行方不明
月曜日、仕事終わりに聖羅の様子を見に行った私はソフトドリンク一杯と軽い食事をして先に家に帰った。
休み明けの仕事始まりはいつも疲れが溜まりやすい。少しでも布団に横になったらそのまま深い眠りへと入ってしまう。そうならないように帰宅してすぐに歯を磨いてお風呂に入った。
髪をドライヤーで乾かすと安心感と同時に瞼が重くなって柔らかな睡魔に襲われた。
布団を敷いた私は聖羅が帰ってくるのを待たずに眠りについた。
次に目が覚めたのは深夜のことだった。トイレを済ました私は寝ぼけ眼で辺りを見渡すと聖羅がまだ帰って来ず家内が暗く、ひっそりとしていることに違和感を覚えた。
スマホで時間を確認すると深夜0時40分になっていた。いつもなら帰宅している聖羅の姿がない。
不安になった私が「蝶々」に電話を掛けるとママが出た。
聖羅がいるか確認すると、二十分残業をして帰ったと言われた。
しかし残業時間を考慮しても今頃は帰宅しているはずだ。心配する私をママは、大丈夫だと落ち着かせた。
「きっとどこかで寄り道でもしているか、ゆっくり歩いて帰っているのよ。言動は幼いけど聖羅ちゃんも二十代の大人なんだから。」
慰めるママの言葉は私にとってなんの気休めにもならなかった。
記憶がない幼子と同じ知能の聖羅が夜中に行方知らずなのは嫌な予感がした。もしも誰かに連れ去られていたら…と考えるとゾッとする。
誘拐なんて…とママは笑ったがもしも私の馬鹿げた想像力が事実へと向かっていたら、居ても立っても居られなくなり家を飛び出した。
辺りを見渡しながら聖羅が帰る時に通るはずの夜道を隈なく捜す。
街灯を照らす道、街灯から外れた建物同士の隙間…どこを探しても聖羅の姿はなかった。
暗い夜道を一人で歩き回る私はまるで自分が迷子かのように不安になり、聖羅を見つける手掛かりがどこにもないことに途方に暮れた。
店を出た後に真っ直ぐ歩くと二手に分かれた道になる。私達のアパートとは反対方向の道を行くと24時間営業の大型スーパーが目に入るはずだ。
私と聖羅は週末に何度もそのスーパーで買い物をしている。聖羅の好きなアイスクリームやロシアケーキを買ってあげることもあった。
もしかしたら聖羅はお菓子が欲しくてスーパーに行ったのかもしれない。
スーパーへの道を振り返って歩もうとした瞬間、握り締めていた携帯電話から着信音が鳴った。
深夜に軽快なリズムを鳴らす画面には「蝶々」と書かれていた。急いで電話に出る。
「もしもし⁉︎……え?うん、うん、うん」
ママからの電話を切った私はスーパーへの道から背を向けて真っ直ぐに走った。
走って走って走って…
私の顔はきっと物凄い形相になっているだろう。激しい怒りと悔しさと後悔…
もう二度と後悔なんてしたくなかったのに…
「蝶々」の看板を見切って折り返すと再び二手に分かれた道が現れた。私はそこを右に曲がって全速力で走る。この先にあるのはラブホテルが建ち並ぶ道だ。
ーー聖羅、あそこのピンク色の建物に行ってみたいなぁ‼︎
ついこの間、目を輝かせて私に訴える聖羅の姿が脳裏に浮かぶ。
ーーいつかね‼︎
あの時、照れ隠しのように素っ気なくそう答えた私…
私は馬鹿だ。本当に馬鹿だ。あの時、ちゃんと正しいことを伝えなければいけなかったのだ。
どうしていつも上手くいかない…今回は悪意なんて微塵もなかった。それなのに…
走った先にはピンク色のネオンが光る大きなラブホテルが建っていた。
そこでまず視界に入ったのは啓太くんの姿だった。携帯電話を持って聖羅を見つめる彼の姿が目に入った。その隣で聖羅が彼の手を握っている。聖羅はリラックスした表情で啓太くんに何か話しかけているようだ。
二人の前に足を止めると啓太くんと聖羅の視線が一気にこっちへと向いた。
「結衣ちゃん!」
嬉しそうに私の名前を呼ぶ聖羅を横切って前に進むと赤いTシャツにデニム姿で立ち往生する塚田がいた。
ばつの悪そうな顔で佇む塚田に近づくと顔面を思いっきり平手打ちした。
塚田の首が打った方へと曲がる。打ち終わった瞬間、塚田は一瞬の出来事に呆気に取られたように私を見た。
「結衣ちゃん!」
聖羅の私を呼ぶ声が悲鳴に似たものへと変わる。
私の側へと駆け寄った聖羅は状況を理解していないようだ。
「結衣ちゃん、遊びに行くってちゃんと言わなくてごめんね。おじさんがここにはゲームがいっぱいあるって言うから入ろうとしたの…仲間外れにするつもりじゃなかったの。」
弁明する聖羅の言葉に塚田への怒りがさらに湧いた。
私の目の前にいる男は悪びれた様子もなくそっぽを向いている。
この男は誘拐犯と同じだ。たまたま啓太くんが見掛けて後を追って捕まえなかったら聖羅は中へと閉じ込められていたに違いない。
「こんな純粋な何も知らない子を騙すなんて…」
怒りに震わせた声を上げた瞬間、猛烈な頭痛に襲われた。
思わず頭を抑えて地面にしゃがみこむ。
激しい痛みを抑えようとする中で誰かの声が聞こえた。
’’結衣…結衣…’’
うるさい!私の名前を呼ぶ男の声を必死に掻き消そうとする。
「結衣さん!」
啓太くんが私の側へと駆け寄って背中をさすっているのが分かる。
’’愛してるよ…’’
知らない男の声が激しい痛みの中で響き渡る。
愛してるって…本当に…?誰が…
「結衣ちゃん‼︎」
聖羅の声が耳に入った瞬間、痛みも男の声も一瞬にして消えた。ハッとして顔を上げると私の手を握って見つめる聖羅の姿があった。
「聖羅、もう二度とここには行かないよ。」
何かを悟ったように聖羅が私に誓う。
前を見ると塚田が私を怪訝な様子で見ていた。
「もう二度と店には来ないで下さい。」
啓太くんが立ち上がって塚田に伝えると塚田は不機嫌な顔をして何も言わずに立ち去った。
店とは反対方向の道へと進む塚田の背中を眺め終えると啓太くんが再び腰を下ろして、大丈夫?と私に尋ねた。
頭痛が治った私は頷いて、ゆっくりと立ち上がる。
聖羅は不安げに私の顔を覗き込んで手を握ったままだ。
塚田を叩いた手がじんじんと痛む。でもその手を聖羅が握っていることによって軽くなっていくのがわかった。
「聖羅さん、これからは知っている人でも声を掛けられたからってついて行っちゃダメだよ。」
啓太くんの言葉に聖羅は頷いて、ごめんなさい…と呟いた。
私は落ち込む聖羅の手を強く握り返した。
啓太くんは帰宅せずにそのまま私達を家まで送り届けることにした。
帰路の途中、また同じことが起きてしまったらどうしようかと不安に思う私に啓太くんが、自分が送ろうかと提案した。
「しばらくの間、帰りは僕が聖羅さんを送るよ。」
彼の言葉に私が賛同すると聖羅も嬉しそうに頷いた。
「迷惑かけてごめんね。」
私が謝ると彼が、「迷惑だなんて思ってないよ。」と返した。
「これから帰りは啓太くんと一緒だ〜一人じゃない〜♪」
喜んだ聖羅が鼻歌を歌う。
「聖羅、啓太くんと一緒で嬉しい?」
私が尋ねると聖羅は大きく首を縦に振った。
「だって夜の道ってお化けが出そうで怖いんだもん‼︎お化けが出たら聖羅、怖くて一人で逃げられない‼︎でも啓太くんがいたら怖くないでしょう?」
聖羅の言葉に私達は笑った。
聖羅は人間よりも目に見えないものの方が恐いようだ。
「でもね、聖羅、前よりもお化けが怖くなくなったの。だってお化けがみんな、悪いものだって思わなくなったから。」
聖羅の言葉に、ふーん。と言いながら私は別のことを考えていた。
子供が危険に晒されない為に大人はどういった対策をするのだろうか…ということだ。
子供がいない私には今まで無関係で考えたことなどないことであった。その課題が突然、目の前に現れた。
聖羅の存在がありふれた友達から我が子のようなものへと変貌している。
きっと聖羅の中身が子供のままで私だけが成長しているからそう感じるのだ。
もしも聖羅の中身が大人へと成長していたら、私は昔のように彼女を嫉妬の対象として焦がれていたに違いない。
私よりも恵まれていて、愛されていて、美しい女性。
聖羅を殺めた記憶がなかったら今も彼女のものを欲しがっていただろう。
聖羅はそれだけ可愛くて、嫌味がなくて、全てを手にする権利がある。
でも私は、私には何もない。
何もないのだ。
私には聖羅が持ち合わせているものを何一つとして持ち合わせていない。
’’愛してるよ…’’
さっきまで頭の中にいた男の声は一体誰だったのだろうか。
単なる私の妄想だったのかもしれない。
本当に愛しているのなら私を迎えにきて。
「結衣ちゃん、手痛いの治った?」
聖羅が握っていた私の手を持ち上げて心配そうに尋ねた。
「もう大丈夫。」
私が頷いて答えると彼女が安堵の表情を浮かべる。
「良かった…」
暗闇の中で聖羅の顔が光っていた。




