんだね…結衣、愛しているよ。僕の女神だ。たった一人の大切な人…」

 大助の言葉で私はさらに大粒の涙を流す。涙が止まらなかった。

 結婚…それは私の人生で一番の憧れでありながら最も遠い夢だった。それがようやく私の手元に舞い降りてきたのだ。

 大助と結婚すればきっとおとぎ話のお姫様のような幸せが訪れると信じていた。

 不完全だけど私にとっては完璧な人。この人の為なら私は死ねる。

 大助の胸の中で温かな体温と彼の香りに包まれながら心の底からそう思った。

 死ねる。この人の為なら死ねる。

 そう思うと頭の片隅でうっすらとあの子の笑顔が浮かんで胸の奥が苦しくなった。

 どうして私はあの子を騙して自分だけのうのうと生きてしまったのだろう。

 永遠に消えない罪悪感が胸をえぐって暗い影を落とす。

 そこから逃げたい。今すぐにでも嫌なこと辛いことを全て忘れて逃げ出してしまいたい。

 大助は私を女神だと呼ぶけれど私にとって大助は救世主だった。お互いがお互いの暗い部分を忘れるための救世主となる。

 私達はこれから未来永劫に引きずる過去を背負って共に生きていく…そう信じていた。



 カンッカンッとハイヒールの(かかと)が当たる音が鉄骨階段を登る度にこだまする。

 額からじんわりと汗を掻いて息を切らしながら鉛のように重くなった足を必死に持ち上げて上り切るとコンクリート地面のそばに真っ暗な空と三日月の寥々(りょうりょう)たる景色が広がる。

 涙と汗でぐちゃぐちゃになりながら真夜中の廃墟ビルの屋上に立った私は気持ちが(たかぶ)っていて衝動的になっていた。

 もう何もかもどうでもいい。私の人生なんて絶望しかないのだから…

 コンクリート地面と落下防止の柵は夕方まで降っていた雨の影響でじんわりと濡れていて手を掛けると手のひらが冷たく濡れて私の最期を歓迎しているように感じた。片足を掛けて体を前に乗せると宙ぶらりんの体勢になった。視線は自然と敷地外の遥か遠くの地面に向き、アスファルトの地面を見下ろすと涙が垂れ落ちたので顔を上げた。

 目に映ったのは三日月。太陽が当たらずに欠けた月が私の心の中の虚しさをあぶり出す。

 嗚呼、私、これでやっと楽になれるんだね。もうこれ以上、寂しさで誰かを求めることも不安になることも傷つくこともなくなる…

 私、自分が大嫌いだった。ずっとずっと自分が醜くて憎くて(ゆる)せなかった。

 自分を愛せない人間が他人を愛すことなんて出来やしない。

 私は空虚な人間だ。空虚だから間違えた。結局、私は自分のことしか考えていないエゴイストだったのだ。

 だから騙された。同じような人間につけ入る隙を与えた。

 大助と音信不通になったのはプロポーズをした一週間後のことだった。

 いくらメッセージを送っても既読がつかず電話も繋がらなくなった。大助に何かあったのではないかと心配になった私は警察に相談したが事件性がないと言われて取り合ってもらえなかった。

 待てど暮らせど大助からなんの連絡も来ない日々を過ごす私は寂しさと不安で我慢の限界に達して大助の所在を独自に探すことにした。

 大助の家の住所を知らない私は彼が住んでいると言っていた町で唯一持っていた彼の寝顔写真を使って聞き込み調査をすることにした。その寝顔写真は日頃から写真を嫌う大助がホテルで寝ている時にこっそりと私が撮った写真であった。

 あの時は大助と会えない日の寂しさを埋める為とちょっとしたいたずら心で撮ったつもりだったのに、まさかこんな形で使うことになるなんて思ってもみなかった。

 最初は休日に町へ出て、道行く人に聞き込んでいたが、やがて会社を無断欠勤してまで大助を探すことにのめり込んでいった。

 最初は道行く人に声を掛けることに躊躇いや恥ずかしさがあったが大助への寂しさが溢れていくうちにそんなことなんてどうでもよくなっていた。いくら怪訝な顔をされても不快な態度を取られても大助が戻ってきてくれるのならどうってことなかった。私は必死で何にでも(すが)りたい状態だった。

 毎日、頭の中は大助のことでいっぱいで食事も喉を通らず眠れない日々が続いていた。大助と再会して安心したい…そしてもう一度、元の生活に戻りたかった。

 だけど道行く人々は皆、首を傾げて誰一人として彼の存在を知らなかった。

 そんな簡単にはいかない…分かってはいたけれど想像以上に険しい日々だった。

 そんな状態が続いて三ヶ月が経過した頃、車でスーパーに買い物へ来ていた中年の女性に声を掛けて尋ねると予想外の返答が来た。

 「あれ?大山さん家の旦那さんじゃない…」

 大山さん…聞いたことない苗字に私は戸惑いを覚えて、その女性が人違いをしているのだと思った。しかしその女性はキッパリと彼は大山さんだと言い切った。

 「絶対に大山さんの旦那さんよ。確か名前は…ゆうすけさんだったかしら…住んでるのはこの町じゃなくて反対側の隣町よ。私の息子が大山さん夫婦と同じ団地に住んでいるの。嘘じゃないんだから…住所教えるから実際に確かめてみてよ。」

 小太りの中年女性はよくいるおしゃべり好きなおばさんで初対面の私にゆうすけさんという人の情報をいとも容易くペラペラと話して彼の家の住所まで教えてきた。そして私のことを好奇心いっぱいの眼差しであれやこれやと聞いてきたが私は友達の元カレで…と言うだいぶ無理のある嘘をついてなんとかその場を切り抜けた。

 彼の本名は大山ゆうすけで妻と娘がいて、この町ではなく反対側の町の集合団地で暮らしている…中年女性が私に教えた情報をまとめるとそんな感じだった。

 私はその女性の話をあまり信じていなかった。単なる彼女の思い込みによる人違いか、話好きだから嘘でもついているのではないか…とすら考えた。だけど情報をもらったからには自分の目で確かめに行く必要があると考えて、その町の集合団地へと向かった。

 電車を降りてしばらく歩くと鉄筋コンクリートが何棟も列を連ねている風景が目に入って実家に住んでいた頃の懐かしさを覚えた。

 おしゃべり好きなおばさんが書いてくれた地図と部屋番号を元に歩き進めると、階下に各家の郵便受けが並んでいた。教えてくれた部屋番号の郵便受けを見ると、そこには言っていた通りしっかりと“大山”と黒マジックで書かれていた。その字は丸みを帯びた女性的な文字で大助の字とは程遠いものだった。

 私はポストを前にして立ち尽くす。

 見切り発車で来たものの、どうすればいいのか分からず立ち尽くすことしか出来なかった。

 来たところで一体どうすればいいというのか…そもそもこの人が大助であるという保証はどこにもない。信憑性のない情報だけに行動する勇気が湧かなかった。

 すると背後から小さな子供と女性の声が聞こえた。



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