赦免を請う
電車に揺られている間、私はありとあらゆることを考えていた。
聖羅が死んだのは真実だ。それなのに彼女が存在している理由は神がお怒りになったからなのかもしれない。あんなに純真で罪のない少女を私は己の醜い嫉妬心で陥れた。当然そんな事実を神が赦してくれるはずがない。神は私が聖羅に赦免を請うべきだと考え、彼女を生き返らせたのかもしれない…
いや、私は浅ましい…この期に及んで神がチャンスを与えたなどと考えるなんて…醜くて情けない。
赦してくれるはずがないでしょう…聖羅は死んだ。それを赦してもらえるなんて…愚かな考えだ。
神はきっと私に罰を与えるために聖羅を蘇らせたのだ。
私の記憶から聖羅との日々を思い起こさせて罪悪感を煽る。その後に私は処罰を与えられる…これが順当だろう。
私は一体、どんな処罰を与えられるだろうか。聖羅が経験したことと同じようなことを経験して死ねば順当だろうか。
それとももっと惨い何かが待っているのだろうか。
電車が最寄駅のホームに止まる。
扉の前で待機していた私は扉が開くと一目散に車内を抜けて階段を駆け上がる。
二段飛ばしで階段を駆け上がるとパンプスのヒールがカツンッカツンッと音を立てた。
そのまま中間地点まで来ていると片方の足からパンプスが脱げて転げ落ちていった。
平日の昼下がりで人がまばらなホームの階段に私のパンプスが転がって停止する。私は慌てて下に降りてパンプスを拾うと、再び足に嵌め込んで鬱血しそうなほどに浮腫んだ足を無理矢理動かして階段を上った。
しかし改札を抜けると足の痛みがピークを迎えていた。
右足の小指に水膨れが出来ていて体重を乗せる度に痛みで顔が引き攣る。我慢の限界を迎えた私は駅前のタクシー乗り場でタクシーを拾って家まで走らせた。
走行するタクシーの中で私は車窓から流れる見慣れた景色を眺めながらも心は落ち着かなかった。
私は聖羅に赦免を請わなければならない。それが恐くて怯えているのに早くその時が来てほしいと願っている。
子供の頃、歯医者に行った時と似たような感覚だ。恐いけれど早くそれを終わらせたい気持ち。
だけど今の方が恐い気持ちは強い。
緊張で強張る私の中でまた何かが思い出せそうで思い出せないあの感覚が襲ってきた。
タクシーに揺られるこの感覚…とても久しぶりだけど、そんなに昔の感覚ではない気がした。
私が最後にタクシーに乗ったのはいつだっただろうか…
誰かが、私の隣にいた気がする。
(そこのお姉さん!)
突然、私の耳元で男の叫ぶ声が聞こえた。
私はその声に心臓を撃ち抜かれる。
誰…誰なの…?私、あなたの声、知ってる…
すごく愛しい声のはずなのに全く思い出せない。
あなたを早く思い出したい。思い出さないと…聖羅に謝らないと…‼︎
息を荒げる私の前でタクシーの運転手は動じる様子もなくアパートの前に停車させて料金を提示した。
私は震える手でお金を渡してお釣りを受け取るとお辞儀と礼を言って忙しなくタクシーを降りた。
こんな時にでも他人の前で真面でいる姿を見せようとするのは私の幼少期からの異常な習慣だ。
私は常に人前で感情を剥き出しにしている姿を見られることに怯えている。
誰かに弱みを見せることはいけないことなんだと思っている。だからいつも、何があっても涙を引っ込める。
カバンから顔を出すスケッチブックを持ってアパートの二階へと駆け上がっていく。
鍵を開けると聖羅が目を丸くして驚いた様子で立っていた。
「あれ?結衣ちゃん、早いね。まだ二時だよ?」
突っ立っている彼女の後ろからテーブルに乗ったスケッチブックと色鉛筆が見えた。私が入ってくるまで絵を描いていたことがわかる。
私は息を荒げながら聖羅に近づくとカバンから持って帰ってきたスケッチブックを取り出して中身を見せた。
「…聖羅、覚えてる?これ、私たちが描いた絵なの。」
二人で描いた絵を見せると聖羅はニコニコしながら、懐かしいね。と返す。
私はさらにスケッチブックのページを進めた。すると最後に絵が描けなくなったページに辿り着いた。
描き途中の絵が黒く塗り潰されたページ…聖羅はそのページを見ると不思議そうな顔をして小首を傾げた。
「…聖羅、私ね、これを最後に絵が描けなくなったの。なんでか、わかる?」
私の問い掛けに聖羅は首を傾げる。でもその顔は微かに笑みを含んでいた。
「…聖羅が死んだから描けなくなったの。聖羅、あなたは死んだんだよ。……そして聖羅を殺したのは私。」
家の中に静寂が訪れる。
聖羅は何も返さず私に向かって微笑んでいるだけだった。
その微笑みが不気味で、それでいて神秘的だった。
私はスケッチブックを床に置いて膝を下ろすと聖羅の目の前で土下座した。
「私が聖羅を殺したの。聖羅に嘘をついてベランダから落ちるように仕向けたの。」
私の目には大粒の涙が溢れていた。自業自得なのに涙を流すなんて我ながら浅ましい人間だ。そう思っても悲しみと恐怖で涙が止まらなかった。
聖羅はそんな私を小首を傾げたまま見下げている。
まるで、なんのこと?とでも言うように笑って見ていた。
私は顔を下ろしておでこを床にぴったりとくっつけると彼女に赦免を請うように謝罪した。
「私が殺したの!ごめんなさい‼︎謝っても赦されないってわかってる…でもずっと後悔していた。私、聖羅の望むことなら何でもするから…‼︎だから…だから…」
すべて洗い流して赦してください。…そんな都合のいい話、通用するはずないのに私は土下座して号泣しながら赦免を請う。
これが追い込まれた人間の最終形態なのかもしれない。
「結衣ちゃん…結衣ちゃん…」
感情的になる私とは裏腹に聖羅はいつも以上に落ち着いていた。
私は聖羅への恐怖と己の姿の恥ずかしさで顔を上げることが出来なかった。
「結衣ちゃんは悲しいことばっかり考えるんだね。いつも不安気で泣いてばっか…ねぇ、顔を上げてごらん。」
聖羅に言われて涙でぐちゃぐちゃになった顔を恐る恐る上げる。
聖羅はそんな私に微笑みかけて腰を下ろすと私のことを優しく抱きしめた。
「花火大会、楽しみだね。」
耳元で聖羅が私に囁いた。その囁きが私の強張る体から力を奪っていく。
聖羅の体はひんやりと冷たくて暑さで汗をかいた私の体を冷やしていく。
私の身体は安心感と同時にどっと疲れが来て眠気を襲う。
「今日はもう、ゆっくりとおやすみなさい…」
布団を敷いた聖羅が私を横たわらせて柔らかなタオルケットを掛けた。
すると私は催眠術にかかったように深い深い眠りについた。
途中、耳元で何かを囁く声が聞こえたが、意識が遠のいていって何も聞き取れなかった。
花火大会当日、私と聖羅は浴衣を着て「蝶々」を訪れた。
ママは私達の浴衣姿を見ると驚いたように口元に手を添えて、あら⁉︎と声を上げた。
「二人とも綺麗ね〜!まるで若い頃の私にそっくり!」
ママの言葉に扉を開けて登場した啓太くんが呆れ顔で、何言ってんの?と反応する。
「いやぁ、二人ともべっぴんさんだなぁ…なぁ、啓太⁉︎」
マスターの言葉に啓太くんは私達を一瞥すると恥ずかし気に頷いた。
啓太くんは白いTシャツに黒のスキニーを履いていて、いつもと変わりないスタイルだ。
「啓太くん、浴衣似合ってる〜?」
聖羅の問い掛けに啓太くんは優しく笑い掛けながら、似合っているよ。と返した。
私は二人のやり取りを見ていると、いたたまれなくなって思わず顔を逸らした。
「由紀はもう先に出ちゃったからなぁ…あいつも随分とおめかししていたなぁ。新しい浴衣まで買ってもらって…」
首を傾げて考えるように上を向くマスターにママが、「仲良しの沙織ちゃんと行くからじゃない?きっと去年と同じ浴衣だと恥ずかしいのよ。」と冷静に話す。
マスターは腑に落ちない様子だったが、そうか…と言って無理やり納得させるように頷いた。
「じゃあ三人とも行ってらっしゃい!楽しんできてね!」
マスターとママが手を振って私達を見送る。
私と聖羅は二人に向かって笑顔で手を振り返したが、啓太くんは恥ずかしいのかそのまま前に進んだ。
三人で肩を並べて花火がよく見える河川敷へと向かう。
私達の真ん中には聖羅がいて目をキラキラさせながら辺りを見渡している。
河川敷に着くとすでに多くの人々が集まって賑わっていた。
浴衣を着て歩く若者の集団から小さな子供のいる家族連れ、私服姿の若いカップルがいれば、はつらつとしたお爺ちゃんお婆ちゃんも歩いていた。
舗装されず雑草が踏み倒された通り道を三人で歩いていると通勤時に私がいつも通る橋が上に掛かっていて思わず見上げた。
私はいつも、この橋を渡って通勤しているんだ…
見上げながらぼんやりとしていると、ふと聖羅と再会した日に身に覚えのない結婚指輪を投げたことを思い出した。
左手薬指に嵌められていた銀色の輪っか…それを私はあの橋から投げ捨てた。
あの指輪のこともいつか思い出す日が来るのだろうか。




