通知される
「心外ですね。」
啓太くんは眉間に皺を寄せて怒った顔して言った。
「あなたにそんなこと言われるなんて心外です。」
真っ暗な夜道に佇む私達の顔を街灯が照らす。
街灯には無数の虫たちが飛び回っていた。
啓太くんの表情は疑う余地もないほどにくっきりと怒りを露わにしている。
私は何故、啓太くんが怒っているのか分からなくて不安になった。
「え?あっ…」
言葉を詰まらせていると啓太くんは不機嫌な声で、「今日はもう帰ります。」と言って私から背を向けた。
遠のいていく啓太くんの背中を呆然と眺めながらなす術もなく立ち尽くす。
自分一人でやるから協力なんていらない…そういう意味だろうか…
自分を守る為に言った言葉なのに酷く惨めな気分だ。
自分の突発的な言動を後悔しながら頭を抱えてため息を吐く。
家に戻ろうと踵を返すと目の前に蚊柱が立っていて顔に当たった。私はもう一度、深い溜め息を吐いて蚊柱を避けるように前に進む。
家に入るとご飯を食べているはずの聖羅が床に置かれたケータイショップの袋の中を覗いていた。
「結衣ちゃん…これってもしかして、聖羅の?」
スマホを片手に目を輝かせる聖羅に、そうだよ。と頷くと彼女はとても喜んでいた。
「わーい!聖羅のスマホだ!!ねぇ、今日って何か特別な日なの?」
「今日はお盆休みだけど、だから買ったわけじゃないよ。」
「ふーん、そうなんだ…てっきり何か特別な日なのかと思っちゃった。だってスマホも買ってくれて、晩ご飯もカレーだし!」
思ったことを何でも口にする聖羅の正直さに笑いながらスマホを起動させて、やり方を教えてあげた。
まだ読めない漢字が沢山ある聖羅にメッセージアプリを使わせるのはどうかと思ったが勉強にもなるかもしれないと思ってやり方を教えた。
聖羅のアプリには私のアカウントだけが表示されている。
彼女は画面を優しく撫でながら、「結衣ちゃんが最初の友達だね…」と呟いた。
ある休みの日、聖羅が起きるなり私におねだりをした。
「結衣ちゃん、私も結衣ちゃんみたいに料理が出来るようになりたい!だから結衣ちゃんの料理の中で一番美味しいスクランブルエッグの作り方を教えて!」
瞳を輝かせて快活に喋る聖羅のそばで寝起きの私はまだ髪がボサボサで寝ぼけ眼の状態だった。
「…いいよ。」
ようやく喋れるようになって承諾すると聖羅は欣欣として椅子から立ち上がると冷蔵庫を開ける。
「結衣ちゃん、卵があと三つしかないよ!」
聖羅に急き立てられて顔を洗った私はスーパーに向かうために髪を結んで外着に着替える。
その間に思ったことは、ほぼ毎日、食事を振る舞っているのに一番美味しいものが味付けなしで材料一つのスクランブルエッグなのか…ということだった。
だったらカレーと言ってくれた方が嬉しかったな…
でも冷やしトマトと言われない分、まだよかったのかもしれない。スクランブルエッグなら加熱という過程がある。
でも、それだったらまだ野菜炒めの方が味付けをしているから喜ばしかった…
着替え終わって聖羅とスーパーに向かっている間も悶々と彼女の言葉を反芻していた。
その隣で聖羅はいつもと変わらずにご機嫌で私の手を握りながらスーパーに着くと卵を買うついでにクマのキャラクターシールがついたガムを強請った。
私はそれを聞き入れてキャラクターシールと十個入りの卵パック二つを買って帰路についた。
帰宅すると早速、手を洗って二人でスクランブルエッグを作る練習をする。
まずは卵を綺麗に割る練習から始める。お手本を見せた後、聖羅が卵を綺麗に割れるようになるまで卵を何個も使った。
強く叩き過ぎて割っている間に中身を下に落としてしまったかと思うと今度は叩く力が優し過ぎて全然、割れなかったりした。そして割れたとしても殻まみれだったりした。
「もうやりたくない…」
失敗するたびに半泣きで不貞腐れる聖羅を何度も鼓舞して真っ白な卵を持たせるとやがて彼女が、嫌だ!と叫んだ。
「どうせ上手く出来ないもん…聖羅にはスクランブルエッグなんて作れないんだ…」
悔しさで綺麗な顔を歪める聖羅はどこか幼い頃の私に見えた。
「まだ卵はあるから、なくなるまでやろう。それでダメだったらまた今度にすればいいよ。」
聖羅の頭を撫でながら説得すると三十分後にようやく受け入れて練習を再開した。
アルバイト先でもこんな感じなのだろうか…と内心、冷や冷やしながら再び卵を割る様子を眺めていると二回目で綺麗に割れた。
「結衣ちゃん、やったぁ‼︎」
黄身と白身が綺麗に分かれて殻の入っていない卵を見ながら二人で喜びのハイタッチをする。
「私がそばにいる時以外は絶対に触っちゃダメだからね。」
彼女にそう言い聞かせながらガスコンロに火を点けるとフライパンに油を引いて卵を流し入れた。そこから手早く菜箸で卵をくるくると混ぜるとその様子を見ていた聖羅が目を輝かせながら、次は聖羅!と叫んだ。
同じように聖羅にやらせると歪でぐちゃぐちゃなスクランブルエッグが出来上がった。
「なんで同じようにやっているのに聖羅のは見た目が違うんだろう…」
納得がいかない様子の聖羅に私は、「また練習すればそのうち上手くなるよ。初めてでこれは上出来!」と言ってケチャップを差し出した。
聖羅は自分で作ったスクランブルエッグにケチャップでニコちゃんマークの絵を描いた。私は適当にジグザグにケチャップを掛けるとパンを焼いて二人で遅めの朝食兼昼食を取ることにした。
席に着くと聖羅は初めて作った自分のスクランブルエッグをフォークで掬って口に運んだ。
「うーん…やっぱりなんだか違うんだよなぁ…」
眉間に皺を寄せて考え込む聖羅が私の作ったスクランブルエッグを口に入れる。
「うん!やっぱりこの味だ…‼︎」
何度も頷く聖羅の隣で私も二つのスクランブルエッグを交互に口に入れる…が、私には違いが全く分からなかった。
聖羅の作ったスクランブルエッグの方が火が通り過ぎてパサついてはいるが格段に違うかというとそういった訳ではない。しかし聖羅は自分のものを口に入れる度に何度も首を横に振って、私のものを口にすると何度も頷いた。
そこまで明確に違うかなぁ…私には最後までわからなかった。
「ねぇ、結衣ちゃんは恋をしたことある?」
徐に聖羅が口を開く。
私はパンを食べながら、あるよ。と答えた。
「恋ってどんなもの?」
「うーん…その人とずっと一緒にいたいって思うことかな…何があってもそばにいたいって思って、都合の悪いところも許しちゃうこと…かな…」
聖羅はいかにも理解していない顔で首を傾げて、ふーん…?と返す。
「あとは…ふとした瞬間に頭に浮かぶ人。」
そう答えた瞬間、啓太くんの顔が私の頭を過った。
私は慌てて打ち消すように聖羅から視線を逸らす。
「聖羅は誰かに恋をしているの?」
「ううん、してなーい!」
そう言って食事を終えた聖羅がお皿を重ねようとしているとスマホから通知音が聞こえた。
私は慌てて自分のスマホを見るが通知は一件も入っていない。すると聖羅が自らのスマホをポケットから出して画面を覗いた。
「連絡…?誰から…?」
不安になって尋ねると聖羅は明朗な声で、ママからだった!と答える。
私が知らない間にママと連絡先を交換していたのか…と思ったが従業員とメッセージのやり取りをするのは当然のことだと思い直した。
不安になっちゃいけない。嫉妬なんてしてはいけない。
私が勝手に疎外感を感じているだけなのだから…
「あのね、聖羅ね、この間、啓太くんとも交換したんだよ!結衣ちゃんは啓太くんのアカウント持ってないんだよね?」
突然の聖羅の言葉に私は胸をナイフで突き刺されたような感覚に陥る。
私はまるで重症を負った敗北者だ。聖羅に対して何も返答することが出来なかった。
目の前にいる少女が無邪気にナイフを振り回しているようにしか見えない。
それに対して聖羅は何も状況を理解していない顔で、結衣ちゃん…?と小首を傾げた。そして急に何かを思い出したように、あ!と声を上げて後ろを向いた。
「今日は九月一日なのにまだカレンダーが八月のままだよ!聖羅がめくるね!」
そう言って立ち上がった聖羅がカレンダーをめくる音が背後から聞こえる。
私は痛みを抑えながら元の自分に戻るように言い聞かせて聖羅の方を見た。
聖羅は八月のカレンダーをくしゃくしゃにしてゴミ箱に捨てていた。それから黒いマジックを手に取って九月一日の箇所に大きなばつ印をつけた。
「よしっ」
聖羅が満足げにカレンダーから離れる。私は座ったままカレンダーをじっと見ていると十五日のところに小さな丸印がついていることに気がついた。
「…聖羅、このマルは何?」
私が訊くと聖羅は何も理解していないといった顔で首を傾げて、なんのことぉ?と尋ねた。
私はその顔が嘘だと見抜いた。
何故なら啓太くんの時に見せた表情よりも大袈裟で演技めいていたからだ。
九月十五日に丸印をつけたのは間違いなく聖羅だ。
でも聖羅は何も知らないふりをしている。
何故?その日に一体、何があるのだろうか。
やっと話が進んできた〜!




