銀色の輪っか
十一月、大助が三十二歳の誕生日を迎えた。
誕生日は生憎、彼の仕事の関係で会えなかったけれど休日の土曜日に私の家で祝った。
私はちょっと高級なレストランでも予約しようかと考えていたが、大助が私の家で祝いたいと言ったので私の誕生日の時と同様にワンルームアパートでスーパーの惣菜とケーキを並べてお祝いした。
プレートに大助の名前を入れた小さなカットケーキを見て彼は喜んだ。その横顔を見ていると幸福感で満ち溢れる。でも私の誕生日を祝ってくれた時ほどの満足感はなくて、幸福感で満ち溢れたあとは途方もなく不安が込み上げてくる。
大助と出会ったばかりの時に比べて私はお金も心も徐々に痩せ細っていた。
大助とずっと一緒にいたいけれど、このままではいけないこともわかっていた。わかっているけれど彼のそばに居るとそんなことなんてどうでもよくなってしまう。
そうやってずるずると彼や現実と向き合うのを先送りにしていると、あっという間に半年の月日が流れていた。
半年の間に私達の関係性は何も変わっておらず、変わったのは私の貯金額と彼の金銭感覚だった。
「母さんの誕生日に宝石を買ってプレゼントしたい。たとえ喋ることは出来なくても綺麗なものを見たら喜ぶはずたから…」
「結衣、見てよ。このスーツ、すごく良くないか?欲しいけど母さんの入院費でとても買えそうにないな…」
何か欲しいものやお金が必要な時、大助は必ず私に強請った。私はその度に断ることが出来ずにお金を払った。
私は大助に別れ話をされるのが恐くて大助が求めるものは全て叶えようと必死になっていた。そのせいで私の貯蓄はみるみると減っていき、半年で底をつきかけていた。
心もお金もすり減らして大助との未来に不安を感じながらもしがみつく私はまるで沼地に嵌まったように身動きがとれなくなっていた。
そんな時、たまたま「蝶々」の前を通りがかるとママに声を掛けられた。
「結衣ちゃん!」
名前を叫ばれて振り向くとホウキを持って店前を掃いていたママが不安げに私の方を見ていた。
「久しぶりじゃない…しばらく顔を見せないからどうしたのかと思っていたのよ。」
ママに言われて私は金欠と大助に夢中になっていたことで二ヶ月以上、店に顔を出していなかったことを思い出した。
「ママ…そっかぁ…そうだったね。ごめん…」
弱々しく謝って俯くとママが私の側に寄ってきた。
「…何かあったの?なんだか前よりもやつれたんじゃない?まだ開店前だけど中に入って話さない⁇」
ママに言われて店の中に入るとマスターは買い出しに出掛けていて店内は静かで薄暗かった。明かりをつけたママが冷たい麦茶を出して私に何があったのか再び尋ねる。私はついに初めて他人に大助のことを全て話した。
大助の過去と現状を全て話し終えるとママは困ったように眉を下げて私のことを見ていた。
「結衣ちゃん…それって…」
戸惑いの表情で言葉に迷うような動作をママが見せる。やがてママは言いにくそうに口を開いた。
「結衣ちゃん、それって言いづらいけど詐欺なんじゃないかしら…」
突然のママの言葉に私は呆然として、へ?と間抜けな返事をする。
ママは私の顔を憐れむように見つめて話を続けた。
「結衣ちゃんはその彼氏のお母さんに会ったことがないんでしょう?実家に行ったこともなければ入院しているお母さんのお見舞いにも行ったこともない…それだと彼が嘘をついている可能性が高い気がするの。」
「…でも入院している病院の名前は知っているよ。」
「じゃあ、その病院に電話してお母さんについて聞いたことはある?」
「それはないけど…でも…」
言葉が詰まって何も返せなくなる。大助が詐欺師なら彼は私を全く愛していないことになる。そんな事実、今の私にはとても受け止めきれない。
「結衣ちゃん、好きな人を信じたい気持ちはわかるわ。…でもその人は結衣ちゃんを愛しているようには思えない。結衣ちゃんはまだ若いんだから、これからもっと素敵な人と幸せな恋愛が出来るはずよ。」
優しく諭すママの言葉に私の心はそんなはずないと打ち消しの言葉が上書きされる。
そんなはずない。ママから見れば若いかもしれないけれど二十八歳は恋愛や結婚を考えると決して若くない数字だ。
会社の先輩もそのくらいの年齢で寿退社したり産休に入る人が多い。その年齢を超えると独身貴族でキャリアウーマンになっている人ばかりだ。私は仕事に生きるキャリアウーマンになんてとてもなれない。
そこまでの向上心なんて持ち合わせていないし何よりも弱い人間だ。生涯独身を貫けるほど強い人間ではない。
誰かの肩に寄りかからないと足を踏み外して転落しかねない。転落したら真っ逆さまに堕ちてしまうだろう。
店を出た私はふらふらと歩きながら駅の方へと向かった。
大助が私を騙しているなんて、いつか離れてしまうなんて考えただけで胸が張り裂けそうだった。たとえ私を騙していたとしても一生、私のそばにいてくれればいい。でも、もしもいなくなってしまったら…そんなことを考えていると不安で誰もいない静かな家に帰れる心理状態ではなかった。
駅に着くと構内は仕事を終えたOLやサラリーマン、学生などで賑わっていた。帰宅ラッシュの人々が忙しなく横切っていき、私の肩に遠慮なくぶつかっていく。そんな中を茫然自失の状態で進むと一つの店の前に足が止まった。
ガラス張りの外観から純白の店内で上品な制服を着た女性店員が数名立っている。
私は無意識に自動ドアを開けて店内へと足を踏み入れていた。黒いユニフォームを着た店員たちが、いらっしゃいませ〜と次々と声を上げる。
店内に置かれた大きなガラスケースの中には色とりどりの宝石たちがネックレスや指輪となって飾られていた。どれも本物の宝石を使った高価なジュエリーだ。普段の私なら絶対に手をつけない値打ちに目が眩む。
私の残りの貯金額を考えるとほとんどのものが手の届かない値段だ。ガラスケースの前で戸惑いの表情を浮かべていると近くの店員がニコニコしながら声を掛けてきた。
「何かお探しですか?」
私はその言葉に反射的にこう答えていた。
「結婚指輪を…買いに来ました。」
大助と私のエンゲージリングを二つ…私は突発的にそこで買ってプロポーズをすることにした。しかし貯金が底をつきかけている私にはほとんどが手の届かない値段だ。
唯一、手の届く値段として売られていたのは宝石のついていないシンプルなデザインのプラチナリングだった。
この指輪で大助は私を受け入れてくれるだろうか…。本当はもっと高価なものを渡したいが今の私の経済状況ではこれが限界だ。
私は店員にその指輪を二つ指して頼んだ。大助の指輪のサイズは以前、ダイヤモンドのリングを強請られた時に測っていたため把握していた。
大助がいなくなってしまうかもしれない…という焦燥感に駆られていた私は一刻も早くプロポーズをしたかった為、大助と一緒に来店するように勧めた店員の言葉を断って、すぐそばのATMでお金を下ろしに行った。
口座の金額が0になるのを見届けると私は自分の全てを失ったような気がして、そっと目を閉じた。
でももうあとには戻れない。大助と過ごす時間は私にとって絶対に手放せないものだから。
間もなくすぐに失われる数十枚の万札を財布の中に突っ込むと私は吸い込まれるように店内へと戻っていく。
私の全て、全財産、全身全霊を尽くして大助にプロポーズする。
プラチナリングの入った紙袋を下げてスマホを出すとすぐに大助に連絡した。
大助、仕事終わりにこれから会えない?
大助は私からの急な誘いはいつも予定が合わないと断っていた。また断られるかもしれないと不安になった私は続けてメッセージを打ち込む。
大切な話があるの。どうしても会いたい。
今にも泣き出しそうな不安に駆られながら大助からの返信をすがるように待った。
私を捨てないで…どうか私を受け入れて…
家に帰るとそわそわして室内をうろうろしながら紙袋から出した指輪のケースを眺めたり、窓の外を眺めたりしながらはやる気持ちを必死に抑えた。
大助から返信が来たのはその三十分後だった。いつもと変わらない時間帯だ。
通知音と同時にスマホ画面に飛びつくと食い入るように返信を読んだ。
大丈夫だよ。でもどんな話?
私はすぐに返信を打つ。
私達のこれからについて。
そう打ち込んで送信すると数分の間を置いて彼から返信が来た。
わかった。場所なんだけどいつも行ってるホテルでいい?
本当は私の家でくつろぎながら気持ちを伝えたかったけれど大助がよく二人で利用するラブホテルを指定した為、渋々承諾する。
うん、わかった。いつものホテルで待ってるね。
指輪の入ったケースを鞄の中に突っ込んで私は大助が来るラブホテルへと向かった。




