囚われの姫と科学者と
「和希、銃を下ろせ。それに銃弾は入っていない」
そう言ったのは、上座に座って困り眉の攫われた姫ことエアストその人。弾倉を確認していないどころかスライドを引いてすらいなかったことを恥じつつも、俺は言われた通りべレッタを下げて目で説明を求める。
男はエアストと俺とを交互に見ながら、対面に座るエアストに問うた。
「状況が飲み込めないんだが……エアスト、彼は君のボーイフレンドかい?」
「……友人だ。それについてはこれから話す」
「ああ、なるほど。大体読めたよ」
彼は白衣を靡かせながら立ち上がってこちらへ見る。白人らしい長身故、若干俺が見下されてしまっているのに居心地の悪さを覚え、視線はシャツの襟元に固定した。
「エアストの言う通りだ、銃はしまっておくれ。君が彼女の味方であるというのなら、僕は君の敵じゃない」
「……あなたは何者なんですか」
「見ての通り、しがないただの科学者さ。『クリス』でも先生でも博士でも好きなように呼んでくれ。少年、君の名前は?」
クリスと名乗る科学者は白縁眼鏡を人差し指でくいっと上げ、貼り付けたような笑みを浮かべた。
ここまで不審者を演じてまで尾行してきた相手に敵じゃないと言い張られて、俺はどんな顔をすればいいすればいいのか。にわかに信じ難いことだが、エアストが何事もなく会話を済ませていたとのことなので、ひとまずはこの敵意を収めるべきかと判断した。
「……米石和希です」
「米石君か。わかった、よろしく頼むよ。さ、暑いコートは脱いで寛ぐといい」
「はあ……」
付け足すかのようにクリスは握手を求めてきたが、どっと疲れの押し寄せてきた俺はそれどころではなく、横を通過して奥のエアストの前に立った。
「……エアスト。説明してくれ」
「黙って出たことについては心配をかけた。申し訳ない」
「その様子だと、僕のことは伝えてなかったようだね」
「これから話すが、和希は追われる身だ。敵がどこに情報網を張っているのかわからない今、下手に所在が知られるのはまずい。今日はお前が信頼に足るかを確かめに来たんだ」
「酷いなぁ。まるで僕のことを疑っているかのように」
「私は科学者を信用していない」
エアストにきっと睨めつけられ、クリスはおお怖い怖いと大袈裟にリアクションしながら肩を竦める。敵ではないと言ったが、やはりと言うか何と言うか、エアストの振る舞いは友好的には見えなかった。その飄々とした態度は、誠実で真面目そのもののエアストとの相性を考えるとお世辞にも良いとは言えない。彼が何者であれ、恐らく彼女のあたりは変わらないだろう。
「……迷惑をかけた。本当に申し訳ない」
俺の格好と行動から成し遂げようとしていたことを察したらしく、エアストは後ろめたそうに頭を下げた。
「いや、俺の方こそ余計なことをしたみたいでごめん。判断が甘すぎた。脅されてついて行っているものだとばかり」
「脅し? 私がそんなこと――」
「するような奴だろ、エアストは。自分ならともかく、俺の情報を天秤に掛けられればな」
「……返す言葉もない。次からは一報入れる」
「なるほど、なるほど。突然銃を向けられた時は何事かと思ったけど、僕が悪人だと思って助けに来たってわけか。エアスト、いい友人を持ったじゃないか。とても初めての友人とは思えない、最高だね」
「お前は黙っていろ。余計な口を利くな」
互いの行き違いを消化して、クリスには冷たいエアストを横目にほっと胸を撫で下ろした。
俺が警戒しながらつけてきた相手は、エアストが次の協力者の候補とした者だった。彼女はクリスと名乗る協力者候補を信用しておらず、一旦は俺の存在を伏せて交渉に出ることにした。
しかし、疑問なのは彼の方からエアストの家を訪ねてきたことだが――、
「ま、そんなに警戒しなくても大丈夫さ。僕は彼女の保護者みたいなものだ。最近彼女が顔を見せに来ないから、何かあったのかとこっちから出向いたってわけ。君たちの関係に横入りするつもりもないよ」
当の本人は掴みどころのない態度でそう語り、俺の横に座るエアストにまた睨みつけられている。どうやらふたりは前々からの知り合いらしく、信頼関係はともかくとして互いに敵視していないことは明らかだった。
壁に掛けられた時計を見上げると、そろそろおやつ時だ。とりあえず当事者の俺を含めてメンバーが揃ったということで、エアストが予定していたであろう交渉を切り出そうとすると。
「エアスト。客人もいるのに何も差し出さずに話をするわけにはいかない。飲み物でも買ってきてくれないかい?」
「……そのくらい置いておけばいいものを」
「今朝の分でティーバッグを切らしてしまってね。ちょうどいい時間だから、ケーキを合わせてもいいだろう。代金は後で払うよ」
「……行ってくる」
エアストは立ち上がり、財布の小銭を軽く確認してため息をついた。そして扉の前に立ち止まり、クリスではなくあくまで俺の方へ軽く会釈をしてから外へ出て行った。俺も会釈し返して彼女を見送り、初対面の科学者とふたり取り残される。
エアストが俺のもとを離れたということは、警戒すべき相手ではないということは真実なのだろうが……いまいち信用しきれないのも確かだった。
「さて、ふたりきりになってしまったわけだが。今回集まった件に関してはエアストが話してくれるだろうから、別の話題を見つけなければいけないね」
「話題の切り出し方としては最悪ですね」
「それについてはどうか許して欲しい。知識を持つ者は多くのことを伝えようとするあまり、かえってコミュニケーションの方法を誤ることが多い。日本の老害と揶揄される高齢者の方々もそういったケースだ。それは僕も同じであると認めるわけではないけれど、否定するにも判断材料が不十分なのが悲しいところかな」
「そういうところだと思いますけどね」
独りでに辛辣な言葉が口をついて出てしまい、俺ってそんなに他人に影響されやすいタイプだっただろうかという小さな疑問が生まれる。コミュニケーションが得意ではないとはいえ、初対面にしては不躾が過ぎたかとクリスの顔を見るが、彼はエアストを相手にしている時と同じようにわざとらしく笑うだけだった。
「冗談はさておきだ。少し昔話をしようじゃないか」
「唐突すぎませんかね。まずお互いの自己紹介から始まるものじゃないですか。昔話とか言われても俺たち初対面ですけど」
「いいから聞きたまえ。ためになる話だ。昔と言っても、ほんの数年前の話だけれどね」
クリスは大振りに手を広げて俺の提案を遮る。背丈に負けず無駄に大きい態度を見せつけ、彼はそのまま話を続けた。
「イングランドに類い稀な才能を持つ遺伝学者がいた。彼は飛び級で大学へ入り、君くらいの歳で博士課程を修了するほどの鬼才だった。成人を迎えることすら待たずに数々の研究論文を発表し、一躍科学の世界に名を轟かせる有名人となった」
彼の昔話とやらの第一の登場人物はいきなり名も知らぬ他人だ。初対面なのだから共通の知人という線はもとよりないにしても、話の始まり方からして強引すぎるのは言うまでもない。
その科学者が今の俺たちとどんな関係があるのか。速やかに質問を投げかけようとした時、先手を打ったのは彼の方だった。
「時に米石君、君は『超能力』を信じるかい?」
人差し指を立てて如何にも重要な話であるかのように問い掛けられるが、尚のこと前後の話の関連性が見い出せず困惑する。とうに真面目に話を聞き入れる気が失せていた俺は、記憶の中をそうそう日常で使わないその単語で検索して、適当に答えておくことにした。
「念力でスプーンを曲げるだとか、動物と会話するとかいうのはテレビで見たことありますけど、全部やらせだと思ってますね。超能力は異能バトル系の作品で十分です」
「その通りだ、テレビに取り上げられるのはやらせばかりだからね。それほどにもし現実に存在していればという夢を見せてくれる、超能力というロマンは架空の作品の題材にうってつけだ。君の認識は一般的に正しい」
「で、超能力とさっきの科学者にどう関係が?」
「焦るんじゃない、話は始まったばかりだよ。……信じられないことにだ。『超能力』っていうのは実在したのさ。それを、彼は証明した」
彼は言葉に重みを持たせて言い、モデルのように長い脚を組んだ。
超能力は科学で証明できないから超能力とされているのに、そんな嘘八百が通じるとでも思っているのか。それが最初に抱いた感想だ。研究室にこもりっぱなしで頭のネジが外れたんじゃないかと冷ややかな視線を送ろうが、彼は現実離れした話をやめようとはしない。
「彼はたちまち超能力の魅力に取り憑かれた。研究というものはどの分野においても共通して未知の探究だ。自らの探究心の赴くままに研究を続けてきた彼は、世間一般的に信じられていない超能力の存在を確信するや否や、それを人為的に発現させられないかという研究に舵を切ったんだ。馬鹿げた話だろう?」
「……まあ、本当だとするなら相当な馬鹿ですね。そもそも、どうやって実在するだなんて確信したんですか」
「彼の身内にいたのさ。彼がその人生で蓄えてきた膨大な知識を以てしても証明のしようがない、本物の超能力者が」
政治家と科学者はすぐ嘘をつく。身を以て体験した俺は、呆れながらため息をついた。
超能力が実在したらどうなるか。それはもうテレビにニュースに引っ張りだこだろうし、世界的に知れ渡っているはずだ。虚しいことに、そんな噂が流れてきた試しは微塵にもない。
俺だって電気を操って攻撃したりだとか、特殊な右手で相手の超能力をかき消したりだとか、そういう妄想をしたことくらいはある。だがもしそんな能力が実在してしまうとなると……それこそ異能バトル小説みたいな世界になりかねないのではないか。できれば、そんな現実と妄想の区別がつかなくなる世界にはなって欲しくない。
「超能力の魅力は彼を狂わせた。世界中の科学者が慕っていた彼はもうそこにはいなかった。確かに憧れはするけど、超能力なんて所詮フィクションめいた存在なんだよ。一体どんな野望が彼を変えてしまったのかわからない。彼は、研究のためならどんな犠牲も厭わない――例えば幼い少女を被検体にすることすら躊躇わない、冷酷非道な人間へと変わり果ててしまったのさ」
「そんな前代未聞な研究が行われているんなら、どうしてどこのニュースにも載ってないんですか」
「まだ公にはなっていないからね。彼ほどの権力者であれば、情報統制なんて容易いことだ」
なら、何故目の前にいる科学者がその話を。
「つまり、何が言いたいんですか。まさかとは思いますけど、盛大な前置きをした自己紹介ではないですよね」
「はは、それは面白い話だね」
「……あなたは何者なんですか」
「言っただろう。僕はただのしがない科学者さ」
質問には答えず、肯定も否定もせず、ただただ彼は不敵に笑う。
エアストが彼を苦手としている理由もこれで心底理解した。どうして俺に見知らぬ科学者の話を聞かせたのかも、その上で俺に何を求めているのかも、彼の考えていることは何ひとつ読めない。IQが高い人とは話が通じないとはよく言った通り、あまりに掴みどころがなさすぎるのだ。
長い昔話とやらは完結したもののこれ以上返せる言葉はなく、思考を放棄して今の話に対する感想文でも書かされたら嫌だなとか小学生並みの感想を抱いていると――ガチャリ。
「……何の話をしている」
扉が内側に開き、ひょっこりとエアストが首を出してきた。その右手には、小さなコンビニのレジ袋が提げられている。
「いやあ、科学というものは如何に素晴らしいものなのか、ちょびっとね」
「常人に通じる話じゃないだろうに。……和希も困惑してるだろう」
「反省するよ。次はもっとわかりやすい分野から行こう」
「和希にお前の話なんかを聞いている余裕はない。控えろ」
「そこまで言わなくていいじゃないか。勉強にはなる話だよ。それとも、米石君を取られるのがそんなに気に入らない?」
「いい加減口を慎め。無駄に発達した脳味噌でも一発貰わないとわからないのか?」
エアストが空いた左手で握り拳を作って見せると、クリスは引き攣った笑いを見せながら両手を軽く上げた。
それを降参と受け取った彼女は睨みを利かせながら彼の横を通り過ぎ、俺の座るソファの横へ来るとレジ袋の中身をテーブルに並べた。
「……これ、口に合えばいいけれど」
差し出されたのは、割高で買う機会はないけれど食べると美味いコンビニのチョコレートケーキと、千葉県民のソウルドリンクことマッ缶のセット。この組み合わせを甘ったるいだとか諄いだとかほざく人はその生き様こそが甘い。まずはたった数日間で俺の味の好みを分析し、この黄金ペアという結論を見出したエアストに心からの拍手を。
「エアスト……あんた天才だよ」
「なら良かった。甘いものなら好きだと思ったから」
「エアスト、僕の分は?」
「お前はこれだ」
クリスの前には、見向きもせず乱雑にナチュラルミネラルウォーターのペットボトルが置かれる。ここまで扱いが雑だと嫌がらせにお汁粉缶でも買ってくるんじゃないかとヒヤヒヤしていたが、彼女の中でも人付き合いとしての最低ラインは弁えているようだった。
当の本人も最後にレジ袋から最後のマッ缶を取り出して俺の横に腰掛ける。それを開けて少し口に含むと、暴力的なまでの練乳の甘ったるさに慣れていなかったのかその姿勢のまま固まってしまった。
マッ缶は原材料が加糖練乳、砂糖の次にやっとコーヒーが続くような悪魔の飲み物だ。ブラック党がコーヒーという名前につられて飲むと百パーセント後悔する。カフェオレでもここまでしないだろと文句を言いたくもなるほどのこいつは、俺たち甘党にとってはこの体を流れる血に等しい存在なのだ。
そしてここにまたひとり、動き出したかと思えばそれを一気に喉に流し込むほどの、素質のある甘党が誕生することとなった。
「さて、三人揃ったところでいよいよ本題に参ろうか」
扱いに慣れているのか天然水どころでは愚痴のひとつも零さないクリスが、腕を組みながら切り出した。それに続いて、俺とエアストの目つきも真剣なものに変わる。
「改めて、僕はクリス。このオフィスに寝泊まりしている科学者だ。とは言っても、今はそれといった研究もしていないから無職のようなものだけれどね。本人から聞いているかは知らないけど、エアストはちょっとわけありなもんで、仕方なく面倒を見たりもしている」
「わけありとは何だ」
「そのままの意味だよ。脚に銃創作って帰ってくるような娘が普通なわけないでしょ」
「……気付いていたのか」
「歩き方と姿勢を見ればわかる。これも初めてじゃないしね」
確かに、暴力団と繋がりがあったり拳銃を隠し持っているような子が普通じゃないということには同意せざるを得ない。
それはさておき、俺すら今クリスの口から出るまで忘れていたくらいには平気そうにしていたというのに、ジーンズに隠された傷を彼は物珍しくもなさそうに指摘して見せた。初めてじゃないだとか、そんなことが頻繁にあっても困りものどころの話ではないのに、特にその事実は気に留めずに彼は続けた。
「で、エアストはこんな僕を初めて頼ってくれたわけだけれど……きっと只事じゃないんだとは覚悟しておくよ」
「それは……そうだな」
元はと言えば俺のせいなんだけど。話が始まった時点で既に機会を逃してはいたが、そう考えるとますます美味しそうなチョコレートケーキにフォークが伸びなくなる。
「和希は身柄を狙われている。しかも、敵勢力はひとつじゃない。片方は暴力団、もう片方は……わからない。わかっているのは、表沙汰にすべき相手ではないということだ。とにかく、安全な居場所と、敵への対抗手段が欲しい」
「で、僕ほどの名の知れたエリートともなれば、裏社会的なあれこれに助けを求めることもできるんじゃないかって?」
「……申し訳ない」
脚を組み替え、顎に手を当てながら考える素振りを見せているのは、嘘か真か判断しかねる科学者の昔話を拾ってくるような男だ。世話を焼いているという話のエアストでさえ暴力団とコンタクトを取れたのだから、彼はもっと広い人脈を持っているに違いない。
であれば何故最初から頼らなかったのかという疑問は残るが……何となく見えてきた性格以外にも、そうしたくない理由があったのだろう。一般人から足を踏み出したくない俺は、底知れない闇には深入りしないに尽きる。
「不可能ではないけれど、こちらの世界には変わり者が多い。簡単な問題でないのもまた事実……ただし、エアストの頼みとあれば断るわけにはいかないね」
「恩に着る」
「……ありがとうございます」
予想以上にあっさりと了承されてしまい、マッ缶へ伸ばしかけていた手を引っ込めながら変わり者代表に頭を下げる。エアストも剣呑な表情を一旦解いて、大人しく一言の礼を述べた。
「その、追われているという話だが。君たちの拠点は安全なのかい?」
「ヤクザの方はわからないが、もう片方はかなりのやり手だ。和希の個人情報まで掴んでいるらしい。それだけの情報収集能力がある相手となると、見つかるのも時間の問題だと考えてる」
「となれば、まずは安全圏の確保から始めないといけないね。思い切って県外に逃げるのも手だが……米石君、君は学生かな?」
「そりゃまあ……普通に高校生やってますね」
「そうか。連休が終われば学業に響くだけでなく、休む理由を無理に捏造することで後で自分の首を絞めかねない。何より同居人に嘘を突き通そうものなら表沙汰になるのは避けられない上に、相手に情報を拾われるリスクまで生まれるわけだ。時間は限られてくるな……」
彼が黙り込むと、秒針が時を刻む音と、カラスの縄張り争いの声だけが残る。
つい数分前までのおちゃらけた態度からは打って変わり、妙に親身になってくれているようで、彼のことを何も知らずに強く当たっていたのが申し訳なくなる。
ああ、わかっている。彼は俺たちとは違って、自分の力で生きている大人だ。それも科学者という一般人には想像できない世界に身を置くほど博学で、現実にエアストの保護者だとか言っていたから、他人の面倒を見る余裕まであるできた人間なのだ。
彼を頼れば、助かる希望はある。そのためなら、学校を休む口実くらいいくらでも考えよう。母親には……下手に隠すよりは打ち明けて協力してもらう方が安全な気さえしている。
俺は顔を上げると、もう一度彼の顔を見た。切れ長の目は、ふざけている時よりも真剣な表情の方がずっと似合っている。
視線に気付いたクリスは、もう一唸りしてから白縁の眼鏡を外し、取り出した眼鏡拭きでレンズを拭き始める。こちら側ではエアストも彼の発言を噛み砕いた上で対策を考えてくれているらしいが、次に口を開くのは彼の方が早かった。
「ひとまず、隠れ場所を提供してくれないか知り合いを当たってみよう。いずれはこちらから反撃を仕掛ける必要があるだろうけれど、相手の素性が知れないのだから現段階では無謀だ。あるいは、相手が求めるものを交渉で持ちかけて平和的に解決させられるかだけれど……」
「暴力団の方で無理が生じるだろうな。あいつらはもう一方を倒すことを目標に掲げている。少なくともその敵を消せる何かが得られるまでは引き下がらない。消すものと考えるなら……まずそいつらとの交渉は成立しない」
「どうして複数勢力を敵に回しちゃったのさ。君が賢いことは誰より知っているつもりだ、どちらかについていれば漁夫の利を狙えたでしょ」
「……それは……」
「ま、まあ成り行きで色々あったんですよ」
突如として返答に窮したエアストを庇うように、言葉に含みを持たせて誤魔化しに入る。そういえば、エアストが求めていた情報の話も聞き損ねていたが、クリスはそれを知っているのだろうか。いや、知っていればエアストはここで言い渋りはしないはずだ。後で、またふたりの時に訊けるよう覚えておくことにしよう。
「ま、事情は大まかには掴めたよ。ちょうど仕事もなくて暇だったところだし、できる限り手を尽くすと誓おう」
「本当にありがとうございます。あの、お礼とかは絶対いつかしますんで、払える範囲で」
「いいよいいよ、大体金なんて有り余ってる。もっと別のものがいいね。代わりと言っちゃなんだけど、そう、例えば研究対象として身体を差し出すとかはどう?」
「クリス。冗談でも言っていいことと悪いことがあると思うが」
「ごめんごめん。反省してるよ、もう言わない」
本日何度目かのガンを飛ばされた彼はまた降参のポーズを取る。そしてミネラルウォーターのペットボトルを開けて一口飲むと、組まれた脚を解いて話の終わりを促した。
「動いてみないことには始まらない。あえてこっちが動いて、相手を誘き出すのもありかもしれないね。そのためにも、安全な場所の確保が先決だ」
「わかった。それに関してはお前に頼ることしかできないが……私も和希を助けたい。何か思いつくようなら是非共有して欲しい」
「勿論さ。久々に目標ができて腕が鳴るよ、僕は」
本人の返答を待たずして、米石和希救出大作戦は進んでいく。
自分の身に危機が迫っているとして、身を挺して救ってくれる友人がこれまでいただろうか。組織を相手取ったのは初めてだから比較対象にはならないかもしれないが、これほどにまで他人が頼もしく感じたのは生まれてこの方初めてだ。
そうして第一歩はクリスに預けることに決まり、やっとマッ缶に手を伸ばそうかと思った――そのだった。
「そうですねー。もし逃げられたら、の話ですけど」
瞬間、空気が凍った。
嘲弄するのは若い女の声だ。
部屋の中に、人の気配なんて感じなかった。エアストが帰ってきた時を除いて、扉が開かれることもなかったはずだ。
一体いつの間に、誰が。
もうひとつ、信じられないことに気が付いた。
この件に関わっている人物の中に、エアスト以外の女性はいない。だから、今耳に飛び込んできた声の主は、正真正銘まだ出会っていない未知の人物のはずなのだ。
そのはずなのに。
――俺は、この声を知っている。
「なんか見覚えのある顔だなって思ってついてきちゃいました。それに、ずっとそこの人を追いかけてて不審だったんですもん。そしたらもうドンピシャ。尾行はもっと上手くやるものですよ、米石和希さん」
ドアを背にするエアストと同じか少し低いくらいの身の丈、綺麗に切り揃えられた前髪と肩まで伸ばした後ろ髪で成り立つ紺色のボブヘア。オフショルダーのブラウスに脚を大きく見せるショートデニムを身につけ、大きな茶色の瞳を鋭く光らせているその人物は。
「私は白峰静。あなたを捕まえに来ました」