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聖羅  作者: 水綺はく


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10/30

呼び寄せる者

 会社から自宅への帰路の最中に昔のことを思い出した。

 想起したのは聖羅が死んだ後の記憶だ。

 聖羅の死後も私は得意の狡猾さで周囲の同情を買った。

 幼い私は事情を聞く警察官に泣きながらこう訴えたのだ。

 「聖羅が…急に空を飛ぶって…見てって言って…‼︎」

 私は何も悪くない!悪いのは私じゃない!!

 そう思いたくて必死に身の潔白を証明しようと嘘を並べた。

 自分が飛び降りるように誘導したことは隠して全て聖羅の独断であると主張したのだ。

 「危ないからこっちに来なって…言った……」

 涙を流して訴える私の言葉を誰一人として疑わなかった。

 父と母ですら私の言葉を完璧に信じていた。

 母は弁解する私を抱きしめて耳元で囁いた。

 「結衣…可哀想に…でもママは結衣が生きていてくれて良かった。大丈夫、きっと聖羅ちゃんも分かってくれているから。天の上で結衣を見ながら慰めているはずよ。聖羅ちゃんはちゃんと……」

 ”結衣のことを見ているはずよ”

 見ている…?

 私はその言葉に戦慄した。

 聖羅は醜悪な嘘を並べた私のことを見ているの…⁉︎

 見ている…見ている…聖羅はわかっている…‼︎

 私が騙して殺したことを……‼︎‼︎

 あの日から私が天に祈りを捧げることは禁遏となった。

 私が私自身を戒めないといつか聖羅が激昂するのではないかと恐ろしかった。

 唯一無二の存在だった聖羅が怯える対象となって何度も悪夢にうなされた。

 それと同時にもう二度と彼女の笑顔が見れない寂しさで胸が押しつぶされそうだった。

 聖羅、会いたいよ。私はあなたに会って謝りたいの。

 どうか愚かな私を赦して。もう一度、私に笑い掛けてほしい。

 私はどこまでも身勝手なエゴイストだ。

 そんな人間が赦されるはずなどないのに…



 “なんだか短いなぁ…”

 部屋の真ん中で壁に掛かったカレンダーを眺める聖羅が放った独り言が何度も頭の中でこだまする。

 金曜日の夕方は月曜日から溜まった疲れを体に蓄積させて脚をパンパンに腫らす。その脚を黒パンプスの小さなヒールがギリギリの状態で支えて、コンクリートを蹴るたびにコツコツと音を鳴らした。

 どんよりと濁った空からは今にも雨が降りそうだ。

 あぁ…傘持ってくるの忘れちゃったなぁ…

 灰色の空をぼんやりと眺めながら歩いていると「蝶々」の前にたどり着いて思わず足を止めた。

 そういえばママに傘を借りたままだ。

 返さなければいけないのにすっかり忘れていた。

 聖羅が来てから店には一度も顔を出していなかった。

 二週間前の不思議な夜の出来事を思い出す。

 雨に濡れたまましゃがみ込む聖羅の大人びた顔とそれに反する幼い眼差し。

 あの日の記憶が遠い昔のことのように思えるほど時間があっという間に過ぎていく。

 今日も家には聖羅がいて、当たり前のように私の帰りを待っている。

 それはずっと一人だった私にとっては嬉しいことだった。

 ”おかえり”を聞いて、肌に触れて眠りにつく。

 たった二週間で私はもう一人では暮らせない身体になってしまった。

 暖簾の先ではガラス戸から温かな光りが見えて今日も宴が行われているのが想像出来た。

 でも今の私には帰りを待っている人がいる。

 二週間前まで通い詰めていた店だが、諦めて帰宅することにした。

 店を通り過ぎようと思い前を向いて歩き出した時、後ろから声が響いた。

 「寄らないんですか⁉︎」

 振り返ると数メートル先で白シャツにデニム姿の男がこっちを見て立っていた。

 「啓太くん…今、帰り?」

 通学時にいつも背負っている黒いリュックを一瞥して尋ねると彼が静かに頷く。

 「先週も来てないし…体調でも悪いのかと思ってました。」

 話しながらゆっくりと近づく啓太くんに慌てて否定する。

 「ううん、違うの‼︎体調は全然悪くないんだけど…」

 そうだ…傘だ‼︎確か二週間前にママから借りた傘は啓太くんのであった。

 きっと彼はそれを気にしているのだ。

 「…傘‼︎なくなっていたでしょ?あれ、私が勝手に借りちゃったの。ごめんね、なくなって困っていたでしょ。」

 私の目の前で足を止めた啓太くんがきょとんとした顔で見つめる。

 「いや、別に傘なんかはどうでもよくて…」

 言い淀んだ彼は私から視線を逸らした。

 それから一瞬、躊躇った後に、「中、入らないんですか?」と尋ねた。

 私は店に入りたい気持ちと聖羅が心配な気持ちがごちゃ混ぜになってぐずぐずする。

 その様子を見ていた啓太くんは私を見たまま店の扉を指して、「何か聞いてほしいことがあるのなら中に入って話してみたらどうですか?」と言った。

 話してみる…って一体どこから話せばいいのだろうか。

 私は日頃からたわいもない話や職場の愚痴程度なら散々、この店の人たちにこぼしてきたが、聖羅が関わる自分の過去については誰にも話したことがなかった。もしも話したら咎められて軽蔑されるのが容易に想像できて恐いのだ。

 でも今後の生活も含めて相談したい気持ちはある。

 ただ、この人たちに嫌われたくない。

 真っ直ぐに見据える啓太くんの澄んだ瞳を眺めて私はまた卑怯なことを考えていた。

 まだ私にも誰かに良いところだけを見せたいと言う感情が残っているなんて…

 困惑しながらも頷くと彼は安堵した表情で店の扉を開けた。

 彼が先に入ると中から客の笑い声と、おかえり‼︎と明朗な声で出迎えるママの声が聞こえた。

 私はその後について中へと入っていった。



 「その子、もしかして家出少女なんじゃないか⁇」

 私の話を聞いていた常連客の西澤さんが焼酎の入ったグラスを片手に尋ねる。

 「少女って…結衣ちゃんと二歳しか違わないのならもういい大人よ。自分がどこに住んでいたのかも思い出せないのなら本当に記憶障害なんじゃないかしら……」

 私の横でママが心配そうに頬に手を当てる。

 「どっちにしろこのままじゃその子も可哀想だろう。まずは警察に行って…」

 マスターの言葉にママが呆れた声を漏らす。

 「馬鹿ね…成人した女の人を連れていったって誰の連絡先も知らないんじゃ相手にしてもらえないわよ‼︎」

 「じゃあ、せめて病院に連れていって検査してもらってから民間の施設とかに頼んで…」

 「あの、私は!!……私は、聖羅が望むのならこのまま二人で暮らしていきたいなって思ってる。」

 マスターの言葉を遮るように自分の本音を打ち明けると、場が一瞬にして静まり返った。

 卓上でグラスに注がれた梅酒の氷が静かに崩れる音が響き渡る。

 「でも、一緒に暮らすのならお金が必要でしょ。」

 静かに口を開いたのは私から一つ空けた席に座る啓太くんだった。

 「暮らすか暮らさないかは両方が同じ考えなら問題ないけど、お金の問題は解決してない。その人にも自力で生活できるくらいの稼ぎがないと結衣さんの負担が大きすぎる。」

 彼の言っていることは正論であった。

 聖羅と暮らしたい気持ちはあっても、このままではいつか生活費が追いつかなくなっていく。

 そしたら聖羅の夢を叶えるどころの問題ではなくなってしまうだろう。

 「その人にうちでアルバイトしてもらおうよ、父さん。」

 突きつけられた現実に鬱々としていると再び啓太くんが意想外な提案をした。

 「アルバイトか…」

 「うん。母さんも最近、腰が痛いって言って代わりに人を雇おうか悩んでいたじゃん。」

 「確かにそうね…丁度、来週あたりに求人でも書こうかと思っていたところだし……ひとまず明日か明後日にでも顔合わせできるかしら?」

 あっという間に進んでいく話に私は慌てて制止する。

 「ちょっと待って‼︎すごくありがたい話なんですけど、聖羅の気持ちもあるし……何よりも聖羅はちょっと年齢の割に幼くて、足し算とか引き算も出来ないんです‼︎」

 私の言葉にママは驚いた声を上げる。

 「あらまあ、それは大変!!なら余計によそじゃ働けないんじゃないかしら。」

 確かにそうだ。身元不明で算数も出来ないうえに漢字も読めない謎の成人女性を雇い入れる職場など、ほとんどないに等しいだろう。

 こんな易しい話、他にはないはずだ。でも、恐い。もしもこの人たちに聖羅が受け入れられなかったら、その時は…聖羅だけではなくて私もここにいられなくなる。

 ここは私の唯一の居場所なのに…

 私はまたそうやって己の保身ばかりを不安視している。

 誰よりも聖羅を思いやっているようで本当は違うのだ。

 「それに、ほら‼︎勉強が出来ないのなら頼めばいいじゃない‼︎」

 アルバイトの話に乗り気なママが私に向かって前のめりに話す。

 「頼む…?」

 私が首を傾げると入口の扉が勢いよく開いた。

 「たっだいま〜‼︎可愛い娘が帰ってきたよーん‼︎」

 制服姿の由紀ちゃんがテンション高く中へと入ってくる。

 「自分で言うなよ。」

 そう言って啓太くんはマスターの作ったお茶漬けを食べ始めた。

 「そうだ、由紀!!丁度よかったわ〜あんたに適任の頼みが結衣ちゃんからあるのよ〜‼︎」

 満面の笑みを浮かべたママが由紀ちゃんを見る。

 「えぇ〜‼︎なになに⁉︎結衣ちゃんからの頼み事なんて初めてなんだけど〜‼︎」

 何故か嬉しそうな由紀ちゃんに私は困惑してママの顔を一瞥した。

 ママは笑顔のまま由紀ちゃんに向かって尋ねた。

 「由紀、あんたの将来の夢はなぁに?」

 すると彼女はママの言葉ににやりと笑って、

 「それはもちろん…小学校教諭でしょ!目指せ、大好きな子供たちと過ごす安泰な人生!!」と自信満々に声を上げた。

 ママはその言葉にこくりと頷くと私を一瞥して、

 「ほらね、これでひとまず解決よ。」と言った。



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