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黒羽根導くその未来  作者: 霜山美月
第1話 望まずして手に入れたもの
3/24

腹が減っては戦は出来ぬ

毎日2時まで書き溜めしてたら寝不足になってました。

遅筆オブ遅筆。

 ――知らない天井だ。

 窓から差し込む日光に照らされて徐々に覚醒しつつある脳が、最初に抱いた感想がそれだった。


 むくりと上半身を起こし、軽く伸びをする。少しばかり腰に痛みは感じるものの、再び布団の中へ誘われるような眠気はないし、見慣れない部屋ではありながらも寝惚けて夢の中と誤認している感覚もない。ここ数日の中では最もすっきりした目覚めである。


 記憶を整理すると、この平成ももうすぐ終わろうとする日本の千葉に住むごく普通の男子高校生こと米石和希は、昨日の夕飯時、友人とのカラオケの帰りに謎の怪しげな連中に拉致されかけ、窮地を救ってくれた少女の家の床でつい今しがた目を覚ましたところだ。

 趣味で読んでいるライトノベルばりの急展開に自分でも思考が追いつけていないが、悲しいことにこれが現実である。普段から明晰夢を自在に見られるという誰に自慢することもない特技を抱えている俺にとって、この状況が夢でないと断言することくらい容易いことだった。


 そして、今直面している問題は、どうやって追っ手を撃退するかということ。奴らの素性がしれない以上、悪手を打つことは許されない。

 また、スマホの地図機能で確認したところ、この家の位置も実家から遠く離れているわけではないから、油断して外出してしまった末には奴らの情報網の餌食になる可能性も否定できないときている。

 絶望的状況に立たされてはいるものの、たったひとりの協力者を得たことで、昨夜よりは落ち着きを取り戻せていることを自覚した。


 さて、その協力者は今何をしているのかと立ち上がってみるものの、開かれた寝室の引き戸の奥に人影は見えない。

 昨日は、来客用の布団も用意できていなかったからとベッドを勧められたが、年頃の少女の寝床を専有しろという誘いに女性免疫の薄い男子高校生如きが合意できるはずがなく、納戸に仕舞われていた冬用の掛け布団や毛布をこうして居間で敷くことを選んでいた。

 エアストは不服そうにしていたけれど、今回ばかりは正しい選択をしたと思う。おかげで若干腰は痛むものの、この行動によって守れた尊厳と比較すれば些細なことである。


 寝室に彼女の姿が見えないとなると、どうやら俺が広くスペースを取って眠っていた居間を跨いで外出したらしい。身体のすぐ横を歩かれても一切勘づかなかったあたり、相当熟睡していたようだ。日頃の寝不足の影響も少なからずあると見える。

 主人がいなくなってしまえば勝手に歩き回るのも気が引けるが、かと言って何もせずじっとしているわけにもいかない。ひとまず布団類を畳んで壁際に寄せ、新品の歯ブラシやタオルを拝借して洗面所へ向かった。


 最低限身嗜みを整え、やることをなくしてふらふらとお手頃価格の家具をチェックしていると、玄関の鍵が開く音が聞こえた。


「おかえり」

「……ただいま」


 匿われている身で烏滸がましいとは思いつつもとりあえず居間のドアを開けて迎えてやると、エアストは一瞬きょとんとした顔を見せた後、視線を逸らしながら短く返してきた。


 彼女は昨日とは違って髪を高めの位置で二房に結い上げている。所謂ツインテールというもので、子供っぽい髪型だとか揶揄されている通り現実ではほとんど見たことがなかったものだが、童顔な彼女にはこれまでに見た誰よりも似合っていた。

 服装もモノクロカラーのシャツとジャケットにショートデニムと、昨日の身を隠すようなコートとは正反対の薄着で、白い脚から強調される異性らしさが大変よろしくない。彼女は追っ手に顔が割れていないから隠す必要もないとはいえ、肌を出されてもこちらが目のやり場に困るだけだというのに。


「朝食。好きな方選んで」


 靴を揃えて居間へ踏み入れた彼女は、右手のコンビニ袋を軽く持ち上げて見せる。サイズの割に高値な気がして自分では買う気になれないサンドイッチが、半透明の袋から顔を覗かせていた。


「ごめん、いくらした?」

「いや、いい。私が勝手に買ってきただけだから」

「さすがにここまでしてもらって一銭も払わないでいるわけにもいかないでしょ」

「事が片付いたらその時に報酬として貰うよ」

「……なんかボディガードの仕事みたいだな」


 肩を竦めて見せるが、全くその通りの状況なので笑い飛ばすこともできず口を噤んだ。自分がボディガードを必要とする立場になるのも納得がいかないのに、解決しようにも彼女に守られていない限り家を出ることさえ許されない現状が歯痒くて仕方がない。

 夢であって欲しいとは散々願ったけれど、こうして朝目が覚めてしまった以上、現実と向き合う覚悟を決めざるを得ず――それからあれこれ考え始めるより早く、育ち盛りの高校生の腹が情けない音を立てた。


「腹が減っては戦は出来ぬ。考えるのは後でいい」

「……どうも。ありがたくいただくよ」


 目尻を下げて微笑む彼女に続き、食卓のテーブルに向かい合って座る。たった一晩泊まっただけなのに、不思議と昨日よりは打ち解けているように感じる。

 それはただ粗雑な敬語をやめたからなのかもしれないし、いくらか会話を重ねて少しずつ彼女のことを知りつつあるからなのかもしれない。


 ともあれ、事件の解決に際して彼女との出会いが無駄にならないことを祈りつつ。


「いただきます」


 まずは目の前の空腹を対処することに決めた。




 スマートフォンが素晴らしい文明の利器であり人類史上最高の発明と言っても過言ではないことは先述の通りだが、そのスマホが日常生活において担っている役割はひとつやふたつではない。理由は即ち、携帯としての機能よりアプリ面に比重を置き、携帯型PCとでも呼ぶべき利便性への進化を遂げたことにある。

 俺が多用するSNSの他にも、例えばいつでもどこでも好きな時に調べ物をしたり、お気に入りの漫画や小説を端末ひとつで読み漁ったり、あらゆる企業がリリースしているゲームを遊んだり、動画サイトや音楽アプリへアクセスして時間を潰したり……探そうと思えばやれることはいくらでもあるものだ。これらの基盤を作ったスティーブ・ジョブズには感謝してもしきれない。


 つまり、何が言いたいのかと言うと……暇なのだ。


 食後の運動はまず外に監視がいる最悪のケースを危険視して却下。それを除外するにしても元来インドア派として育ってきたから平気だと高を括っていたが、いざスマホを手放してみると他人の家ということもあって驚くほどやることがない。

 とは言ってもバッテリー切れの近いスマホを酷使するわけにもいかないし、よくリュックに入れて持ち歩いているライトノベルはこの日に限って家に置いてきた。それならもう授業の予習でもするしかないのかと考えたが、教科書やノートはひとつ残らず学校のロッカーに突っ込んできたのでとにかく退屈極まりなかった。


 本来やらなければいけないことはわかっている。わかってはいるけれども……こんな非日常のワンシーンに立たされて、どこで見張っているかもわからない追っ手から逃げ切る方法を編み出せなんて無茶がなかろうか、なんて無理に自分を正当化しながら頭を抱える。

 こっそり助けを求める眼差しを横に向けると、ローテーブルの向かいに座るエアストは整然とした態度で文庫本と向き合っていた。


「……その本、面白い?」

「まあ、そこそこには」

「微妙そうに聞こえるけど」

「物語の展開が強引だし、心情描写も軽薄。設定の掘り下げが足りないと思う」

「散々すぎない? 本当に面白いの?」

「……否定はしない」

「さっきより評価下がってるだろ……」


 クールな立ち振る舞いに見合う通り、彼女が本を読む姿は絵になるし、内容に対する意見を述べられるほどには教養もあるらしい。一年生の時、夏休みの課題の読書感想文をすっぽかした俺とは大違いだ。

 もし面白そうであれば少しだけ借りてみようかと身構えていたが、親しくもないのにそう申し出るのは迷惑かとコミュ障特有の遠慮が勝ったところで、彼女はふと視線を上げて呟いた。


「でも……ストーリー自体は嫌いじゃない」

「はあ……ちなみにそれはどんな感じ?」

「代わり映えのないつまらない日常が、たったひとりの変わった人物の介入で非日常に化かされる、というか。ちょっとしたSF」


 言われてその手元に目線を落とすが、彼女の言葉はすんなり腑に落ちなかった。ああいった類の本は父親が大量に持っていたが、どれも限りなく現実的で味気ない物語だったような記憶がある。それが偏見だったとしても、彼女の感想はライトノベルだと付け加えてもらった方が合点がいくだろう。


「……とてもそんな変わった本には見えないけど」

「読まずに決めつけられるものじゃない。私も初めて古本屋に立ち寄った時はそんな感じだった。でも、案外見た目によらないものだよ」


 そう言って微笑む彼女は――やはり、これまでに出会ってきた誰よりも美少女然としていて、思わず目を逸らしてしまった。女性免疫はある方ではないし、まともな恋愛なんてしたことがない。これは一目惚れしてしまっても言い訳は許されるだろう、だなんて冗談を脳内に押し留めながら、俺も小さく笑った。


「もしよかったらでいいんだけど、何か俺にも読めそうなのってあるかな」

「好みはあると思うが……いくつか読んでみる?」

「ああ、ちょっと貸してくれると嬉しい」


 俺の言葉に軽く頷いたエアストはその場を立ち上がり、寝室の方へと向かった。彼女が手を伸ばしたのは、ベッドの傍にある腰の高さほどの小さな本棚だ。そこから何冊か見繕って取り出すと、俺の方へ差し出した。


「どういったものが好きかわからないから、とりあえず私の好みだけど」

「構わないよ、どうも」


 受け取ると、エアストはその場にあるベッドに腰掛け、居間の方へ戻るものかと立ち尽くしていた俺に目配せをした。どうやら座っていいとの合図らしいが、別に一緒にいる必要はあるのかというか、女子のベッドになんて座って許されるのかというか。

 躊躇っていると、こちらの葛藤に気付く様子もない彼女が不思議そうな視線を向けてきたので、不審感へと変わる前に彼女の隣に腰掛けた。


 余計に焦ったせいか座り場所に選んだ位置が意外と近く、かと言ってこれみよがしに座り直すわけにもいかないから、あまり心臓に優しくない緊張感を隠しながら文庫本の表紙を捲ると――数ページと立たないうちに、意識は創作の世界の中へ吸い込まれていった。


 それから部屋の中に響いたのは、古紙のページが捲られる音と、新しく本棚から文庫本が取り出される掠れた音のみ。

 真隣に座るエアストの息遣いも、窓の外で鳴り響いている自動車の音もすべてが意識の外で、まるで最初からそうだったかのような自分だけの世界に浸り続けた。


 いつも通りの日常を過ごす主人公は、自分の生き様に不満を隠せず、他人任せに変化を求めていた。

 そんな彼の元に訪れたのは、他の誰にも真似できない――フィクション感満載の異能を持った少女。

 彼女を中心に巻き起こる非日常に取り込まれた主人公は、初めこそ元の世界に戻りたいと彼女を拒絶するも、周囲の人間と関わっていくうちに自分が本当に求めていたものに気付き、目的を見据えて彼女と共に前に進むようになる――そんな破天荒な物語。


 無論、異能なんてものは実在しないから、純粋に創作の世界として見るほかないけれど。

 それだけでも現実的な――例えば優れた趣味特技なんかに置き換えてみれば、現実に有り得ない話ではない。交友関係を介する人間的成長なんてよくある題材だし、友情には確かにそれだけの力があるのだろう。根本的な部分ではスポ根だとかに似通っていると言っても過言ではない。

 でも、俺には異能も特技もないし、それらに精通した人物が現れてくれるかなんて知ったことじゃない。

 だから、こういうのはあくまで架空の物語として楽しむだけでいい。微かな憧れは胸に隅に留めておいて、今は物語の中身だけに集中することにした。


 数多の世界がついに終焉を告げたのは、手元にあった何冊目かの文庫本が最終ページを迎え、後書きの文字を読み取るのに苦労するほど部屋が暗くなっていることに気付いた時だった。

 パタンと本を閉じて隣を見ると、それに反応した彼女と視線が交わる。ふたり並んで夕方になるまで没頭してしまう滑稽さに笑いを堪えつつ、電気のスイッチはどこかと部屋を見回した。


「ああ、この部屋だけ壁のスイッチはついていないんだ」

「……そういえば」


 言われてみれば、昨夜もあの紐を引っ張って明かりを点けていた。築三十年は経っているであろうアパートともなれば珍しくないのだろうかと考えながら、その場を立ち上がろうとして――、


「――――ッ!?」


 思わぬ平衡感覚の乱れを察知する頃にはもう遅く、いつの間にか床に落ちていた文庫本を踏み付けた左足は半回転。バランスを保とうと反射的に伸ばした手は空を切るかと思いきや、予想より早く薄闇の中で触れるものを捉えた。

 そのままバランスを崩した半身はベッドへ倒れ込み、なんとか腕で身体を支える、上半身だけ位置の高い腕立て伏せのような体勢になってしまう。


 頭をぶつけるだとか鈍臭い事態は避けられたことで一瞬安堵したその瞬間、倒れ込む際にベッドより早く触れたものの違和感に気付き――、


 俺の両手に細い肩を挟まれるようにして横たわるエアストを見て、しでかしてしまったことの重大さを自覚した。


「……っ」


 先程よりも近い距離で向かい合っているせいで、暗闇に慣れた視界は彼女の呼吸に応じて上下する胸元、頬を伝う一筋の冷や汗を明瞭に捉えてしまう。

 ふと視線が合ったかと思えば彼女はすぐに横へ逸らしてしまい、何か言葉を紡ごうと開けてはまた閉じてを繰り返している。

 この状況を引き起こした張本人さえ、焦りと戸惑いで身体が硬直してしまっていて。


 何秒か、何十秒か計り知れない時間が続いた頃。


「……ぁ、あの……っ」

「……、ごめんッ」


 声になりきらないか細い呟きが耳朶を叩き、それを得て正気を取り戻したかのようにこの身体は両腕をバネにして立ち上がった。

 そして急ぎ誤魔化すようにして蛍光灯の紐を引き、半歩後ずさりながら明るさに満ちる部屋の中で再び彼女を見やる。


 明かりが点くと同時に上半身を起こしたエアストは、ほんの一瞬だけ硬直した後、俺が名前を呼ぶより先に立ち上がり、顔を隠すようにしながら居間へ出て行ってしまった。


「な、どこへ」

「……夕飯買いに行ってくる……っ」


 そう言い残してからそう経たないうちに、玄関のドアが開いては閉じる音、鍵を掛けられる音が続けて聞こえる。

 それを合図に、俺は放心して再びベッドに倒れ込んだ。


 ――美少女をベッドに押し倒すだなんて、どこのラノベ主人公なんだ。

 飛び起きていったエアストの頬が赤みを帯びていたのは恐らく気のせいではないし、それに関しては俺も負けていない自信がある。


 ――なんて小っ恥ずかしいことをしてしまったのだろうか。

 今すぐこの記憶を消し去りたい。それができないなら誰か殺して欲しい。殺されなくても自分から死にたい。

 犯した罪は容易に消えるものではない。ラノベの暴力系ヒロインなら間髪入れず全力のビンタが飛んでくるはずだ。むしろ制裁を加えてもらった方が気は楽になっただろうに、無傷で取り残されているせいで余計に良心の呵責に苛まれた。


 俺も基本的に本を読むことは好きだからと趣味の共有まで漕ぎ着けて、やっと彼女の素が見えるようになってきたかと思った矢先にこの有様だ。

 今世紀最大のドジに言い訳ひとつ浮かばない。対策としては暗くなるまで周りが気に留まらなくなるほど読書に没頭しないこと、異性の近くでベッドに座らないことだろうか。そんなヒヤリハットあってたまるか。


 兎にも角にも取り返しのつかない後悔に対してやれることは償いのみ。

 買い物から帰ってきたエアストにはどう手をついて謝罪するべきか熟考し、三十分と経たないうちには人生初の土下座が炸裂することになったが、ギクシャクした態度が元通りになることは就寝に至るまでついぞなかった。

Coming soon

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