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聖羅  作者: 水綺はく


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11/30

生きる意味

 「おかえり、結衣ちゃん。今日はいつもより遅かったね。」

 帰宅すると椅子に座って絵を描く聖羅が私を見て微笑んだ。

 「うん、ごめんね。今すぐご飯の用意するから。」

 冷蔵庫を開けて食材を取り出しながら答えると聖羅が私のそばへと駆け寄って顔を覗き込んだ。

 「結衣ちゃんの顔、なんだか赤い。具合悪いの?」

 アルコールで赤くなった私の頬を聖羅が優しく撫でる。

 彼女の澄んだ瞳で尋ねられると嘘はつけなかった。

 首を横に振って正直に、

 「実はね…さっきまでお酒を飲んでいたの。」と答えると聖羅は瞳をキラキラさせて、そうなんだぁ!と言った。

 「ねぇ、どこで飲んだの?今度は聖羅もそこに連れて行ってよ!!」

 咎める様子もなく懇願する彼女に安堵しながら私は頷く。

 頭の中でアルバイトの話を持ちかけるのなら今だ!と思った。

 食材を取り出すのを中断して冷蔵庫の扉をそっと閉めると、そばにいる聖羅と向き合った。

 三十分前まで繰り広げられていた会話を思い出しながら彼女に話し出す。

 「あのね、聖羅。私たちが再会した場所があるでしょう?あの日、聖羅がしゃがんでいた歩道の向かい側に小さな酒場があって…私、そこによく通っていたから、あの日もそこでお酒を飲んでいたの…」

 聖羅は私の目を見て静かに頷きながら話を聞いていた。

 それはまるで何かを悟っているかのような落ち着きようだった。

 「そのお店で働いている二人は夫婦ですごく親切で優しい人たちなの。それで聖羅の話をしたら、うちでアルバイトしてみないか?って言われて…」

 アルバイトと言うフレーズを聞いた聖羅が突如、目を見開いて私の手を握る。

 「アルバイト⁉︎聖羅にもアルバイトができるの⁉︎」

 私の手を両手で掴んだ彼女が嬉しそうに尋ねる。

 「うん。聖羅が望むのなら…」

 私が言いかけている途中で聖羅は何度も深く頷いて、

 「うん‼︎聖羅、アルバイトしてみたい‼︎」と叫んだ。

 「本当に?それはよかった…」

 聖羅の返答に安堵しながら由紀ちゃんと交わした約束を今しがた思い出した。

 「蝶々」で学校から帰ってきた由紀ちゃんにママがいきさつを話すと彼女はすぐに状況を理解してあっさりと聖羅に勉強を教える話を引き受けた。

 「本当にいいの?」と不安げに尋ねると由紀ちゃんはニッコリと笑って、もちろん‼︎と私に向かってピースサインをした。

 そして、「その代わり‼︎」と叫ぶとママの方を見て、「お願いします。新しい浴衣が欲しいです…二年前のやっすいオンボロの浴衣じゃなくて新品のめっっちゃ可愛い浴衣が欲しいです…」と合掌して懇願するように頭を下げた。

 ママは彼女の言葉に一瞬、えぇ‼︎と渋るような声を上げたが矢庭に、しょうがないわねぇ…と言って提案をのんだ。

 「やったぁ〜新しい浴衣だ‼︎」

 喜びでくるくると小さく回る由紀ちゃんの姿をママと眺めていると、ほんの一瞬だけ自分がこの家族の一員になったように錯覚した。

 この人たちは私の家にあった陰湿さが存在しない。

 暖かくて居心地が良くて、でも手を伸ばすのにはちょっと遠い光だ。

 私はその光を浴びることが出来るだけで嬉しかった。

 ちょっと物足りないけど十分に幸せだった。


 「嬉しいなぁ…聖羅、ずっと憧れていたアルバイトが出来るんだ…結衣ちゃんのお陰だね‼︎」

 嬉しそうに微笑む聖羅に胸を撫で下ろす一方で、私の心はまだ霧が晴れていなかった。

 聖羅のアルバイトをする目的が私との生活の為…というはとても危うく感じた。

 このまま二人で生活することも悪くはないが、果たしてそれは聖羅の為と言えるのだろうか?

 もしも聖羅が私のようになんの目的もなく、ただ生きる為だけに意味もなく働く人間になってしまったら…希望を失くしてあのガラス玉のように美しい瞳から光がなくなるのを想像するとゾッとした。

 聖羅に’’生きる意味’’を与えないと。

 そうしないと彼女はいつか消えて失くなってしまうのではないか。恐くて仕方がない。

 思考していると、ふとテーブル上にスケッチブックと色鉛筆が散乱していることに気がついた。

 スケッチブックにはドレスを着た女の子の絵が描かれていて、ドレスにオレンジ色が塗られていた。

 聖羅は私が「蝶々」でみんなと仲睦まじく話している間、一人で私の帰りを待ちながらひっそりと絵を描いていたのだ。

 私はばつが悪くて、罪悪感が生まれた。

 また罪悪感。私は聖羅といるといくつもの罪悪感が芽生えて増えていく。

 一度、生まれた罪は永遠に消えないのだ。そして日に日に大きくなっていく。

 テーブル上の絵を聖羅が片付けだした。

 その姿を静かに眺めていると急に霧が晴れるような”目的,,を思い出した。

 「そうだよ…聖羅…」

 聖羅に向かって呟くと彼女が振り返って訝しそうに小首を傾げた。

 そうだよ、聖羅。思い出した。私達には夢があったじゃない。

 「聖羅、私達が子供の時の夢、覚えてる?私は漫画家で聖羅はデザイナーを目指していた時のこと…」

 私が尋ねると聖羅は私を真っ直ぐ見据えてハッキリと、「覚えているよ。」と微笑んだ。

 私は聖羅のそばに寄るとオレンジの色鉛筆を握った彼女の手を掴んだ。

 「今から二人でその夢を叶えよう。聖羅がデザイナーになれるように私、頑張るから。」

 聖羅が夢を叶える。私がそれを支える。それが私達の目指すべき”幸せ”だ。

 聖羅の望みが叶うように、「二人で一緒にお金を貯めようね。」と言うと、聖羅は何故か憐れむような目で私を見た。

 それから力なく微笑んで、「結衣ちゃんがそれでいいなら…」と返した。

 いいに決まっているじゃないか。聖羅の幸せは私の幸せだ。聖羅は必ず私よりも幸福にならなければいけない存在なのだ。

 握る私の手からするりと抜けた聖羅はそのまま背を向けて淡々と後片付けを再開した。

 「結衣ちゃんは漫画家にならないの?」

 こちらを見ずに訊く聖羅に私は笑って、「ないない‼︎」と声を上げた。

 「もう長らく絵なんて描いてないから…」

 最後に描いたのは七歳の時だ。私の記憶が合っていれば聖羅が死んでから描けなくなった。

 でも目の前に聖羅が存在していることでこの記憶も正しいのか正しくないのか分からなってしまった。

 本当に記憶を失くしているのは誰なのだろう。

 「じゃあ、結衣ちゃんの夢はどんなものなの?」

 スケッチブックと色鉛筆をほとんど服の入っていないスカスカのクローゼットの中に聖羅が仕舞う。

 夢…私の望む幻想は……頭の中で浮かべようとすると、どこからか声が聞こえてきた。

 それは聞き覚えのある声だった。

 啓太くんよりも低くて、大人な声…名前は思い出せない。

 低く囁く声と甘い言葉だけが響く。

 (結衣、愛しているよ。僕の女神だ。たった一人の大切な人…)

 その瞬間、頭がズキズキと痛んだ。

 私はこめかみを抑えて唸り声を上げる。

 それに気づいた聖羅がそばに駆け寄って私の肩を抱いた。

 「結衣ちゃん、大丈夫?」

 聖羅が心配そうに私の顔を覗き込む。

 眉間に皺を寄せながら頷いて、彼女の顔を見ていると少しずつ頭の痛みが和らいだ。

 偏頭痛だろうか。こんなもの持っていなかったのに三十を手前にすると色々な症状が出てくるものだ。



 「はじめまして、竹内聖羅です!よろしくお願いします‼︎」

 満面の笑みで挨拶する聖羅を見てマスターとママの顔がほころんだ。

 「うわっ!すっごい美女が来たっ‼︎」

 二人の後ろから顔を出した由紀ちゃんが目を丸くして覗く。

 日曜日の昼間は聖羅とこの家族を引き合わせる為に天が見計らってくれたのかと思うほどの快晴だった。

 横開きドアを開けて「蝶々」の家族たちと顔を合わせた聖羅は嬉しそうにニコニコとしていた。

 マスターたちは彼女の笑顔を見るや否や温かい笑顔で彼女を受け入れた。

 「あら、まぁ…なんて綺麗な…」

 ママはそう言ったっきり言葉を失って聖羅の姿を黙って眺めていた。それはまるで初めて天使に出会った人間のようだった。

 「聖羅ちゃんさー、彼氏いるの⁉︎」

 出会ったばかりにも関わらず唐突に由紀ちゃんが尋ねてきた。

 「こらっ由紀‼︎初めて会った人にいきなり何てことを聞くの‼︎」

 すかさずママが由紀ちゃんを窘める。

 マスターは愉快そうにどっと笑って、「由紀は自分が恋愛とほど遠いからってしょうがないやつだなぁ〜」と揶揄した。

 ママと由紀ちゃんはその言葉に何も返さず静かだった。

 「これからよろしく。あとの詳しいことはママに聞いて。」

 そう言ってキッチンに入って仕込みの準備に掛かるマスターに聖羅は、はい!と元気よく返事してママと由紀ちゃんの方を見た。

 それから嬉しそうに微笑んで、「聖羅、このお家の雰囲気好き〜‼︎」と声を上げた。

 私はママから借りた啓太くんの傘を握りしめたままその様子をテレビ越しに観ている視聴者のように眺めていた。

 まるで傍観者だ。なんだか自分はここにいないような感覚になった。

 嬉しいはずなのに、ちょっとだけ寂しさを覚えた。

 嗚呼、ダメだ‼︎どうしてそんな感覚になるの⁉︎聖羅とママたちがすぐに打ち解けられたのだから素直に喜ばないと‼︎それが私の望んでいたことでしょう⁉︎

 自分にそう言い聞かせながら聖羅の横で笑顔をつくり続けた。

 まるで地蔵のように笑顔のまま固くなって聖羅たちの様子を眺めていた。

 すると後ろから扉の開く音が聞こえた。

 私と聖羅が一斉に振り返ると、目の前にイヤホンを耳にさしたまま俯く啓太くんの姿が映った。



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