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黒羽根導くその未来  作者: 霜山美月
第1話 望まずして手に入れたもの
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現実についていくのも精一杯

週一投稿に切り替える可能性

 女性免疫があるわけではないと言ったのも微々たる強がりで、実際にはないと断言した方が正確なのかもしれない。

 周囲の環境はと言えば、母子家庭で姉がふたり。ただし姉はそれぞれ七つと十六ほど歳が離れていて兄弟らしい実感がないし、長女は家庭持ち、次女は連絡もつかず行方不明でどちらも高校入学前から別居している。幼少期はよく虐めてきていた次女に至ってはもう何年も会話を交わしていない赤の他人で、生きているのかさえ心配になってくる。


 小学校に入ってからも姉の影響か異性に対する苦手意識が強く、義務教育も終盤に差し掛かるまで恋愛はおろか交友関係すら避けてきた。顔は姉に似て中性的、背も高校生男子の平均には届かず、運動が特別得意なわけでもないの三点セットで男性的魅力はたかが知れているので、こちらからアプローチをかけない限り話しかけられることもない完璧な非モテが完成する。

 同性の友人が少なかったわけではない。勿論、クラスの中心に立つ運動部たちとは相容れない存在だ。彼らのようにクラスの男子みんな友達だなんて薄ら寒い冗談は勘弁だが、それでもよく遊ぶ友人はそれなりにいた。


 それだけで満足だった。それがずっと続けばいいと思っていた。ずっと続くものだと思っていた。

 中学三年生に上がった日、ある女と関わるまでは。


「……ん」


 深い眠りの底から浮上し、この天井を見上げるのは人生二度目になる。今日も今日とてすっきりした目覚めだった。

 休日の朝というものは、通常であれば憂鬱さの滲むものだ。やりたいと思っていたことが何もできずに土曜日を浪費し、残る日曜日は平日へ向けて心身を休めるべく惰眠を貪ることしかできない。そうして毎週趣味に打ち込む余裕もなく過ごしていれば、いつしか高校二年の春を迎えていた。


 だがしかし、今日に関しては例外である。

 何を隠そう、サービス業の方々を除く日本国民誰もが待ち遠しく感じていた大型連休ことゴールデンウィーク、今日がその二日目だ。

 しかも、今年のゴールデンウィークは異例も異例。本来であれば、三連休、平日を三日挟んでまた四連休の如何にも中途半端で釈然としない休暇になったところだが、今年、更に言えば明後日には天皇陛下の即位礼正殿の儀が執り行われる。

 来る五月一日は即位の日、即ち新元号・令和の記念すべき一日目となり、前後の平日が祝日に挟まれるため、それらもすべて祝日法に則って国民の祝日となるのだ。

 最終的に出来上がるのは前代未聞の十連休。その前半すら終えていないのだと改めて認識した朝、俺はいつもより遥かに晴れやかな気持ちだった。


 ……まあ、ここまで気持ちを軽くしたつもりでいられるのも、目の前の問題から目を逸らしているからに過ぎない。他人の力に縋っているのも事実だから、いつも通り怠惰でいるのは許されないのだ。

 今日こそ……やっぱり明日から……いや、今からでも動き出さねばならない。


 そうハリボテの決意を塗り固めて起き上がった、その先に。


「…………ぁ」

「…………えッ」


 困惑の色の滲んだ赤い瞳と目が合う。……だけならよかったのに。


 視線の先、脱衣場に立つエアストは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 昨日一日一緒に過ごしてわかった通り、彼女はまるでモデルかのような無駄のないスレンダー体型だ。あの喧嘩の腕から推測して、筋力的にも申し分ないと見える。

 細く靱やかで、それでいてどこか柔らかさを感じさせる美少女の肉体が、今まさに布一枚越しにこの視界に捉えられている、これこそ夢を疑う状況。脳内でシミュレーションしたこともないシチュエーションに思考がフリーズし、昨夜にコートのポケットからとんでもないブツを取り出した時とはまた違った意味で冷や汗が止まらない。


 落ち着け、落ち着くんだ俺。そうだ、こういう時は素数を数えればいいととある漫画の人物が言っていた。よし、2、3、5、7、11、13……違う、そうじゃない! 今は冷静さを取り戻すことより、いち早くこの場を脱しないと……!


「すみませんでしたッ!」


 声も出ず、今にでも泣き出しそうなほどに顔を紅潮させるエアストの表情を見て我に返り、中学時代に習得した首跳ね起きを若干失敗して首を痛めながらも狭い玄関へ飛び出した。建てつけのよくない扉を後ろ手に全力で閉め、目を瞑り両耳を塞ぎながらその場にへたり込む。

 二日連続、これは到底許されるべき行為ではない。出会って間もない美少女をベッドに押し倒したその翌日には、火照ったバスタオル姿に出くわすときた。まるでラノベ主人公そのものじゃないか。

 台所のすぐ横に直結している浴室は脱衣場すらないため、居間との間を仕切るものは何もない。とはいえ、物音がしていたなら気付くことくらいはできていたはずだ、寝惚けてさえいなければ。


 実に数秒かけてしっかり脳裏に焼き付いた白と肌色の映像は、いくら別のことを考えようとしても瞼に浮かんで離れようとしない。気を紛らわす方法が何かあるわけでもなく、これまでに見た刑事ドラマの記憶から昨日の土下座を上回る謝罪方法について模索していると、背を合わせていた扉がひとりでに開いた。

 20センチほどの隙間からこちらを覗き込んでいるのは、着替え終えたらしい可哀想なセクハラ被害者のエアストその人。死刑判決待ちの被告人・米石和希を見下ろすその表情がほんのり赤みを帯びているようにも見えるのは風呂上がりだ、そういうことにして記憶の消去を試みた。


「…………」

「……あ、あの、本当にわざとじゃなくて、不可抗力で」

「……いい。私も、朝から風呂に入るとは伝えていなかったから」

「にしても、タイミング良すぎというか、疑われても仕方ないというか」

「和希は疑って欲しいのか?」


 光の差し込まない薄暗い玄関の中で、彼女の深紅の瞳に睨めつけられる。当然のことながら、大層ご立腹のようだった。

 女性はよく男性の理解できない原因に対して怒りがちと聞くが、今回の件に関しては擁護しようもなく俺に非がある。しかし、自己弁護するのであれば意図的でないのは事実なのだから、減刑くらいは申し出てもいいのか否か、彼女の言葉を受けて揺れていた。


「……本当、昨日今日と続けてすみませんでした」

「き、昨日のことは掘り返さなくていいから!」

「うえっ」


 言い淀みながら一際大きな声を放ったエアストは、それほどに忘れたい記憶を刺激されて焦ったかのような様子で勢いよくドアを引く。それに体重を預けていた俺もつられて後ろへ転がり込み、フローリングから彼女を見上げる体勢になってしまった。


「……私にも非はあるけど。次から、気を付けてくれればいいから」

「は、はい」


 エアストは視線を逸らしがちにそう呟く。ラノベ主人公ならもう二回は顔の傷が増えていてもおかしくないのに、またもや許しが確定してしまった瞬間だった。

 本を正せば初めて出会った時から勘づいてはいたが、彼女はあまりに優しすぎる。俺が今のところ平穏に……とは言い難いものの、健康的に朝を迎えられているのはエアストのおかげだし、彼女のような人物ともっと早く知り合えていれば、俺の人生もこれほと空虚にならずに済んだのではないかと疑うほどだ。

 ただ、彼女はある意味で鈍感な一面も持ち合わせている。こうして裸体を見られるのには強い抵抗があるとはいえ、昨日の事件の発端は、彼女が隣に腰かけるよう目配せしてきたこととも推測できる。こっちは健全な男子高校生なんだ、度重なる罪の裏で異性として意識せざるを得なくなっている今、過度な距離感の詰め寄りは毒にしかならない。そんな意思を少しは汲み取って突き放してくれれば楽になれるのに、こうして危機感も持たずに近寄ってくるから。


「……エアストも、気を付けてよ」

「……何?」

「何でも」


 俺は首を横に向けながら投げやりに言い、床に手をついて起き上がった。

 白、肌色と続いて記憶に刻み込まれた艶やかな黒色は、しばらく忘れることはできないだろう。

 口調が中性的で態度も男前とすら感じるエアストだが、スカート姿は想像以上に似合っていた。




 長閑な昼過ぎ、そろそろ西日が差し込み始めるかという頃。

 相変わらず現実逃避に尽力する俺は、許可を得てエアストの本棚を漁り、おすすめのシリーズものを数巻にわたり読破していた。


 ライトノベルのような著名イラストレーターの美少女イラストこそないが、実際に読んでみれば飽きの来ない物語の情景が次から次へと浮かんでくる。エアストの言葉に違わず、父親の影響もあってなんとなく忌避していたそれはなかなかどうして面白い。文中の難解な表現方法に相見える度、本棚に紛れ込んでいた国語辞典で引きながら知識として吸収する読書もまた乙なものだった。


 しかし不満があるとすれば、やはりエアストと同意見で物語の展開が強引すぎる。よく知るラノベであれば序盤のインパクトでどれだけ読者層を獲得できるのかが重要なので、案外これくらい型破りな方が人気は得られるのかもしれない。それにしても、作中特有の用語が次から次へと羅列され、登場人物も阿吽の呼吸で急展開に追随していく様は、必死に読者を引き離しているようにしか思えない。

 総合して見るなら、伏線は巧みで登場人物の魅力も伝わってくるから面白いのは確かなのだけれど。結局異能がどういうもので自分はどういう立場に置かれているのか、この主人公は理解できているのだろうか。そんな点が気がかりで仕方なかった。


 そうして読み進めながら一風変わった比喩表現に首を捻っていると、玄関のドアの音がこの部屋の主の帰還を告げる。その右手には、俺のものより数世代新しいスマホが握られていた。そういえば、彼女が一度部屋を出ていったのも、そのスマホのデフォルトの着信音が鳴り始めたためだった。


「電話?」

「ああ」


 短く答えると、エアストは昨日の出来事を警戒してか距離を取り、壁にもたれ掛かるようにしてベッドに腰掛ける。

 そして、スマホの画面を見つめながら、こう続けた。


「協力者の目処が立った」

「……え?」


 驚きに言葉を詰まらせる。

 望んでいた類の言葉ではあった。何せ彼女曰く警察も頼れないとのことなのだから、他にどんな人に縋ろうと言うのか甚だ疑問ではあるが、助けてくれるのであれば文句を言える立場ではない。彼女自身素性の知れない人物なので、そういった公には言えない繋がりである可能性もあるかもしれない。


「どんな人なんだ?」

「……会ってみればわかるよ」


 エアストはこちらに目も向けずに返すと、スマホを脇に置いてベッドに倒れ込んだ。

 言葉を濁された俺はまた問い直すのも躊躇い、途中だった文庫本の、栞の挟んでいたページを開く。


 思い返してみると、解決策を考えようと宣言してこの家に居座っているのに、俺は何ひとつ案を出すことはできなかった。そんな見ず知らずの俺を慮ってツテを見つけてきてくれた彼女に、俺はどうお礼すればいいのだろうか。


 この人生、他人の世話になったことこそ星の数ほどあるが、命の恩人ともなれば恐らくその限りではない。そんな相手に伝えるべき言葉を求めて文庫本のページをペラペラ捲りながら台詞を流し読みしていると。


「……ごめん」


 静まり返った部屋に、消え入りそうな一言の謝罪が響く。

 無意識に俺から切り出してしまったのかと錯覚する言葉に振り向くが、反対の壁側を向いている当人の表情までは見えない。


「何が」

「それは……色々と。この家も狭いから不自由させたし」

「どこがだよ、家賃のコスパ考えると住みやすい物件だろ。むしろこっちの方が助けてもらってるんだから感謝してるよ」

「……その、軟禁状態のようにもなっているし」

「元々引きこもりだから心配には及ばない。それに、さっきの協力者の件が通れば自由になれるんだろ? そしたら今度は友人として遊びに来れれば……ってのはさすがに烏滸がましいか」


 妙に歯切れの悪いエアストは、何を迷っているのがすぐに返事はしてくれなかった。

 いまいち元気のない彼女の様子に疑問を抱きつつも、スマートな流れでお礼の一言を伝えられたことに一旦満足した俺は再び視線を手元の文庫本に戻そうとする、が。


「お人好しだな、和希は」


 上半身を起こしたエアストが、こちらを見てどこか悲しそうに微笑む。


「……初対面の人を救うあんたほどじゃないよ」

「私は……どうだろうな」


 未来は明るいはずなのに、どうして悲痛な面持ちをしているのだろう。

 その選択に何か心残りでもあるのか、と余計な詮索を始めてしまう。

 予想される最悪のケースとしては――俺を救うために、彼女自身が代償を払っている可能性か。彼女なら実行に移しかねないが、生憎俺はそこまで手を尽くされるほど価値のある人間じゃない。それは杞憂だと願いつつ暗に聞き出そうとると、俺の言葉を遮るようにエアストは立ち上がった。


「明日の午後七時。そこでなら落ち合えるらしい」


 そう言い放った彼女の眼差しは、もういつも通りの真剣なものに切り替わっている。

 それが本題の切り出しであると認識し、見上げて続きを促した。


「相手はグループだ。力こそあるが、全面的に協力的とは言い難い。まずは交渉が必要になる」

「交渉……やっぱりそうなるか」


 先程の予想を辿ってしまうようで癪に障るが、表には出さずにこの場は話を合わせる。


「場所は? 俺は行くべき? 遠出すると奴らの監視網に引っ掛かるリスクがあると思うけど」

「ここから徒歩圏内の会館を貸し切るという話だ。和希は当事者として、見つからないことを祈って同行して欲しいとのこと。あとは……万が一のためにも仲間内で警備も付けるとか」

「やけに大事だな……」

「和希は自分の身だけ心配していればいい。相手方とは私が話を付けるから」

「……悪い」


 とても男子高校生が経験する日常のワンシーンとは思えない会話に慣れつつあることに呆れながらも、ようやく事態が改善しそうな雰囲気に心が軽くなる。

 明日の午後七時、近くの会館にてエアストと共に相手方と合流。複数人いるという話だから、尚更失礼のないように留意しなければならない。粗雑な敬語や立ち振る舞いなんかはどうにかして誤魔化さなければ。エアストの身分については聞かされていないものの歳が近いことに違いはない、就活向けのビジネスマナー本でも置いていないだろうか。


 そういえばこの文庫本用の本棚以外にも居間に何らかの書籍が置いてあったな、などと思い出す俺の横で――本題について一通り話し終えた彼女は、緊張を解いてしばし瞑目し、そして軽く口元を綻ばせた。


「この三日間、気を張り詰めていただろうから……今日はゆっくりしよう」


 エアストはそう甘い言葉を投げかけてくれるが――それを素直に受け取る気にもなれなかった。


 たかが三日、されど三日。俺は信じ難い現実から目を逸らし、彼女の厚意に甘えているだけだった。

 事態が好転しそうになった今になってやる気を見せたところで卑しいだけだとはわかっている。それ以上に、身に余る彼女の優しさが理解できない。

 まだ会って三日の相手に、これほど献身的になれる理由は何なのか。文庫本を置き、俯きがちに問い掛ける。


「……俺に何かできることある? 正直ここに来て何もできてないし、任せっきりで申し訳ないんだけど」

「それで構わない。自分の心配だけしていればいいと今言っただろう」

「……どうして」


 一呼吸置いてから、ごく単純な疑問をぶつける。


「どうして、そこまで俺に尽くしてくれるんだ」


 赤い瞳を揺らすエアストは、すぐには答えない。真剣な表情に相応しい回答を探しているかのように視線を彷徨わせてから、その重い口を開いた。


「……困っている人を放ってはおけないだけだ」

「なら、せめて俺に仕事をくれ。ヒモになった気分で居心地が悪い。その相手が初対面の異性とか尚更救いようがなさすぎるだろ」


 彼女の表情に陰りが見えた気がして、すかさず誤魔化すように吐き捨てる。

 もし彼女の言を信じるなら、お人好しにも程がある。何か言えない理由があるのであれば、俺も今回のお返しに彼女の助けになりたい気持ちはあるものの――きっとそれを聞き出せるほど彼女の信頼を得られてはいないだろうから、またいずれの話になるだろう。


 借りを返すチャンスが目に見えているのであればそれに越したことはないと企む俺には見向きもせず、エアストは寝室の入口へと歩いていく。そして、立ち止まると小さく呟いた。


「……明日、協力はしてもらう」

「ん? ああ、勿論」


 一瞬聞き返そうか躊躇う声量ではあったが、その意図を解して素っ気なく返す。その返事も待たずに、エアストは無言で家を出て行ってしまった。

 連日の行動パターンから察するに、夕飯でも買いに行ったものと考えられる。キッチンもほとんど使った形跡がなかったから、毎日買い食いで済ませているのだろう。こんなボロアパートに住まうような金銭感覚なら食費も節約すればいいのに、と残された部屋でひとりごちた。


 昨日より部屋が暗くなるのを早く感じてカーテンの隙間から空を見上げる。お天道様の姿はどこへやら、上空は遥か彼方まで暗い雲に覆われていた。

 明日の交渉が上手くいくようにとも祈れなさそうな空模様だ。エアストが帰ってくるまでに降り始めなければいいけれど。

 そこはかとなく陰鬱な気分から逃れるように、また別の文庫本へと手を伸ばした。

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