夜空に誓う
「聖羅!」
私は名前を叫んで無数の人混みを掻き分けながら走る。
握りしめたスマホのGPSは聖羅の位置を示すピンへと徐々に近づいていく。
ひしめき合う人々を押し除けて前に進んでいくと目の前に向日葵の浴衣を着た美しい後ろ姿が私から離れるように歩いているのが見えた。
私は彼女の腕を掴むために目いっぱい手を伸ばす。
「せい…」
名前を呼びかけたところで踏み出した右足の草履の鼻緒が切れて前に倒れ込んだ。目の前に映る聖羅の後ろ姿がスローモーションで頭から足元へと移動する。
そのまま見るも無惨な姿で転んで、草が踏み荒らされた地面に手をついた私は顔を上げて聖羅の背中を見つめる。
「聖羅ー‼︎いなくならないで‼︎私が全部、悪いの‼︎」
聖羅の背中に向かって泣き叫ぶと向日葵の浴衣がくるりとこちらを向いて彼女と目が合った。その瞬間、彼女は驚いたように目を見開いて私のそばへと駆け寄ってきた。
「結衣ちゃん、大丈夫⁉︎可哀想に…痛いでしょう?」
しゃがみ込んで私を起き上がらせようと手を差し伸べる聖羅に私も腕を伸ばして手を握ると彼女の手はひんやりと冷たかった。
夏なのに聖羅と再会してから彼女の体温が温かったことなど一度もない。
それは彼女の身体が生きている生身の人間ではない証拠…それでも私は彼女を失いたくなかった。
もう二度と聖羅を失いたくない。
「聖羅、これからもずっと一緒にいよう?私、聖羅の為ならなんだってするから…」
すがるように聖羅を見つめる私は涙で視界が霞み、聖羅の輪郭が歪んで見えた。
聖羅の表情が涙で上手く見えない。
「結衣ちゃん…結衣ちゃんにとって聖羅はなに?」
聖羅が疑問を投げ掛ける。
私にとって聖羅は…
「…生きる希望。」
答えた瞬間、俯くと溢れた涙が一粒になって地面に落ちた。
聖羅のおかげで私は生きる希望を持てた。だから聖羅がそばにいないと私は生きるべき意味を失くしてしまう。
もう失いたくない。もう二度とあんな過ちを犯したくない。
「…そう。でも聖羅は結衣ちゃんにとって希望のはずなのに、まるで結衣ちゃんの幸せの足枷みたいになっているね。」
聖羅の言葉に顔を上げる。彼女は眉を顰めながら悲しげな顔をしていた。
「…結衣ちゃんに一つだけ教えてあげる。」
そう言って彼女は私の耳元に唇を近づけて囁いた。
「聖羅ね、本当は死んでいるの。」
彼女の冷ややかな声が耳から身体全身に響き渡り、目の前の景色が砂嵐のように音を立てて消えていく。
私は今にも倒れそうなほどに血の気が引いていった。聖羅はそんな私の体を支える。
「結衣ちゃん、倒れちゃダメだよ。今日はまだ花火大会の日でしょう?」
聖羅は私と目を合わせると微笑んで小首を傾げた。
恐い。私の身体が戦々恐々と戦慄く。
「あ!啓太くんだ!」
突然、聖羅がそう言って立ち上がると背後から啓太くんが姿を現した。
すっかり真っ暗になった人ごみの中で私はまだ体に力が入らずに起き上がれていなかった。そんな私を啓太くんが何事かと驚いた様子で目を丸くして見る。
「結衣ちゃんの靴の紐がね、切れちゃったみたいなの…それで転んじゃって、よっぽど痛かったみたいで泣いちゃったの。結衣ちゃん、可哀想…」
聖羅が事情を伝えると啓太くんはすぐにしゃがみ込んで私の体を支えて、「…大丈夫?起き上がれる?」と心配そうな表情で尋ねた。
それと同時に私の手から聖羅のひんやりと冷たい手がゆっくりと離れていく。
啓太くんに支えられながら静かに立ち上がると浴衣に描かれた白い蝶々が土で黒く汚れていた。
「…今日はもう帰ろうか?」
啓太くんが私と聖羅を交互に見ながら尋ねると聖羅が元気よく頷いた。
「せっかくの結衣ちゃんの浴衣がどろんこだぁ…」
聖羅が心配そうに私の膝小僧を撫でる。
「大丈夫?痛くない?」
啓太くんは私の腕を支えて歩きながら何度もそう訊いた。その言葉が優しくて耳心地が良かった。
でも、もしも私が啓太くんと付き合ったら聖羅は一体どうなるのだろうか。
すぐそばで打ち上がる花火のようにもしも聖羅が消えて失くなったら…また同じことの繰り返しだ。
私だけが幸せになるなんて赦されない。
”結衣ちゃんにとって聖羅はなに?“
隣で私と啓太くんに歩幅を合わせて歩く聖羅の横顔を見ると彼女は真っ直ぐと前を向いていた。その横顔を見ていると彼女のさっきまでの言葉たちが頭によぎる。
聖羅はどうして私にそんなことを訊くのだろうか。
聖羅にとって私は一体なんなのだろう…
”聖羅ね、本当は死んでいるの“
彼女の囁きが耳裏に残って背筋を凍らせる。
聖羅はやっぱり死んでいた。じゃあ、なんでそれを私に告げた?どうしていま…
九月十五日、きっと私と聖羅の身に何かが起きる。
聖羅は何かを目論んでいる。でも私に為す術はない。だって私は人殺しなのだから…
三人で歩いて店に向かうと接客中のママが驚いた様子で出迎えた。
「あら⁉︎やけに早いわね…どうしたの⁉︎」
ママはすぐに私の汚れた足元に気がついた様子で口元に手を当てると、「まぁ、痛そうに…転んじゃったのね…」と言った。そして私の膝をおしぼりで優しく拭いてくれた。
「すみません…」
私が申し訳なさそうに謝るとママは、いいのよ!と言って二階から消毒液とガーゼを持ってきて慣れた手つきで擦りむいた足を手当てしてくれた。
「啓太も由紀も昔はよくこんな風に怪我をして帰ってきてたわ…まるで昨日のことみたいに覚えているの。」
ママが懐かしむように呟いているのを啓太くんが私のそばで気恥ずかしそうに俯いて聞いている。
ママは小さな傷には絆創膏を貼って、大きな擦り傷の部分にはガーゼを被せてテーピングをしてくれた。
「ママ、すごーい!看護師さんみたい‼︎」
聖羅が私の足を見て感嘆の声を上げる。
ママは得意げな様子で、「こんなもの、慣れたもんよ〜」と嬉しそうに返した。
ママは鼻緒が切れた草履を脱がして自身のサンダルを私に履かせた。
「それよりも三人とも、西澤さんからこだまスイカもらったんだけど食べない?」
ママの言葉に聖羅が一目散に、食べるー‼︎と笑顔で手を挙げる。
「聖羅、さっきあんなに食べたのに…」
「結衣ちゃん、聖羅はまだ食べれるよ?」
自信たっぷりな彼女の声に、やはりさっきまでのお腹が痛いは嘘だったのだと確信した。聖羅は一体、いくつ嘘を吐いているのだろうか。
店の外に出ると丁度、目の前に花火が見えて、わざわざ土手まで行かなくてもここで見れることに気がついた。
私たち三人は肩を並べて花火が上がる空を見上げる。
すると中からママが三角形に切ったスイカをお盆に乗せて運んできた。
「暑くなったらすぐに中に入りなさい。冷たい麦茶があるからね。」
笑顔のママに聖羅が、はーい!と答えて三人でスイカを食べながら花火を見上げる。
小さな火種は天へと昇り、花開くと、わずかな時間差でどんっどんっと鈍い音を立てて夜空を彩っていく。
「花火って、すごく綺麗なんだね。」
私の隣で空を見上げる聖羅が呟く。
きっとさっきまでは私と啓太くんを二人きりにすることで頭がいっぱいで落ち着いて花火を見ていられなかったのだろう。
そう気がつくと何故だろうか胸が痛かった。
私は聖羅が私を恨んで復讐を企てていると思い込んでいたが今は違うのではないかと思っている。
もしも私が復讐を考えている身だったら彼に告白の協力などしない。それどころか二人が付き合うのをなんとしてでも阻止しようと企てる。
私だったらそうする。でも聖羅だったら…
少なくとも聖羅はそんなふうに人を恨むような子ではなかった。
聖羅の中身は五歳のまま止まっている。私が記憶する聖羅のままだ。
聖羅は復讐なんてしない。そんな子ではない。
じゃあ、十五日に聖羅はどうなるの?
私は自分の身ばかり考えて聖羅の身のことを考えていなかった。
空を見上げる私たちの目の前で輝く花火がキラキラと光って静かに消えていく。
まるで聖羅みたいだ。
もしも聖羅が花火のような存在だったら…
“聖羅ね、本当は死んでいるの“
聖羅の言葉を何度も浮かべて隣に映る彼女の横顔を目に焼きつける。
私の目の前にまだ彼女は存在している。
まだいなくなっていない。もう私は同じ過ちを繰り返さない。
もしも聖羅がいなくなってしまうのだとしたら、私はそれを阻止する。
スイカを持って穏やかな表情で空を見上げる彼女のシャープな輪郭を眺めながら誓う。
聖羅がいなくならないように私は何が何でも手を尽くす。
たとえそれで私自身が死んだとしても、それで聖羅が今のままでい続けられるのならば構わない。
私は聖羅のために死んだって構わない。
夜空に浮かぶ煌びやかな花火が聖羅ならば私は線香花火だ。静かに落ちて死んでいく。でもそれでいいじゃないか。
聖羅の為に死ねるのならば本望だ。




